【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第一章 2
第一章 王都の邂逅
2 危機一髪
少年二人ばかりで取り残され、ハシャルとエーヴィンは、ともにがくりと肩を落とした。ハシャルが、やや恨みがましく、不平を漏らす。
「エーヴィン、お前なあ。もう少し、口の利き方、考えろよ」
ミルディーは、エーヴィンの彼女でも、ハシャルの彼女でもない。シエラにからかわれても笑って許せるミルディーであるが、エーヴィンにこんなふうに言われるのは、我慢がならないのだ。
エーヴィンは、不満げに、切り返した。
「何言ってんだ、もとはといえば、お前がこんなふうに抜け駆けして、ミルディーを独り占めしようとするのが悪いんだぞ」
「なんだよ、ミルディーはお前の彼女じゃないだろ。いつ誰と一緒にいようが、彼女の勝手じゃないか」
「そういうお前は、彼女の何のつもりなんだよ」
「それとこれとは、関係ないだろ」
二人とも、次第にむきになってきた。今にも破裂しそうな、険悪な空気が満ちた。双方とも、拳を固めた。
周囲の喧騒をついて、不意に、一際大きな、割れんばかりの歓声が二人の耳朶を打った。二人は、同時に音のした方を向いた。市場の奥の方だ。何か、おもしろい見世物でも、披露されているのだろう。二人は、もう一度向き合い、どちらからともなく、肩を竦めた。せっかくの楽しい祭の準備期間だというのに、いがみ合っているのが、馬鹿馬鹿しくなった。どちらも振られたのだ。おあいこだ。エーヴィンは、深く吐息を吐いた。
「仕方ない、ミルディーに謝ってくるか」
「そうだな」
ハシャルは頷いた。思いを寄せる少女とデートをしていた筈が、恋敵と連れ立って歩く羽目になり、ハシャルはなんともみじめな気分になったが、しかし、どうにか気分を奮い立たせようとした。エーヴィンだって、そんなに悪い奴というわけではない。以前は仲良くしていた。今も、友人だ。ミルディーのことを除けば、だが。
ハシャルとエーヴィンの、どちらが先にミルディーに恋したか、定かではない。二人とも、ミルディーの幼馴染みだった。ハシャルの家、ラサ家の北隣がミルディーの家、カーク家であり、さらにその北隣が、エーヴィンの家、ジュグレット家だった。その三家に、ハシャルの家の南隣のグライス家を加えた四家は、親しい付き合いをしている。ハシャルもエーヴィンも、幼い頃から、ミルディーとともに遊んでいる。ミルディーとの付き合いの長さは、二人とも、同じだった。
ハシャルとエーヴィンは、同じ歳で、ともに冒険者盗賊を目指しているということもあり、時には仲違いをしたこともあるが、概ねよい友人同士だった。しかし、いつしか、互いにミルディーに恋心を抱くようになり、それからは、二人の関係は、どこかぎくしゃくしたものになっていた。
歩きながら、エーヴィンが口を開いた。
「それにしても、お前、馬鹿だよなあ。今年は、まだ少年部門に出られたってのに、わざわざ難しい成人部門に出場しちまうなんてよ」
エーヴィンが言っているのは、昨日本戦が行われた盗賊競技会のことだった。
ミリスリィ王国の盗賊競技会は、盗賊組合の主催の下、毎年盛夏、夏祭の前、第五の月第一の週五日から八日まで、四日間の日程で開催される。冒険者盗賊の技能の向上、切磋琢磨を目的とするものである。
また、この競技会は、盗賊組合の事業を広く一般に宣伝する役割も果たしている。そのため、入場料は廉価に設定されている。王都ミリィスの郊外の競技場に大がかりな舞台を設けて行われ、毎年、大勢の観客で賑わう。
成人の部と少年の部に分かれており、成人の部は十七歳以上、少年の部は十三歳から十七歳までの、ミリスリィ盗賊組合に所属している者が参加を認められている。はじめの三日間が予選にあてられており、本戦は四日目に行われる。本戦は、二人の競技者がいかに早く障害を乗り越え、目的を達して決勝線に到達するかを競う形で試合が行われる、勝ち抜き戦である。本戦に残れるのは、十六人のみ。従って、まだ十七歳になったばかりのハシャルに関して言えば、本戦に残れただけでも、充分に賞賛に値することだった。
エーヴィンの口調に、僅かに滲む皮肉めいた色を、ハシャルは、敏感に察した。軽く肩を竦める。
「どうせなら、上を狙いたいじゃねえか」
「そうか? 俺だったら、手堅く少年の部で三連覇を狙うね。もっとも、お前が少年の部に出なかったお蔭で、俺は、得したけどな」
昨年、一昨年の少年の部を制したのは、ハシャルだった。そのハシャルに、いつも負けてきたのが、エーヴィンだった。ハシャルが少年の部に出場しなかった今年、エーヴィンは、ようやく優勝を勝ち取ることができた。けれども、それは、ハシャルとの勝負に勝った結果ではない。そのため、エーヴィンは、単純に喜ぶわけにもいかなかった。結果はどうあれ、ハシャルと勝負したかった。それなのに、ハシャルは、その機会をふいにした。ハシャルは、今、十七歳。成人の部の資格年齢に達している。けれども、エーヴィンは、十七歳になるまではまだ少し待たなければならず、今年は成人の部に出場できなかったのだ。だから、エーヴィンとしては、皮肉な態度にもなってしまう。
話しているうちに、市場が開催されている広場の中に入っていた。雑踏の中、赤毛の少女を捜し、二人は、周囲に注意深く視線を走らせた。
ミルディーとシエラが好んで見るとしたら、生地屋か、装飾品を扱う店か、甘い菓子の店、といったところだろうか。ミルディー一人なら、武具屋も候補だ。しかし、そういったものを商う店には、二人の姿は見当たらなかった。ハシャルは、市場の奥の方へ目を向けた。すると、芸人たちのための空間の一隅に、周囲に並ぶ派手で明るい色調の天幕とは一線を画した、一張りの、落ち着いた深い紫色の小さな天幕が設けられているのが目に止まった。そこだけ、あたかも異空間のような、不思議な空気が漂っている。その天幕の前には、十人程の人々が列を作っている。その列の中に、燃えるような赤色を、ハシャルは見出だした。ミルディーだ。小柄な少女、ハシャルの妹シエラと、何か喋っている。
ハシャルは傍らのエーヴィンの肩を叩いて、ミルディーを見つけたことを伝えた。ごった返す人々の間を縫うようにして、二人は、紫色の天幕に近付いていく。
そのとき、天幕の中から、急に、怒声が轟いた。と思うや、一人の小柄な人物が、天幕から転げ出てきた。たっぷりと襞を取った、裾の長い長衣が脚にたぐまり、動きを妨げている。その人物に続いて、体格のよい男が二人、飛び出してきた。陽光に、白い光が一閃する。二人の男は、白刃を抜き放っていた。
天幕の前に並んでいた人々は、仰天して、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。辺りの人々に勢いよくぶつかり、突き倒しかねないありさまだった。被害にあった人々は、悪態をついて、ぶつかってきた相手に苦情を申し立てようとするが、しかし、何が起きているのかを見て取ると、身を守ることが先決と、素早く騒ぎの中心から離れていった。そして、遠巻きに状況を見守る。その動きが、波紋のように広がっていく。一方、離れたところにいた物見高い人々が、その波紋を乱し、危なくない程度に、現場へと近付いていった。
間もなく、警備兵が駆けつけるだろう。しかし、惨事を食い止めるには、遅すぎるかもしれない。
「このいんちき占い師め!」
顔を火のように真っ赤にした、大柄な男が、必死に逃げようとしている小柄な人物に、剣を振り下ろした。空気を裂きながら刃が迫る光景に、占い師と見られる人物は、思わず両手で頭を覆い、固く目を閉じた。遠巻きに見ている人々も、血しぶきが飛び散る惨状を予期し、息を呑んだ。
続いたのは、肉と骨が打ち砕かれる鈍い音――ではなかった。乾いた、鋭い金属音。赤い輝きが躍ったかと思うや、男と占い師の間に飛び込んでいた。短めの鋼の刃が、男の剣をしっかりと受け止めていた。二本の刃は、固く噛み合い、ぴたりと静止した。もう一人の男は、思いがけぬ闖入者に、呆然として硬直した。その隙に、小さな少女が機敏な動きで占い師に近付き、助け起こして、後ろへと引っ張る。
ミルディーとシエラだ。二人は、現場から逃げていなかったのだ。
蒼白になって、ハシャルとエーヴィンは、遠巻きに見ている人々、そしてそれとは逆に騒ぎを聞きつけて押し寄せてきた野次馬の波を掻き分けていく。必死に進むが、しかし、その速度は、粘りつく蜂蜜の中を泳いでいるかのように感じられた。
数瞬の驚きが去ると、占い師を斬ろうとして阻まれた男は、目前の邪魔者に、凄みを利かせた声で言い放った。
「おいおい、お嬢ちゃんよ、あんたにゃ関係ないんだ、引っ込んでな!」
ミルディーは、しかし、肯じなかった。
「あんたの方こそ、剣を引きな! どんな理由があるのか知らないけど、祭の日に、街ん中で刃傷沙汰なんて、いただけないわね」
男の顔が、怒りに醜く歪んだ。
「この生意気な小娘め! 痛い目を見ないと、わからんようだな」
吐き捨てるや、力任せに、ミルディーの剣を払った。ミルディーはやや後方に跳び、体勢を整える。それから男は、ミルディーに激しく斬りかかった。立て続けに攻撃を加える。ミルディーは、男の斬撃を着実に凌いでいく。
しかし、男の得物が長剣であるのに対し、ミルディーのそれは、しっかりとしてはいるが、短めの剣だった。祭に出かけるというので、常に使っているような、長さも重量もある剣は、携行していなかったのだ。この武器の違いは、彼女にとって、明らかに不利だった。その証拠に、彼女は目下、防戦で手一杯だった。だが、それでもしぶとく粘る彼女に、男たちは業を煮やした。これまで相棒の戦いを静観していた男が、ミルディーの背後に回ろうとする。
観衆から、悲鳴が上がった。
ハシャルとエーヴィンは、観衆の輪を振り切った。エーヴィンは抜剣する。ハシャルは投擲用の短刀を懐から取り出した。だが、間に合わない。男の剣が、背後からミルディーに迫る。
刹那、眩い光が疾った。白い光は、ミルディーの背後に回り込んだ男を直撃した。もんどりうって、男は地面に転がった。
同時に、銀色の細い光が三条、ミルディーと刃を交えている男に襲いかかった。男は、間一髪、それを叩き落す。それは、三本の短刀だった。その隙にミルディーは、鋭く剣を突き込んだ。男は、すんでのところで身をかわす。そして、男は、度肝を抜かれて、短刀が飛んで来た方を見た。群衆の中を抜けて、二人の若者が駆けてくる。
「お兄ちゃん! ディオン!」
シエラが喜びの声を上げた。ミルディーは安堵の表情を浮かべると、占い師とシエラを守るようにして、身を引いた。
舌打ちして、男は、新手の方に向き直った。一人は、金茶色の髪を首筋の辺りで切り揃えた、少女のような顔貌の若者。白い法衣を纏い、光風の神ラガーゾの護符を身につけている。そしていま一人は、僅かに赤みがかった黒髪を肩を過ぎた辺りまで伸ばした、長身の若者。動きやすそうな短衣とズボンを身につけ、その身ごなしは、いかにも俊敏そうだった。黒髪の若者は、小剣を鞘走らせるや、男に打ちかかった。
あっという間に、その場は、収まりを見せた。ほんの数合で、若者は相手の剣を叩き落とした。みぞおちを、小剣の柄で強打する。神速の技。男は、失神して頽れた。
続く
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