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【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第一章 8

第一章 王都の邂逅かいこう

8 大事な首飾り


「よし、これでいい。行こう」
 先に立って天幕を出ようとするハシャルのそでを取り、フロイが引き止めた。
「待って! 逃げる前に、お願いがあるんだ」
 一刻とて惜しい。ハシャルは、やや厳しい口調でいた。
「なんだい? 早くしないと、見つかっちまうぜ」
 フロイは、幾分ためらってから、遠慮がちに言を継いだ。
「あの、実は、僕の身分を明かす証拠になるものが、あるんだ。母が僕にくれたんだ。父さんからもらったものだから、大事にしなさいって」
「それを、持っていきたいってのか。で、それは、どこにあるんだ?」
「その……向こうの、座長の天幕だよ。この一座に買い取られたときに、座長に取り上げられて、以来、座長が常に身に付けているんだ。夜、寝るときだけは外して、寝台の近くの大きな宝物箱に入れてるんだ」
 ハシャルは顔をしかめた。
「そいつは、そんなに、大事なものなのか? 逃げる機会を失うかもしれなくても、持っていきたいかい?」
 こうしている間にも、見つかるかもしれない。ハシャルは、じりじりしてきた。潔く身一つで逃げればいいのに、と思う。
 フロイはしかし、やや申し訳なさそうな色を瞳にぎらせながらも、必死に、真剣な口調で言い募った。
「そうだよ。僕と父さん、母さんとを結ぶ、ただ一つのものなんだから」
 ここで再び、ハシャルはこの少年の境遇を思いやった。幼い頃に母親と引き離されたフロイには、それしか、己の幼い頃の生活を明かすもの、両親とのつながりを示すものが、ないのだ。そう考えると、無下むげに突き放すわけにもいかなかった。
「ええい、仕方ねえ。俺がとってきてやるよ。そいつは、どんなんだ? すぐにそれと、わかるんだろうな?」

 フロイを天幕に残し、ハシャルは、日中演物だしものを見物した大きな天幕の裏手に並ぶ、小さな天幕の群れの中に忍び入った。その中央に、周囲のそれと比べてやや大きく、造りも豪華な天幕がある。それが、座長の天幕だ。近くの天幕の陰に身を潜め、様子をうかがう。辺りは寝静まっているが、中央の天幕の前で、一人の不寝番が見張っている。
 ハシャルは、腰の小袋から、布切れを取り出した。それに、自分の部屋の木箱から持ち出した小瓶から、半透明の液体を数滴、垂らす。大きく回りこみ、中央の天幕の裏手に出る。そこから、表側に立つ不寝番に、背後から忍び寄る。あと数歩の距離になったところで、不寝番の男は、背後の気配に気付いた。振り返りざま、抜剣しようと、腰の剣に手をかける。その瞬間、ハシャルは男の懐に飛び込んだ。ぐっと右手を突き上げ、男の顔に、手にした布を思い切り押し付ける。ううと、低くうなるや、男は、よろめいた。そのまま、腰から力が抜け、ぐにゃりとくずおれる。ハシャルは倒れそうになった男を捕まえ、静かに地面に寝かせた。
 思わぬところで、役に立ったものだ。持ってきて、よかった。この、布に染み込ませた液体は、ミリィス郊外の怪しげな露店で入手したものだった。ヴェラノアと、コスアンディンとナルミナリア、というような名の植物から作ったもので、ほんの数滴、匂いを嗅げば、すぐさま眠ってしまうというものだった。エーヴィンとふざけて試してみたところ、どうもその効能は、本当のようだった。それで、何かの役に立つかと、持って来たのだ。その露店には、他にも、れ薬だの、せ薬だの、髪を美しい巻き毛にする薬だの、いかがわしい商品が所狭しと並んでいた。この眠り薬がいたところをみると、それらの怪しげな薬の中にも、本当に効果のあるものも、あるのかもしれない。

 れかけた思考を元に戻し、ハシャルは、目的の天幕に入り込んだ。途端とたんうなじに、ぴりぴりとしびれるような感覚が走った。
 ――魔法がかかっているな!
 盗賊競技会に用いられる舞台装置の一階部分と、同じだ。一定以上の大きさの音が立つと、何らかのことが起きる――おそらくは、警報音がなる、といったところだろう。
 ――同じてつは踏まないぜ。
 競技会では、部屋を通り抜けるだけでよかった。しかし、今度は、宝物箱の中のものを持ち出さねばならない。それでも、成功してみせる。
ハシャルは慎重に、天幕の片隅の、垂れ幕で小さく仕切られたところに近付いた。中から、静かな寝息が聞こえる。可能な限り音を立てぬよう、細心の注意を払いつつ、だが迅速じんそくに、仕切られた部分の垂れ幕を、そっと引き開け、中に入り込む。白髪に白いひげの座長は、よく眠っていた。
 細いランプの明かりがついたままになっている。その明かりを頼りに、フロイに頼まれたものを探す。すぐに見つかった。寝台脇に、大きな宝物箱が置かれている。その宝物箱は、見るからに重そうで、さらに、天幕の支柱に、太く頑丈な鎖でつながれていた。神経をらし、錠前破りに取り組む。すぐ側に、座長が眠っている。はじめのうちは、緊張で心臓が激しくのたうち、座長が身動みじろぎするたびに、びくりとして、手元が狂いそうになったが、仕事に集中するうちに、落ち着いていった。そうして、遂に、錠前を開けることに成功した。蝶番ちょうつがいに油をさして、箱を開け、中からフロイに言われたとおりの首飾りを取り出す。それから、木箱の錠を元に戻し、ハシャルは、その天幕を後にした。そのとき、張り番の男は、まだ眠っていた。そのまま朝までぐっすり眠っていてくれることを、ハシャルは、祈った。

続く

 


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