【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第一章 9
第一章 王都の邂逅
9 どうしてここに
フロイを引き連れ、ハシャルは、ミリィスの新市街を囲む外街壁近くの空家の庭に、身を潜めた。エーヴィンやミルディー、それに他の友人たちと、たまに来て遊ぶところだ。早朝、市門が開けられたらすぐに、商人や旅人の中に交ざり、ミリィスから出るつもりだった。
西の市門の近くの騎獣舎に、ラサ家は、隼に似た、しかし遥かに大型の鳥、ストラクティスを三羽、所有している。そのうちの二羽を使うつもりだった。ストラクティスを駆って、一気に南下し、ジディアとの国境を目指す。一座の者が、どれほど熱心にフロイを追ってくるか、わからない。けれども、気付かれる前にストラクティスで遥か遠く、何十キロも先に逃げてしまえば、追うのは、困難になるだろう。フロイの話によれば、朝、フロイのところに人が訪れ、彼の様子を確認するのは、日の出から一時間程経ってからだという。市門は、日の出とともに開けられる。一時間もあれば、ストラクティスを使えば、かなりの距離を稼げる。
日の出まで、あと二時間くらいだろう。ハシャルはそう見当をつけ、傍らの物陰に座り込んでいるフロイに、小声で言った。
「まだ日の出まで少しあるから、もし眠かったら、今のうちに、少し寝んでいていいぜ。日が昇ったら、あとは、かなりの強行軍でいくからな」
フロイは、ハシャルに取って来させた、自らの身分を証す品であるという首飾りを手に取り、じっと見ていたが、ハシャルの言葉に顔を上げ、頷いた。首飾りを再び首にかけ、懐に隠すや、地面に敷かれたハシャルのマントの上に横になる。間もなく、静かな寝息を立て始めた。
一方、ハシャルは、今夜はもう眠るつもりはなかった。逃走の計画を練りつつ、周囲への警戒を怠らない。ミリィスは治安のよい街で、夜間も、怪しげな界隈にでも近付くのでない限り、そうそう危ない目に遭うこともない。とはいえ、危険なことが皆無というわけではないので、用心するに越したことはない。たまたま、夜間にフロイの不在が露見して、追手がかかるということも、全くないとはいえないのだ。では一刻も早く逃げ出した方がよいのではないかというと、そうもいかない。なにしろ夜間は、市門が固く閉ざされており、出入りが禁じられ、街壁の警備も厳重に行われている。
都市全体を囲む街壁は、外街壁ないしは外壁と呼ばれる。対して、旧市街と新市街を隔てているそれは、内街壁ないしは内壁と呼ばれる。外街壁は、高さが三、四メートル程の内街壁とは異なり、二十メートル近い高さと、土台の辺りでは十メートル程の厚さを持つ、堅固な造りで、夜間は篝火が赤々と燃やされ、歩哨も多く配されており、到底、隠密裡に越えられたものではない。空を飛ぶ騎獣で越えれば、人の目にとまることは言うまでもない。市門を通らずに外街壁を越えることは、特別な場合を除いて禁じられているため、不審に思われれば、歩哨に矢を射かけられかねない。もとより、ストラクティスを暗い中飛ばすことは、不可能だ。それ故、ハシャルは、夜明けを待つことにしたのだ。かえってその方が、商人や旅人の中に紛れることができ、追手に行く先を知られにくくなる。
フロイの不在が一座の者に知れるのが、なるべく遅くなるといいのだが。ハシャルは、そう願った。
フロイのやや不安げな、けれども静かな寝息を聞きながら、考えに耽っていると、不意に、家の反対側、入り口の方から、人の近付く気配があった。複数。二人だ。内一人は、巧みに気配を押し殺している。盗賊の技能を身に付けた者だろう。
もう、いないのがばれてしまったのか。それとも、ならず者か。
ハシャルは、すぐに抜けるよう小剣の柄に右手をかけつつ、左手で懐から投擲用の短剣を取り出した。
二つの人影が、庭へと踏み込んできた。相手に有無を言わせる暇も与えず、ハシャルは、疾風迅雷の動きで武器を投げようとした。その瞬間、手にした短剣を、ぽろりと落とす。
月の晧々とした光が、二人の侵入者を照らし出していた。艶やかな赤毛と栗毛が、鈍く照り映える。よく見知った、その姿。
ハシャルは思わず叫びそうになった。慌てて、口を止める。それから、低い声で言い直した。
「ミルディー、エーヴィン! ……どうしてお前たちが、ここに?」
言ってから、不愉快な考えが頭に浮かんだ。ここには、エーヴィンもミルディーも、時折遊びに来る。エーヴィンやハシャルは、夜中にこっそり来たこともある。もしかして、ミルディーとエーヴィンは、夜、こうして密かに、ここで逢っていたのだろうか。ミルディーは、実は兄ではなくて、エーヴィンが好きなのではないか。
エーヴィンは、肩を竦めて、隣のミルディーを見た。どうも、彼女と逢引をしていたという雰囲気ではなかった。むしろ、彼の方でも、おもしろからぬ疑念を抱いているようだった。
ミルディーは、男勝りでさばさばしたいつもの彼女らしくなく、歯切れの悪い口調で答える。
「……何日か前にここに来たときに、ちょっと忘れ物をしたんじゃないかと思って、来てみたのよ」
「忘れ物? それを、わざわざこんな時間にかい?」
ハシャル同様、エーヴィンも、ミルディーの行動を不審に思っていることが、瞳から読み取れた。忘れ物なら、日中取りに来ればいいのに。エーヴィンが引き取った。
「で、俺は、彼女が家を出たのに気付いたんで、彼女と一緒に来たってわけさ」
「忘れ物は、あったのかい?」
問われてミルディーは、ちょっと考え込むふうを見せた。
「ええと。……どうも、思い違いだったみたい。ここに忘れたと思ったものは……そう、別の場所に置いたのよ」
釈然としないその返答に、ハシャルとエーヴィンは、いよいよ疑念を募らせた。ともに、彼女に問い質そうとする。しかし、その機先を制して、彼女は、言った。
「それで、エーヴィン、あんた、なんであたしが家を出たのに気付いたのよ? まさか、四六時中、あたしの家を見張ってるんじゃないでしょうね」
途端、ハシャルの疑いの眼は、エーヴィンへと移った。ハシャルに対して、抜け駆けをしたなどと言いがかりをつけておきながら、エーヴィン自身は、そのようなけしからぬ真似をしていたのか。
二人に矛先を向けられて、エーヴィンは、泡を食って弁解した。
「そんなわけ、ないだろ! たまたま、眠りが浅かったときに、物音を聞きつけて目が覚めただけだって」
ミルディーが、まだ疑わしげに、かつ少々傷ついたように、ぼそりと呟いた。
「あたし、こっそり家を出たつもりだけど。そんな、聞きつけられるような音、立てちゃったのかな」
ミルディーが落胆している様子なのに狼狽して、エーヴィンはまくしたてた。
「いや、違うって、ミルディー。俺は優秀な盗賊だから、普通の人なら気付かないような音とか気配にも、気付いちまうんだって。お前は、そんな大きな音を立てるようなことは、してねえって。それでも、俺みたいな、できのいい盗賊に気付かれちまうのは、仕方ねえ。……な、そうだろ、ハシャル?」
何やらエーヴィンの自画自賛が鏤められた説明に、ハシャルはしかし、快く同意を示してやった。エーヴィンの自惚れぶりに、一言してやりたくなくもなかったが、しかし、落ち込んでいるミルディーを力づけるのが先だった。それにしても、なんだかいつも、ミルディーに関することで、エーヴィンの調子に乗せられてしまっている気もする。ハシャルは内心、少々不満を感じたが、それを表には出さず、明るい声で言った。
「そうだよ、腕のいい盗賊に気付かれちまうのは、仕方ないよ」
ハシャルの協力を得て、エーヴィンは、安堵の胸を撫で下ろした。そうして一息ついたところで、その協力者、他ならぬハシャルについて、まだ得心がいっていないことに気付く。
「ところで、おい、ハシャル。お前は、なんでここにいるんだよ?」
ミルディーも、怪訝そうな目をハシャルに向けた。
続く
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