【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第一章 10
第一章 王都の邂逅
10 三人一緒に
――どうしよう。
二人はまだ、陰で寝ているフロイに気付いていないようだ。フロイのことを、明かしてしまって、よいものだろうか。二人は、フロイを逃がすことには、反対しないだろう。フロイについて、一座の者に知らせるような真似は、しないだろう。そうした点について、ハシャルは、二人を、微塵も疑っていなかった。ただ、二人は、ハシャルがフロイとともに行くことについて、どう考えるだろう。止めようとするのではないか。
フロイを、一人で行かせるわけにはいかない。まだハシャルよりもずっと子供で、世慣れているとも思われない。身を守る術とて、持たない。こんなに小柄で、おどおどしているのだ。ハシャル自身、まだ少年の域を出てはいないが、しかし、冒険者盗賊としての修行を積んでおり、旅の仕方は、心得ている。武術の心得はあまりないが、その分、うまく立ち回って危険を回避する術を、身に付けている。
どう答えたものか、ハシャルは、ためらった。気まずい沈黙が三人に覆い被さる。
助け舟は、思いがけぬところから出された。
「……ハシャル? どうしたの……」
掠れた、まだ少々眠たげな声。壁際の陰に寝ていたフロイが、身体を起こして、ハシャルらの方を見た。その双眸に、一瞬、怯えの色が閃いた。ハシャルと向かい合う二人を、一座の追手かと思ったのだ。相手が日中占ってやった相手だとわかると、フロイの瞳から不安が消えた。
「エーヴィンさん、ミルディーさん……」
それまでハシャルしかいないと思っていた二人は、突然湧いた声に、ぎょっとした。月明かりでその声の主の姿を確認すると、見開かれた目が、さらに丸くなった。同時に、声を漏らす。
「フロイ……!」
二人の尋常でない驚きように、訝しい思いを抱きつつも、ハシャルは、計画を打ち明けることにした。フロイがこうして姿を見せてしまった以上、説明せざるを得ない。
ハシャルの話を一通り聞くと、ミルディーは言った。
「あんた一人だけが一緒に行くってのは、心許ないわね」
その言葉は、ハシャルの心臓を一突きした。やはり、戦士でないと、駄目なのか。
が、ミルディーの言葉を頭の中でよくよく吟味して、希望の灯が見えた。ハシャル一人だけが、一緒に行くのは心許ない。ということは、ハシャルが一緒に行くことに反対しているわけではないのだ。そして――。推測を、おそるおそる、口にする。
「あの、ミルディー、もしかして……」
みなまで言わせず、彼女は、ハシャルの頬を指で弾いた。
「もしものときのために、戦士もいた方がいいに決まってるわね。あたしも一緒に行くよ」
ミルディーとともに、旅をすることができる。思いがけない幸運に、ハシャルは、躍り上がらんばかりの喜びに包まれた。
「本当に? 助かった、お前が一緒だと、心強いよ。ありがとう」
つい先程、彼女の言葉に傷つけられたのも何のその、喜色満面で、彼女の手を取り、握手した。が、しらけたような声が、水を差した。
「お前とフロイとだけ一緒に行くんじゃあ、ミルディーも苦労しそうだな」
むっとして、ハシャルは、声の主を睨みつけた。
「なんだよ、エーヴィン、随分な言い種じゃないか。言っとくけど、俺は、盗賊としては一流なんだからな」
それをこんなふうに、さも足手纏いのお荷物であるかのように言われては、ハシャルも、勘弁ならなかった。しかしエーヴィンは、ハシャルの怒りをよそに、続ける。
「ミルディー一人で、二人も守るってのは、いくらなんでも、ひどいよな」
それを聞き、ハシャルは、嫌な予感がした。その予感を裏切らず、エーヴィンは、宣言した。
「守らなきゃいけないのが二人いるんだから、もう一人戦士がいると、丁度いいな。よし、俺も一緒に行ってやるよ」
天にも昇るような心地だったのが、一気に地獄に突き落とされた気分だった。渋面を作り、ハシャルは、異議を唱えた。
「なんでお前まで来る必要があるんだよ。だいたい、俺たちは、逃げようってんで、戦おうってわけじゃねえ。少人数で行った方が、身軽でいいよ」
しかしミルディーはしばし考え込み、それから口を開いた。
「そうだね。あんたも一緒に来てくれれば、何かあったとき、助かるかもね。確かに、あたし一人で二人を守るってのは、ちょっと荷がかち過ぎるかも。これがロルドかディオンだったら、また、話は別なんだろうけど」
ロルドの名が出たところで、ハシャルとエーヴィンは、胸に焼かれるような感覚を覚えた。エーヴィンが、慌てて言う。
「いや、ミルディー、お前は、充分強いんだ。俺なんかの助けはいらないくらいに、さ。けど、まあ、一応、余裕を見て、さ。お荷物が二人いるんだから……」
その言い分に、むっとしたものの、ハシャルはあえて口を挟まなかった。はじめは感情的に、エーヴィンは来なくてよいと思った。しかし、改めて考えてみれば、エーヴィンの意見は、正しいと言わざるを得なかった。確かに、ミルディー一人で二人を守るとなると、厳しいだろう。戦士としての訓練も受けているエーヴィンがいれば、助かることは間違いない。
これまで黙して成り行きを見守っていたフロイが、おずおずと口を出した。
「あの……僕、皆さんに、一緒に来てもらえたら、嬉しく思います」
ひょっとすると、フロイは、盗賊であるハシャルと二人きりで逃げることに、不安を抱いていたのかもしれない。ハシャルはそっと肩を竦めた。少々腹が立ったが、しかし、仕方のないことだ。ハシャルが戦士ではなく、盗賊であることは事実で、フロイが頼りなく思ったところで、責めるわけにはいかなかった。
このフロイの一言で、三人が一緒に行くことが確定した。
ハシャルは、家を出るときに旅支度をし、自室に置手紙を残していた。しかしミルディーとエーヴィンは、このときまで旅に出る予定などなかったため、夜間の外出だということで念のため着用した革の胴着と、常に使用している武器と少々の持ち物、お金の他、特別な準備は何もしていなかった。かといって、自宅に戻って準備をしたのでは、家族に見つかる虞がある。そのため二人は、必要なものは道中調達することとし、ハシャルが持参していた小さな蝋板に、家族へしばし留守にする旨を伝える手紙を認め、朝、騎獣舎の管理官に託すことにした。蝋板とは、小さな板の表面を浅く彫って平らな窪みを作り、そこに蝋を流し込んで固めたものである。鉄筆等の尖筆を用いて文字を書く。使い終えた後は、温めて蝋を溶かし、文字を消して、また固める。そのようにして、何度も繰り返し使用することができる。
ハシャルやエーヴィンは、時折こんな具合に家を何日も留守にすることがあり、その度に両親らの大目玉を食らっていた。だがミルディーは、これまで、そのような真似はしたことがなかった。その彼女が突然家を留守にしたら、彼女の両親は、ひどく心配するのではないか。ハシャルはその懸念を口にしたが、しかし、ミルディーは出立の意志を翻そうとはしなかった。
全ての支度が整う頃には、辺りの大気が、夜明け前特有の青みがかった色を帯びていた。四人は、静かに、夜明けを待った。
第一章 了
第二章に続く
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