【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第一章 3
第一章 王都の邂逅
3 突き刺さる視線
このときになって、ようやくハシャルとエーヴィンは、騒ぎの中心に辿り着いた。
「大丈夫か、ミルディー?」
黒髪の若者が、尋ねた。ミルディーは、やや上気した様子で、頷いた。
「ええ、お蔭様で。丁度いいところに来てくれて、助かったわ。ありがとう、ロルド」
陶然とした、賛嘆と感謝の眼差しを、ミルディーは若者、ロルドに向けた。ハシャルの胸に、誇らしい思いが満ちた。が、同時に、針で刺すような微かな痛みが、胸を衝いた。
ロルドは、ハシャルによく似た、すっきりと整った面立ちをしていた。だが、ハシャルよりも精悍で、引き締まった印象がある。赤みがかった褐色の瞳は、彼の質実な性格を如実に物語る。そして敏捷で力強い発條を秘めた、すらりとした長身。
同性の目から見ても惚れ惚れするような、この黒髪の若者は、他ならぬハシャルの自慢の兄なのだった。
エーヴィンが、そっと吐息を吐いて、剣を鞘に収めた。彼も、ミルディーの頬が少々紅潮しているのに、気付いたのだろう。
明朗な声が、ハシャルの物思いを破った。
「お兄ちゃんとディオンってば、なんか、ほんとに絶妙なときに来たね。ひょっとして、タイミングを狙ってたんじゃないの?」
金茶の髪の若者、ディオンが、柔らかく笑んで、答えた。彼は、ハシャルの家の南隣のグライス家の、末子だった。
「いいえ、そんなことはありませんよ。ともあれ、間に合って、よかった。……おや、ハシャルとエーヴィンも、来ていたのですね」
ハシャルとエーヴィンは、異口同音に言った。
「絶妙のタイミングとは、いかなかったけどな」
それまで、息を詰めて成り行きを見守っていた占い師が、このときようやく、口を開いた。
「あ、あの……皆さん、助けて下さって、ありがとうございました」
掠れ気味の、細い声。その声に、ハシャルら一同は、少なからず驚いた。声が、声変わりの時期の少年のものだったからだ。
襞のたっぷり取られた、裾を引き摺るような衣装、今にも折れてしまいそうな、ほっそりとした、小柄な体つき、占い師という生業。ヴェールで顔を隠していることもあり、皆、声を聞くまで女性だと思い込んでいたのだ。
一同が喫驚したところに、今度は、怒声が降ってきた。
「こら、フロイ! 今度は一体、どんな騒ぎを引き起こしたんだ、え?」
筋肉隆々とした、恰幅のよい男が、隣の大きな天幕の裏手から近付いてきた。えらの張った顔に、大きなひしゃげた鼻が目立つ。その鼻の上、眉間に、太い皺が寄って、さながら雷雲から落ちて犠牲者を打ち据える稲妻のようだった。
占い師は、大きく震えた。そのまま、怯えた小動物さながらに、身体を丸め、小さく縮こまる。
「ご、ごめんなさい……!」
消え入りそうな声で、許しを請う。男はしかし、それに耳を貸そうとはしなかった。少年に、詰め寄ろうとする。ハシャルらは、事情はわからぬものの、哀れな様子の少年に同情を覚え、互いに目を見交わした。そして、神官であるディオンが、一同を代表し、仲裁に入ろうとする。
ディオンが口を開きかけた、まさにそのとき、別の穏やかな声が、割って入った。
「これこれ、ファーガス、そう怒るでない。まずは、フロイを助けてくださった方々に、お礼を申し上げねば」
その声の主の方に、一同は視線を移した。その人物は、中肉中背の、その声に似つかわしい、人の好さそうな老翁だった。白い髪と髭を長く伸ばしており、深く皺の刻まれたその顔は、優しげな笑みを浮かべている。しかし、その双眸には、何か、秘密を沈めた深い井戸のような、底知れない、黒々とした闇があった。ハシャルは、胸に、言いしれぬ不安を覚えた。
老人は、柔和な笑みを浮かべ、一同に一礼した。
「お若い方々、うちの占い師をお助けくださり、まことにかたじけのうございます。お怪我は、ございませんでしょうか?」
言って、失礼にはならぬよう気をつけながら、一同の様子を具に確認する。とりわけ念入りに気を配ったのは、正規の神官の衣装に身を包んだディオンだった。
このミリスリィ王国は、神に仕える聖職者たちによって治められる王国である。多くの国々で見られるような身分制度は存在せず、国の政を担う聖職者たちは、他国の統治者たちのような、貴族ではない。とはいえ、人々は、聖職者に対し敬意を払い、彼らを丁重に扱うのだった。
ディオンは、耳に快い声で答えた。
「礼には及びません。どうか、お気になさらないで下さい。皆、無事です。お仲間の方がご無事で、何よりでした」
老人は、この芸人一座の座長で、占い師の少年は、一座の一員なのだ。そう、ハシャルら一同は見て取った。老人は、ディオンの礼儀正しい言葉を受けて、安堵し、嬉しそうな表情を浮かべた。
「さようですか。とはいえ、お世話になりましたから、ささやかではありますが、お礼をさせていただければと存じます。申し遅れました。わたしは、この一座、シュティンク座の座長のカルヴェントと申します。丁度、あと少しで、我が一座の、本日二回目の演物が始まるところです。いかがでしょう、もしよろしければ、無料にてご招待しますが……。もちろん、特別席にてでございます」
ハシャルとエーヴィン、ミルディー、シエラは、目を輝かせた。そういうことであれば、二つ返事で、承諾するところだ。ディオンとロルドは、ハシャルらの様子に、苦笑した。ミルディーとシエラが危ない目に遭い、一同肝を潰したばかりだというのに、なんという切り替えの早さだろう。幸い誰も怪我はなく、ディオンもロルドも、この日の午後は休暇を取っていた。たまには、芸人の演物を見物するのも、よいだろう。
一同を代表して、ディオンが返答した。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、拝見させていただきたいと存じます」
老人、座長カルヴェントは、莞爾と微笑んだ。
「おお、よかった。さあ、では、こちらへどうぞ」
早速、天幕の中へと一同を案内しようとする。それを、占い師の少年が遮った。
「待って下さい、座長! そちらのお嬢さん方は、僕の天幕の前に並んでいました。きっと、占いの順番を待っていたんだと思うんです。ですから、演物が終わった後、無料で、運勢を見て差し上げようと思うのですが……」
言って、ヴェール越しに、控え目に二人の少女を見る。そのとき、占い師の視線が、数瞬、鋭く己に突き刺さったのを、ハシャルは敏感に察した。ヴェール越しで、目もうっすらとしか見えないにもかかわらず、はっきりと感じた。
――何だ……?
ハシャルは訝った。この少年は占い師であるから、ひょっとすると、その視線にも、常人とは異なる不可思議な力が宿っているのかもしれない。けれども、たとえそうだとしても、どうしてハシャルに目を止めたのだろう。ハシャルのことを、知っているのだろうか? 湖面に投げ込まれた小さな石が、大きな波紋を生じるように、胸の内に投じられた小さな疑念が、持ち前の大きな好奇心を呼び覚まし、波紋のように広げていった。
ハシャルの疑念などつゆ知らず、二人の少女は、目に期待を浮かべて、老翁を見た。フロイを見る老翁の両眼に、一瞬、怪訝そうな色が閃いた。が、それはすぐに消し去られ、老翁は、快く同意を示した。
「よいだろう。そうしておやり、フロイ」
ミルディーとシエラは、顔を綻ばせた。
そのとき、再び、ハシャルは、占い師の視線を感じた。痛いほどの力。
――何だってんだ?
この時点で、ハシャルは、己の関心を、抑えられなくなっていた。
やけに気前のよいこの老人、その内心の狙いを、ハシャルは薄々察していた。老人は、事を大きくしたくはないので、巻き込まれた一同に騒ぎ立てられぬよう、ご機嫌をとろうという魂胆に違いない。ついでに太っ腹なところを見せて、己の芸人一座の宣伝をしようという心積りもあるのだろう。正規の神官であるディオンが一同の中にいるのだから、なおさら、老人の態度は丁重になる。実際、ディオンは将来を有望視されている神官なので、これを機に彼とお近づきになれるものなら、御の字であろうが、さすがに老人も、そうした事情までは、把握していないようだ。
ともあれ、この際、老人の下心を利用しない手はない。ハシャルは意を決し、己の企みを悟られぬよう、何食わぬ顔で、陽気に願い出た。
「あの、座長さん。俺も、占いに興味があるんだけど……駄目かなあ?」
兄、ロルドが僅かに眉を顰めた。弟に、そんな趣味はないことを、よく承知しているのだ。エーヴィンは、あからさまに目を剥いた。
――そんな顔をしたら、怪しまれるだろ、馬鹿!
心中、ハシャルは、毒づいた。ミルディーとシエラは、意外そうにちょっと目を見開いたが、何も言わなかった。ディオンの大きな緑色の瞳にも、一瞬、驚きが過ぎった。が、如才なく窘める。
「おやおや、ハシャル、そこまでお願いしては、座長さんや、一座の皆さんに、ご迷惑をおかけしてしまいますよ」
しかしカルヴェントは、まあまあ、と、ディオンの言葉を遮った。
「よろしいじゃありませんか。かまいませんよ。もし興味があれば、他の方々も、どうかおっしゃってください」
「じゃあ、俺もいいですか?」
図々しくも申し出たのは、エーヴィンだった。ハシャルは、思わず引きつりそうになった顔を、必死に落ち着かせた。ハシャル同様、エーヴィンも、占いなどに興味はない筈なのだ。
カルヴェントは快諾した。
その頃には、王都の警備兵が、現場にやって来ていた。二人の少女と二人の若者は、居合わせ、あるいは駆けつけ、巻き込まれたに過ぎなかったので、その上ディオンは神官でもあり、簡単な事情聴取のみですぐさま解放された。ハシャルとエーヴィンは、巻き込まれもせず、いわば目撃者でしかなく、他に多数の目撃者がいたため、二言三言訊かれたのみだった。後の処理は、警備兵と一座の団員たちに委ねて、一同は、演物見物をするべく、天幕へと入っていった。
続く
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