【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第二章 13
第二章 真夏の逃避行
13 真夜中の襲撃
戻ってきたハシャルの気分が快復しているのを察し、ミルディーとフロイは、ほっとした様子だった。けれどもエーヴィンは、ハシャルとは逆に、何やらぴりぴりしていた。
今夜も、四人で一つの部屋を借りていた。あまり広くはない部屋だ。それでも、寝台は、簡素で小さめではあるものの、ともかくは人数分、四つある。
扉に錠を下ろし、さらに、前日と同様、扉をすぐには開けられぬよう、椅子や卓で塞ぐ。そうして、四人は、床についた。長時間の移動による疲れが、四人を、瞬く間に深い眠りへと誘った。いや、ただ一人、エーヴィンは、密かに輾転反側し、目を開いていた。
深更を過ぎ、人ばかりか草木も眠る頃。ハシャルは、身体が酷く揺さぶられるのを感じ、眠りの底から引き摺り上げられた。
「何……」
言いかけた口が、塞がれた。何事だ。敵の襲撃か? 眠りから覚め切らない頭では事態をてんで把握できず、ハシャルは、自分を押さえている手を振り解こうと、必死にもがいた。
短い悪態が小さく聞こえ、それから苛立ちと緊張を含むその声が、耳元で静かに告げた。
「シッ! 静かにしろよ」
聞き慣れた声。エーヴィンだった。その徒ならぬ様子に、瞬時にハシャルは、眠気を振り切り、がばと上体を起こした。殆ど聞き取れぬほどの声で、問う。
「なんだ、何か起きたのか?」
見ると、部屋の端で、フロイがミルディーを起こしているところだった。
「どうも、ついに、敵さんが来ちまったようだぜ」
エーヴィンにそう言われたときには、ハシャルも、気配に気付いていた。複数の人の気配が、部屋の扉に近付いてくる。
エーヴィンとミルディーは、手早く、音を立てぬよう注意して、革の胴着を身に着け、剣を手に取った。ハシャルとフロイは、逃げねばならぬ場合に備え、荷物を背負う。皆、疲れ切ってはいたものの、用心のため服を着たまま寝ていたので、応戦する、あるいは逃げる準備に手間取ることはなかった。
気配が、扉のすぐ外まで迫った。人数は、五人。エーヴィンとミルディーの二人だけでは、強行突破は厳しいかもしれない。部屋に一つだけの窓は、小さすぎて、フロイでさえも、通り抜けられないだろう。
ハシャルは、一計を案じた。寝台から敷布を引き剥がすや、端を丸めて、扉近くの梁の上を渡るように投げる。すると、うまい具合に、幕のように、梁に敷布が垂れ下がった。ハシャルは、垂れ下がった敷布の、ちょうど大人の顔の高さの辺りに、小袋から取り出した瓶に詰められた液体をたっぷりと浸した。それから、匂いを嗅がぬよう注意しながら、布の裾を纏めて抱え、扉近くに待機する。それを見たエーヴィンは、にやりとした。ミルディーは、怪訝そうな顔をしたが、何も言わず、様子を見守った。
外の追手は、まず、部屋の錠を外しにかかった。錠が外れると、静かに扉を押し開けようとする。が、扉の内側に障害物が置かれているため、容易には開かない。追手は、小声で忌々しげに毒づき、強引に、扉を押し始めた。じりじりと障害物が後退していく。そして、ついに障害物が跳ねのけられ、扉が大きく内側に開いた。
てこずらされ、業を煮やしていた男たちが、勢いよく、部屋に飛び込んできた。その瞬間、ハシャルは、抱えていた布の裾を放し、一気に広げ、男たちの眼前に押し付けるようにした。突然布に行く手と視界を遮られ、男たちは、もがいた。そのうち、二人が、いきなりばたりと倒れこんだ。残る三人も、白濁した意識をはっきりさせようと、悪態をついたり、頭を振ったりした。
この隙を、ミルディーとエーヴィンは、逃さなかった。ろくに身動きできない男たちに、一息に駆け寄るや、それぞれ一人の男を、剣の平と柄で、強打する。不意を衝かれて、二人の男は、叫び声を上げる暇もなく、倒れ伏した。残った一人の男は、布を引っ張り、梁から落とした。長身の男だった。顔に、幾条もの、刀傷が刻まれていた。歴戦の強者なのだろう。
ミルディーとエーヴィンが、男の方に、一歩踏み出す。二対一だ。しかし、男は怯む様子を見せない。部屋の隅の方で、戦いの邪魔にならないよう身を縮めているフロイの姿を確認して、男は、低い声で言い放つ。
「おとなしく、そいつを渡しな。そうすりゃ、他の者に用はねえんだ。なんなら、金と交換してもいいぜ」
フロイの双眸に、怯えの色が浮かんだ。傍目にもわかるほど、その小柄な身体を激しく震わせる。
ハシャルは色をなした。
「馬鹿言うんじゃねえ! 誰が渡すもんか」
言ってハシャルは、フロイを男から庇うように、フロイの前に立つ。
エーヴィンは気障ったらしく自慢の栗毛を払うと、勿体ぶって言葉を紡いだ。
「おいおい、あんた、何か勘違いしてないか? こっちは二人、あんたは一人。明らかに、俺たちの方が有利だぜ。言っとくが、俺たちは、腕が立つぜ」
男は、嘲るような笑みを口許に浮かべた。その表情に、ハシャルは、肌が粟立つのを感じた。
「お前らごとき小僧や小娘が、一人だろうと二人だろうと、関係ない」
豪語するや、男は、息つく間もなく、エーヴィンに肉薄した。予想外の速さに、エーヴィンは度肝を抜かれた。辛うじて、男の最初の斬撃を受け止める。が、完全に力負けしていた。じりじりと押され、それでも剣を持ち続け、遂には、身体ごと横に飛ばされてしまう。部屋の壁に勢いよく激突し、肺から空気が叩き出される。そのまま、ずるずると床に頽れる。
そのとき、ミルディーが、男に背後から襲いかかった。渾身の力を込めて、男に向けて剣を突き出す。男は、小うるさげに、さっと長い足を払った。ミルディーは一瞬宙に舞い、次の瞬間には、床に転がった。どうにか受身を取り、一転して跳ね起きる。だが、彼女が体勢を整える前に、男は、剣を振り下ろさんとした。
ハシャルは泡を食って、短剣を続けざまに投じた。男は、振り返りざま、飛来した三本の短剣を、虫を払うかのように叩き落とした。そして疾風のごとき速さで、ハシャルに迫る。ハシャルの心臓が、止まりかけた。足が、一瞬、凍り付いた。
――動け!
必死に念じる。フロイが悲鳴を上げた。それで、呪縛が解けた。横に跳びすさる。まさに一瞬前までハシャルがいた空間を、熱い剣風が薙ぎ払った。なおも男は、ハシャルに襲いかかる。ハシャルは再び横に逃れる。男の剣がハシャルの後ろにあった寝台にぶつかり、マットを切り裂いた。
ミルディーが、再度男に突きかかった。気合の声を上げて、体重を乗せ、思い切り突っ込む。旋風が生じた。男の剣が疾り、ミルディーの剣を受け止めるや、彼女の身体ごと、横に弾き飛ばした。ミルディーは、寝台の上に派手に倒れ込んだ。男が、間髪入れず踏み込む。男の剣が、唸りを上げた。
ハシャルは、咄嗟に、小剣を構えて、ミルディーを庇うように飛び出していた。男の剣を、頭上で受け止める。が、みるみる押される。剣の方向を変えることも、ままならない。このままでは、頭をかち割られてしまう――。己の小剣が、頭に触れそうになった。
その瞬間、突如、腕に加えられていた圧倒的な力から、解放された。勢い余り、つんのめる。見れば、意識を取り戻したエーヴィンが、男の斬撃を、必死の形相で防いでいた。その間に、ミルディーも起き上がった。頭を一振りして、立ち上がる。そして、ハシャルの脇を抜けて、エーヴィンに加勢しようと近付く。
再び二対一だった。ハシャルも数に入れるならば、三対一。しかし、追い詰められているのは、むしろ、ハシャルらの方だった。ミルディーとエーヴィンは、もう息が上がっている。対して、男には、疲労の色は僅かたりとも窺えない。まだまだ余裕がありそうだった。
だが、このとき、ハシャルらに救いがもたらされた。階段を、複数の足音が駆け上がってくる。そして、周囲も騒がしくなってきた。これまでの戦いで、派手な物音を立てている。さすがに、他の宿泊客も、異常に気付いたのだろう。
男は、舌打ちした。そして、ハシャルらに炎の噴き出るような一瞥をくれるや、さっと後退し、部屋を飛び出した。悲鳴と怒号、金属のぶつかり合う音が交錯した。それから、宿は、時ならぬ喧騒に包まれた。
その騒ぎの中、ハシャルらは、安堵の吐息を吐いた。男は、去った。一時はどうなることかと思ったが、この場は、ひとまず、切り抜けられたのだ。ハシャルは、膝から力が抜けて、へなへなと床に座り込んだ。フロイは、蒼白になって両手で顔を覆い、ぶるぶると震えながら身を縮めている。ミルディーはきゅっと唇を引き結び、平静な表情を装っているが、その金色の瞳には、怖れの念が消えやらずたゆたっている。エーヴィンは、しきりに、乱れた髪と衣服を整えている。
続く
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