【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第二章 14
第二章 真夏の逃避行
14 暗澹たる前途
やがて、この宿の主人と、用心棒と思われる二人の男が、角灯を手に、ハシャルらの部屋にやって来た。倒れている四人の男たち、そして部屋の荒らされたありさまに、彼らは、怪訝そうな表情を浮かべた。丸顔で小太りの、五十がらみの宿の主人が、ハシャルらに訊いた。
「お客さん、いったい、どうされたんですか? こいつらは、いったい、何者です?」
エーヴィンが、苛立ったように肩を竦めて答えた。
「見てのとおり、襲われたんだよ。強盗じゃないか?」
宿の主人は、得心のいかぬ様子だった。
「強盗ねえ……。だったら、もっとお金のありそうな、商人でも狙えばよさそうなもんだがねえ」
確かに、その通りだ。エーヴィンは、言葉に詰まった。主人が、フロイを逃がすことに賛成してくれるかどうか、わからない。そのようなことをしようとするハシャルらを、止めようとするかもしれない。さらに悪くすれば、金になるとわかれば、フロイを、追手に引き渡すかもしれない。だから、フロイが追われていることは、できれば伏せたいところだが、説明せざるを得ないだろうか。どのみち倒れている男たちを尋問すれば、知られてしまうことではあるのだが。
ハシャルが口を挟んだ。
「こいつら、俺たちのことを、襲いやすい、丁度いい鴨だと思ったんじゃないかな」
今度は、なるほどと、主人は頷いた。少年三人、そのうちの一人は、せいぜい十二歳くらいで、それに加えてもう一人は少女という組み合わせ。これは、恰好の獲物と見做されても、不思議ではない。それでも、疑念の雲は晴れなかった。そもそも、この少年たちは、子供だけで、何をしようとしているのだろう。家出でも、してきたのだろうか。ともかく、主人は、きっぱりと言った。
「まあ、お客さんにも、いろいろと事情があるんでしょうけどね。とりあえず、壊れたものの修理代は、この、伸びている連中と折半で、お願いしますよ。喧嘩両成敗といいますからね」
エーヴィンは色めきたった。
「おいおい、そりゃないぜ。俺たちは、泊まっただけだ。あいつらが一方的に襲ってきたんだ。あいつらに弁償させろよ」
ミルディーも不満げだった。何か言おうとする。しかしハシャルは、彼女を制し、エーヴィンを宥めた。
「まあまあ。仕方ないよ。……親爺さん、お騒がせして、すみません。修理代の半分は、払います。いくら払えばいいですか?」
主人は、ざっと部屋を見渡した。
「そうさな、三百トランというところかな」
エーヴィンが異議を申し立てようとした。だが、ハシャルはそれを無視し、答えた。
「わかりました。じゃあ、宿泊費と合わせて、今、払います。明日の朝早く、ここを出ますので、それまでは、部屋を使わせてもらいたいんですが、いいですか?」
こんな騒ぎを起こした後だ、つまみ出されたところで、文句は言えまい。ハシャルらに何も非がなければだが、ハシャルらは、追われているかもしれないと知っていて、すなわち、襲撃を受けるかもしれないとわかっていて、泊まったのだ。宿の主人に、その点について注意を促すことなく。
主人は、難しい顔をした。こんな物騒な事件を引き起こすような連中を、これ以上留めおいて、よいものだろうか。そう考えていることは、明白だった。
このとき、一人の宿の使用人が、息せき切って部屋に入って来た。宿の主人に近付くや、そっと、耳打ちする。主人は目を見開いた。それから、ハシャルらの方をちらりと見やる。その視線には、疑念を押しのけて、ばつの悪いような色が滲んでいた。使用人の話が終わると、主人は、ハシャルらの方に向き直った。そして、申し訳なさそうに告げる。
「お客様、たいへん申し訳ありません。修理代は、いただかなくて結構です。どうも、逆に、こちらが損害を賠償せねばならないようで……」
何のことやら、思い至らず、ハシャルらは顔を見合わせた。主人が、言を継ぐ。
「その……皆様方からお預かりしたストラクティスが、盗まれてしまったそうなのですよ」
「ええっ!」
思わずハシャルは、目を剥いて、素っ頓狂な声を上げた。
「……本当かよ!」
信じられないといった表情の、エーヴィン。
「何よ、それ」
愕然とするミルディー。
フロイは、無言で凍り付いていた。
主人は、半ば言い訳がましく、説明する。
「手前どもは、いつも日没頃に、獣舎を点検して、錠を下ろすんですが、その後に、何者かが錠を破って侵入して、お客様方のストラクティスをこっそり連れ出しちまったようなんですよ。他の馬やストラクティスは、無事だったんですがね。お客様方のだけ、いなくなっちまったそうで……」
「いなくなった、じゃねえよ! どうしてくれるんだよ」
エーヴィンは、今にも主人に掴みかからんばかりだった。ハシャルも、内心ひどい落胆を覚えていたが、それでも、エーヴィンを押さえた。
「やめろよ、エーヴィン。……親爺さん、この辺りで、代わりのストラクティスを借りるか、譲ってもらうことは、できますか?」
主人は頭を振った。
「生憎、この町のストラクティスは、皆、売れてしまいましてな。山越え用に貸し出されているストラクティスも、予約が一杯で」
ハシャルは、頭を抱え込みたくなった。
――どうしよう。いったい、どうすればいいんだろう?
先刻襲ってきたあの男は、簡単に諦めるとは思えない。あの両眼に、業火のように燃え盛る炎を、ハシャルは、見て取っていた。あんな恐ろしい追手がいるからには、ストラクティスで、可能な限り早く逃げたかった。当初の計画では、ストラクティスで、一気に山越えの経路を行くつもりだった。しかし、ストラクティスが盗まれてしまったからには、その計画は成り立たない。
徒歩で逃げたのでは、すぐに追いつかれてしまうだろう。見つからぬよう、身を隠しながら行くにしても、山地で方角を失い、遭難しては大変なので、道からそう離れるわけにもいかない。道を外れると、狼などの獣に襲われる危険性が高くなるし、あまり奥まったところに踏み込むと、魔物も、出没するかもしれない。しかし、ミルディーとフロイは、隠密行動に長けているとは言い難い。道の周辺を進んだ場合、あまり行かぬうちに、追手に見つかってしまうに違いない。それに、徒歩で山越えを行うとなると、かなりの日数を要することになる。
とすると、山脈沿いに南西に行き、草原に出るしかないか。その経路をとる場合、かなりの距離を行かねばならないが、もし馬を使えるならば、徒歩で山越えをするよりは速く進めるだろう。
気を取り直して、ハシャルは尋いた。
「じゃあ、馬はどうですか?」
主人は残念そうに首を横に振った。
「いることはいますが、あまりいいのはいませんね。夏祭の時期だから、いいのは皆、出てっちまったんですよ」
せめて馬が使えればとの一縷の望みをあえなく断たれ、ハシャルは、暗澹たる思いに捕らわれた。
それから、主人は、ストラクティスの賠償金を午前中には用意して支払う旨を告げ、そそくさと部屋から退出した。
続く
お読みくださり、ありがとうございます。
よろしければまたお付き合いください。
ご感想等いただけましたらとてもうれしいです。
続きはこちらです。↓
前の話はこちらです。↓
