【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第三章 10
第三章 赤目の盗賊
10 どうにもできない思い
第五の月第三の週六日。シュティンク座の座長、カルヴェントの失踪が判明した日の、翌日のことだった。王都で子供たちの帰りを待ち侘びる四人の父親たちのもとに、不安を煽り立てるような事件の報が、届いた。
ロルドらを追っていた盗賊組合の手の者が、何者か知れぬ集団の襲撃を受け、負傷し、やむなく追跡を中断し、町に戻ったというのである。それを受けて盗賊組合は、今度は人数を十人に増やし、かつ戦士としての技量も備えている者を送り出したという。
その報は、ギルラトの町で、予期せぬ聞き手の耳にも入ることになった。
ギルラトの町の、光風神ラガーゾの神殿に、ミルディーとエーヴィンは、それぞれ部屋を貸し与えられていた。二人は、保護され、傷の手当てを受け、ゆっくりと休んだ後、護衛と共に王都ミリィスに戻るよう、勧められた。しかし二人は、ハシャルたちが戻るのを待ちたいからと、この町に留まることにしたのだった。
エーヴィンの借りている部屋に、ミルディーが訪れていた。本来は神官用の部屋なのであろう、装飾も控え目で、調度品も、簡素な寝台と小さな卓と椅子二脚、それに長櫃のみの、こざっぱりとした部屋だった。ミルディーが使っている部屋も、大差はなかった。
「それ、本当なの?」
不安げに問うミルディーに、エーヴィンは頷いた。
「ああ。神官は、確かに、そう言ってたよ」
エーヴィンは、神官たちがロルドたちやハシャルたちについて話しているのを、こっそりと聞き出しては、ミルディーに知らせていた。初めは、彼の盗み聞きに難色を示していた彼女であるが、今は、むしろ彼の報告を、ありがたく感じていた。というのも、神官たちは、ロルドらやハシャルらについて、当り障りのないことしか、彼女らに教えてくれなかったからである。エーヴィンも、彼自身ロルドら、そしてハシャルらのことを心配していることもあり、かつミルディーの役に立てることが嬉しくもあり、盗賊としての能力を大いに発揮し、盗聴に精を出していた。そして、ロルドらを追っていた盗賊組合の手の者が襲撃されたという情報を、仕入れたのである。
さらに、もう一つ、わかったことがあった。シュティンク座の座長、カルヴェントの失踪である。彼が行ったフロイの告発は、無効になったのだ。フロイは、もう、一座に戻らなくてよいのだ。
フロイの濡れ衣が取り払われたことは、喜ばしかった。しかし、ロルドたちは、かなり危険な状況にあるのではないだろうか。
ミルディーは、唇を噛み、俯いた。握り締められた両の拳が、血の気を失くし、真っ白になっている。
彼女がこれほど動揺するとは、思わなかった。エーヴィンは臍を噛んだ。襲撃についての情報は、伏せておいた方がよかったかもしれない。懸命に、エーヴィンは、彼女を力づけようとした。
「大丈夫だよ。今度は、組合も、よりすぐりの精鋭部隊を送ったってんだからさ。それに、ロルドとディオンは、無茶苦茶強いだろ。あの二人と戦うなんてことになったら、敵さんの方が、泣きたくなるんじゃねえか? 俺だったら、正直なところ、戦う前に逃げ出しちまいたいね」
エーヴィンのおどけた口調に、しかしミルディーは、硬い表情を崩さなかった。ぼそりと、ミルディーは言葉を漏らした。
「やっぱり、ロルドと一緒に行けばよかった。そうすれば、あたしでも、少しは役に立てたかもしれないのに。それに、ハシャルを、あんなふうに見捨ててくるんじゃなかった」
エーヴィンは困ったように言った。
「……って言ったって、向こうが、一緒に来るなって言ったんだろ。俺たちはまだ子供だからって。それに、ハシャルたちと別れたのは、仕方なかったじゃねえか。そうして別れたお蔭で、俺たちは、ロルドたちに、ハシャルたちのことを伝えられたんだしな」
「そうだとしても、ね」
ぶっきらぼうに言って、ミルディーは、椅子から腰を上げ、踵を返した。その両眼に、決意が閃くのを、エーヴィンは見逃さなかった。その腕を、しっかりと掴んで、行かせない。
「ちょっと、エーヴィン、何よ? まだ、何か話があるの?」
エーヴィンは、いつになく厳しい目で、ミルディーを真っ直ぐに見つめた。
「ミルディー、お前、ロルドたちを追いかけるつもりだろ」
ミルディーの瞳に、驚きが走った。しかし、何事もなかったかのように、平静を装って、答える。
「何言ってんのよ。そんなつもり、ないよ」
しかしその双眸は、どうにもできない狂おしい思いに揺れ、雄弁に、彼女の胸の内を物語っていた。その双眸を見て、エーヴィンは、心臓を残酷に握り潰されるような思いがした。彼女は、やはりロルドのことを思っているのだ。苦い思いに胸を焦がされながらも、できるだけ落ち着いた声を心がけ、言い募る。
「嘘を吐くなよ。俺には、わかってるんだからな。でも、追いかけちゃ、駄目だ。ロルドが言ったとおり、これは、まだ大人じゃない俺たちが関わっていいことじゃねえ」
ミルディーの金色の瞳が、怒りに燃え上がり、爛々と輝いた。
「あんたに、何がわかるってのよ? それに、あたしがどうしようと、勝手でしょ。放っといてよ」
エーヴィンの手に、力が入った。抗議しようと口を開きかけて、ミルディーはしかし、言葉を呑み込んだ。エーヴィンの双眸に、今、自分の瞳にあるのと同じような、必死の思いを、見てしまったのだ。
「……馬鹿なこと、言うなよ! お前の方こそ、いったい、何がわかるってんだよ? ……駄目だ、危ないことをしちゃ。今度の件は、俺たちの手に負えるようなことじゃねえ。だから、やめろよ」
ロルドとディオンのことは、エーヴィンとて心配だった。途中で置いてきた、フロイのことも。そして、恋敵である、ハシャルのことも。ミルディーのことがあり、いつしかうまくいかなくなったとはいえ、時には憎悪さえ覚えてしまうとはいえ、それでも、ハシャルは、幼い頃からの友人だ。エーヴィンとて、彼らを助けたい。それに、ハシャルはしばしば、エーヴィンのことを、盗賊としての誇りを欠いていると批判するが、実際は、エーヴィンにも、誇りは備わっていた。フロイの側に、信義にもとる行為があったとはいえ、請け負った仕事を途中で放棄するような形になったことは、不本意だった。
けれども、まずはミルディーを守らなければと、思っている。他の誰よりも、何よりも、彼にとっては、ミルディーが大切だった。彼女のためならば、臆病者と謗られても、裏切り者と罵られても、堪えてみせる。
これまでずっと、ミルディーは、エーヴィンのことを、軽い気持で自分に付き纏う、少々煩わしい存在だと思っていた。けれども、そうではなかったのだ。彼は本気で、ミルディーのことを思っていたのだ。なんとひどい思い違いをしてしまっていたのだろう。エーヴィンの目を見ていられなくなり、ミルディーは俯き、小さな声を押し出した。
「……ありがとう、エーヴィン。でも、あたしは、行くよ。行かせて。フロイが自由になれることも、伝えたいし」
ミルディーの身体が、緊張に強張った。もしエーヴィンが飽くまでも放さないつもりならば、力ずくでも振り解く所存だった。彼の気持は、嬉しかった。けれども、ロルドへと向かう思いを、彼女は、どうすることもできなかった。そして、エーヴィンと同じく、幼馴染みであるハシャルの身を案じる思いも。フロイのことも、心配だった。
そのまま全てを圧し固めてしまいそうな、重い沈黙が満ちた。
ややあって、エーヴィンが深い溜め息を吐いた。彼女は、梃子でも動くまい。そして、よしんば彼女が行くのを力ずくで止められたとしても、それでは、彼女の心を殺してしまう。
「……わかったよ。行けばいいさ」
言いながらも、掴んだ腕を放さないエーヴィンに、ミルディーは怪訝そうな視線を向けた。エーヴィンは、言葉を継いだ。
「ただし、俺も一緒に行く。これだけは、譲れないぜ」
「ちょっと待ってよ、エーヴィン」
すっかり面食らっているミルディーを、エーヴィンは制した。
「待っても何も、聞く耳持たねえよ。だいたい、お前、一人でどうやって、ロルドたちのところに行くんだよ? ストラクティスも馬も、お前、連れ出せないだろ。歩いて追いかける気だったのか? 追跡の技術だって、あるわけじゃねえ。それじゃあ、ロルドたちを見つけられねえよ」
ミルディーとエーヴィンは、神殿に保護されている身である。そう簡単に、町を抜け出せる筈もない。ましてや、ストラクティスや馬を手に入れることは、難しいだろう。
エーヴィンのもっともな指摘に、彼女は、恥じ入って頬を染めた。彼女には、具体的な計画があるわけではなかった。ただ、勢いだけで、飛び出そうとしていたのだ。
ミルディーが赤面したのを見て、エーヴィンはどぎまぎした。これまでの彼であれば、すぐさま、彼女を慰めようとしただろう。しかし、今やエーヴィンは、彼女に関して、ある意味、開き直っていた。彼女の機嫌を取ったからとて、彼女に振り向いてもらえるわけではない。いや、むしろ、本当に彼女のことを思うならば、ご機嫌伺いなどやめて、本気で彼女にぶつかっていった方が、よいのではないか。彼女に嫌われるのが、怖かった。彼女が傷つき、悲しみ、苦しむのを見るのが、嫌だった。けれども、だからといって、媚びへつらって、どうする。それが彼女のために、なるだろうか。なる筈が、ないのだ。
ここに至って、ようやくエーヴィンは、悟っていた。ふと、ハシャルと別れたときのことを思い出した。あのとき、落ち込んだミルディーを、ハシャルは慰めなかった。ハシャルは、エーヴィンに先んじて、ミルディーに関して、何か考えることが、あったのではなかろうか。
不敵な笑みを浮かべて、言う。
「まずは、馬かストラクティスを連れ出す方法を考えるぞ。大丈夫、任せてくれ。こういうときこそ、俺たち盗賊の出番ってもんだ」
続く
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