【小説】〈隻翼の竜の書〉赤目の盗賊 第二章 6
第二章 真夏の逃避行
6 白皙の魔法使い
方針が定まるや、ロルドとディオンは、手早く旅支度を整え、ストラクティスを連れ、西の市門へと向かった。市門の近くまで来たとき、一人の女性が、早足で、しかし優雅に、近付いてきた。
「ディアネ様」
「姉上」
白い法衣に身を包む、女性だった。たおやかな、それでいて芯の強さを感じさせる面立ちは、ディオンのそれによく似ていた。首筋の辺りで切り揃えられた、さらさらとした金茶色の髪、それに翠玉もかくやと思われる深い緑色の瞳も、ディオンのそれと同様だった。ディオンの姉、ディアネである。
ディアネは、ロルドとディオンを交互に見つめ、穏やかな声で言った。
「ロルド、ディオン、気をつけて行くのですよ。光風の神の祝福が、あなた方とともにありますように」
「ありがとうございます」
「姉上にも。大丈夫、無事、ハシャルたちを連れ戻しますよ」
ディオンは、自分よりもロルドの方に、姉の視線が僅かに長く留まるのを目敏く認め、微かな笑みを口許にそっと浮かべた。ロルドの方でも、静かな、それでいて熱いものを秘めた双眸で、ディアネをじっと見つめている。ディオンは、何か口実を見つけて、少しばかりでも、二人だけの時間を作ってやろうと思った。
しかし、ディオンが口を開きかけた矢先、そこへ、もう一人、今度は若い男性が大股に近付いてきた。ディオンが気付いたより先に、ロルドは気配を察しており、既にそちらの方へと視線を移していた。ディオンとディアネも、そちらを見やる。ディアネの瞳が、陽光を遮られた森の木の葉のように、一瞬、掻き曇った。
「ディアネ殿」
若い、白皙の男性は、冷たい、どこか虚無的な声音で言った。超然としたはしばみ色の瞳で、ディアネを見る。
「ディアネ殿、こちらにおいででしたか。この度は、弟君が厄介な旅に出られることになったそうで、たいへんですな」
そう言いながらも、その肝心の弟、ディオンのことは、殆ど眼中にないようだった。ロルドにも、全く関心を向けていない。
「ルーレオ殿、どうしてここへ? それに、どうして弟の旅のことを、ご存じなのですか?」
ディアネの問いに、若者、ルーレオは、冷ややかな声で答えた。
「神殿で、あなたがこちらへ向かわれたらしいことと、弟君の旅のことを小耳に挟んだのです。ご近在のお宅のお子様方が、失踪したそうですな。わたしにできることがあれば、おっしゃって下さい。協力します」
ディアネは困惑しながらも、丁寧に礼を述べた。
「お気遣い、ありがとうございます。そのお気持だけで、充分です」
ディオンは、湧き上がる不快の念を、多大な労力を払って抑えた。隣のロルドは、密かに拳を握り締めている。彼も、ディオン同様、いや、それ以上に、不愉快な思いをしているのだろう。
このルーレオという男は、二十代半ばという若さでありながら、ミリスリィの魔法使い組合の重鎮となっていた。中背で、痩せた身体つきをしており、秀でた額、細く冷ややかなはしばみ色の両眼、面長な顔に、どこか人工的で無機質なほど正確に配された目鼻立ち、それに薄い唇は、いかにも頭脳明晰な切れ者といった印象を醸し出している。だが同時に、彼は、冷然とした、人を見下したような空気を纏っており、それが、ディオンは好きになれなかった。実際、ルーレオは、己が価値を認めた者にしか、関心も情けも示さない。
そんなルーレオが認めた、ディアネは、数少ない人物の一人だった。いや、端的に言って、ディアネは、ルーレオがただ一人異性として認め、求めている女性なのだった。それ故、彼は、ここ数年、何かとディアネに付き纏っている。しかし、こんな男に、まともな愛情など、あるのだろうか。あるのは、ただ、支配欲だけではないのだろうか。ディオンは、そう思っていた。こんな男が姉に懸想し、付き纏うなど、まことに腹立たしいことだった。けれども、姉は優れた神官であり、自分の面倒は、自分で見ることができる。ロルドも、ディアネの実力を、承知していた。
ディオンとロルドは、急がねばならなかった。後ろ髪を引かれる思いで、ロルドは言った。
「それでは、ディアネ様。俺たちは、出発します」
ディオンは、わざとらしくルーレオに向かい、お辞儀した。
「ルーレオ殿、わたしたちは急いでおりますので、失礼します」
ルーレオは、ようやくディオンとロルドの存在に気付いたかのように、二人を一瞥した。どうでもよい調度品を見るような目だった。事務的な、感情のこもらない声で、とってつけたように言い放った。
「気をつけていかれよ」
ディアネが、愛情の滲む静かな声を重ねた。
「無事を祈っています」
ディオンとロルドは一礼し、踵を返した。ルーレオがディアネに何かを話しかける声が聞こえてきたが、二人は、振り返らなかった。ルーレオの言葉を適当にあしらいながら、じっと、ディアネは弟とロルドの後姿を見送っていた。その温かい視線を、二人は感じていた。
二人の姿が見えなくなると、ようやくディアネは、背を返した。ルーレオは、しつこく今回の件への協力を申し出、今回の件について微に入り細を穿って聞きたがった。しかし彼女はそれを丁重に断った。今のところ、父たちは、魔法使い組合にまで協力を要請するつもりはないのである。もし魔法使い組合の力を借りるとしても、そのときは、ルーレオではなく別の人物に依頼することになるだろう。ルーレオに恩を着せられることになるのを、父たちは望むまい。ルーレオがディアネの故に、折りあるごとに父に取り入ろうとしていることに、父は、気付いている。そのことを、父は、快く思ってはいない。だが、それ以上に、彼女も父も、ルーレオに、何か、近づくだけでざわざわと肌が粟立つような、ひどく禍々しいものを、感じていた。
ルーレオが送っていこうというのを、やんわりと拒絶し、ディアネは、独り、神殿への帰路についた。
続く
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