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【文学フリマ東京40】「内向型と外向型の哲学 ──ユングのタイプ論からMBTIへ──」の後編が出ます!

文学フリマ東京40にて「内向型と外向型の哲学ーユングのタイプ論からMBTIへー」の後編を出します!前回『ホーレン』に寄稿した前編の続きで、完結編となります!

・場所    東京ビッグサイト南3-4ホール
・日時    5/11(日) 12:00〜17:00
・ブース   き-67
・サークル名 ホーレン(主宰:浅間香織さん)

※「内向型と外向型の哲学 ──ユングのタイプ論からMBTIへ──(後編)」が収録されているのは『ホーレン』2号になります

購入はこちら

https://horen.booth.pm/

前編は1号、後編は2号に掲載しています。

前編のあらすじ(本編より抜粋)

 前編ではまず、ユングの『タイプ論』から内向型と外向型の定義について触れた。大雑把にまとめると、内向型は主体に関心が向き、外向型は客体に関心が向いている。内向型では主にヘーゲルやアードラー、シラー、ユングを取り上げた。外向型ではマルクス、フロイトなどを取り上げた。この分類に基づき、哲学は内向的な理論であることを示すのが本稿全体を通じての目的である。
 さらには「主体性」という概念が内向型の本来的に持っている性格に当てはまるものであり、反対に外向型の本来的な性格に反するような構えであることを示した。もし主体性が性格に直結するようなら、それを強制することは抑圧的にならざるを得ないだろう。内向型の哲学はこのような抑圧に手を貸しているのではないか。そのため、各時代の哲学をタイプ論というフィルターを通したうえで分析し、内向型の哲学の「外部」にある哲学を発見することも、本稿のねらいとなっている。

内向型と外向型の哲学 ──ユングのタイプ論からMBTIへ──(後編冒頭より)

前編の紹介記事はこちらから↓

後編の内容

後編では6章でニーチェを、7章でハイデガーを、そして8章でサルトル、バルト、ラカン、ドゥルーズを主に扱います。各章では、まずそれぞれの哲学者たちの思想を取り上げて解説し、次にユングのタイプ論に当てはめて、彼らの思想が内向型と外向型のどちらの哲学と言えるのかを分析します。

ニーチェの章では主に『曙光』と『善悪の彼岸』、そして『道徳の系譜学』といった著作から、ニーチェの主要概念である「力への意志」を取り上げます。さらに力への意志がユングのタイプ論の観点からどのように解釈されるかも見ることになります。

力への意志から派生して、ハイデガーの章では彼の講義録である『ニーチェ』における力への意志批判を見ていくことになります。『存在と時間』の著者としてよく知られるハイデガーですが、ジャック・デリダなどの現代フランス哲学への影響なども鑑みると、『ニーチェ』は非常に重要なテクストとなっています。そしてこのテクストはニーチェの力への意志への批判として展開されながらも、ユングのタイプ論から見ると、どちらも内向型の哲学として分類されることを明らかにします。
なお最新のニーチェ研究では、力への意志はニーチェの著作の中ではそれほど重要な概念ではないのではないか、という意見もみられるようになってきています。それでもなお、本稿でハイデガーやユングといった過去の時代の哲学者や心理学者の力への意志の解釈を採用することの理由も、6章で述べたつもりです。

続いて8章では、『存在と時間』などの前期ハイデガーの思想に影響を受けたサルトルの実存主義と、それを批判的に見る『ニーチェ』や『ヒューマニズムについて』などの後期ハイデガーの思想とそれに共鳴するジャック・ラカンやロラン・バルト、ジル・ドゥルーズといったフランス構造主義との対立を確認します。最終章であるこの章では、実存主義が内向型の哲学であるのに対し、構造主義は内向型の哲学でも外向型の哲学でもない、第三の道を見出した哲学であるとして、タイプ論における二項対立からの脱却が図られます。

本稿を通じて私が伝えたかったことは最後の後書きにまとめました。簡単に言えばそれは「たった一つの真理などは存在しない」ということです。それはユングのタイプ論自身にも言えることでしょう。我々は知の歴史の発展過程として、まず全人類にとってただ一つの真理があるという前提を退けました。それは近代ではじめて定式化され、ユングの心理学における「個性」の尊重にも象徴される出来事です。ただし個性をタイプ論として類型化することは、またも個性の排除に繋がりかねません。それはタイプ論が人類ただ一つの真理であるという思想となんら変わらないことです。そうならないためには、ユングが『タイプ論』で述べたように、さらにタイプ論を厳密に分析し不断に発展させていくことが必要です。
私見を述べるならば、このような知の歴史の発展過程の到達点は、各個人がそれぞれ独自の真理を獲得することです。個人主義をベースとして、いかにして個々人が各々の真理を発見していくか、このテーマが私の次回以降の評論の課題となっていくかもしれません。

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