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不可能に見えるものを、信仰とユーモアをもって再び築き上げる:Z世代のレコンキスタ


以前の記事でも少しご紹介したのですが、アメリカの若者リチャード・アッカーマンさん(23歳、通称 Redeemed Zoomer )は、「オペレーション・レコンキスタ」という運動を進めています(過去の記事はこちらこちら)。

この物語は、単なる信仰の再建の記録であるだけでなく、“若い世代の声をどう受け止め、伸ばしてゆくのか”という教育の根幹にもつながる問いを秘めているように思われます。

今回は、彼が実際に教会を訪ね歩き、信仰を守ろうと奮闘する少数派の牧師や神学者たちとの出会いを中心に、その挑戦と希望の物語をお届けしたいと思います。



ユーモアと信仰のレコンキスタ


彼の目指すものは、かつてキリスト教的価値観の基盤だった主流派プロテスタント諸教会や教育機関を、文化マルクス主義的な潮流から取り戻し、再び正統的な信仰の場へと回復させることです。こう聞くと、厳しい闘争や重苦しい議論を連想するかもしれません。けれど、彼の魅力はむしろ逆の方向にあるのです。

その象徴的な一例が、クリスチャンの間でよく知られる「WWJD(What Would Jesus Do?)」をめぐる彼の発想です。WWJDとは、「イエス様ならこの時どうするだろう?」という問いを日常の中で思い出すために、若者たちがブレスレットとして身につけるものです。困っている人を見かけた時に、イエス様ならきっと助けるだろう…そんな優しい思いを形にする合言葉なのです。


WWJDのブレスレット


この有名な合言葉をもじって、リチャードさんは「WWMD(What Would Marxists Do?)」と明るく元気に呼び掛けているのです。初めて聞いたとき、私は思わず微笑んでしまいました。けれどもそれは単なる冗談ではなく、実は深い意味を持っています。

リチャードさんによれば、文化マルクス主義者たちが主流派教会や、(ハーバード、イェール等の)主要大学諸機関を“乗っ取る”ことができたのはひとえに、彼らが驚くほど忍耐強く、決して諦めず、長い時間をかけてイデオロギーを浸透させていったからなのです。

その粘り強さを逆手にとって、「もしマルクス主義者だったら、この時どう行動するだろう?」と自問することは、レコンキスタ運動を進める上で大きな助けになると彼は語ります。

その発想には遊び心があり、重苦しさを感じさせません。まるでマインクラフトを楽しむように、創造的で自由に、世界をもう一度建て直していく姿勢に、心が軽くなります。そして「不可能に見えるものを、信仰とユーモアをもって再び築き上げる」という前向きな挑戦に、私も深く共感し、希望を抱かされます。


少数派から始まる再建の息吹


リチャードさんの語る中で、私が特に心を動かされたエピソードがあります。彼は言います。「統計でも明らかなように、自由主義神学や文化マルクス主義に染まった教会や教団は、いずれ必ず衰退していく」と。なるほど、考えてみれば当然のことかもしれません。世の中と同じ価値観にただ迎合してしまえば、人々はわざわざ教会に足を運ぶ理由を失ってしまうからです。

彼の属するPCUSA(アメリカ合衆国長老教会)もリベラル化が進み、多くの保守的な教会員が見切りをつけ、早期に撤退していきました。堅実な信者たちに見放された教団はさらに逸脱を深め、その結果、撤退者がますます増え…という負のループに陥っていったのです。リベラル化が進む教団の中で、正統な教えを守ろうとする少数派は、まるで幽霊のように影が薄く、正しいことを語るたびに排除されかねない、厳しい状況に置かれていました。

それでもリチャードは諦めず、あえてその教団に留まり、教会を訪ね歩く中で、ある日、信仰の核心をしっかり守る牧師に出会ったのです。彼の心は躍りました。

実際、その教会は、大きなリソースを持ちながらも、集っているのはブーマー世代のわずかなお年寄りだけでした。けれども、リチャードさん新婚夫婦が加わり、若者たちを連れてくると、教会は一気に活気づきました。わずか数か月のうちに、奥さまは日曜学校を取り仕切り、彼自身も中心的な働きを任されるようになりました。

さらに驚くべきことに、彼が入学したアイオワ州のPCUSA教団神学校は、教授陣がそろって「オペレーション・レコンキスタ」に公式に協力を申し出たのです。先月には、その神学校のリチャード・バーネット教授が、嬉しそうにリチャードさんのYouTubeに登場し、ご自身の最新作であるグレシャム・メイチェンに関する著書について語っておられました(動画はこちら

ひとりの若者が始めた運動に、神学校全体が共鳴し、共に立ち上がりました。そのことを知ったとき、私は胸がいっぱいになりました。

そもそも、リベラル化し、塩気を失ってしまった主流派教団を取り戻そうという、その発想自体が驚くべきことだと思うのです。これまで保守派は、どちらかというと、分離した後に防衛や守りの態勢をとり、純粋性を保つことに重きを置いてきたように思います。けれど彼は、その「保守派の常識」を一気に覆し、新しい可能性への扉を開いているように見えるのです。


この「オペレーション・レコンキスタ」は、世界中のクリスチャンに開かれています。ただし、対象は「歴史的プロテスタント諸教団」に属する人々に限られます。長老派、メソジスト、ルーテル派、改革派、聖公会(アングリカン)などの主流派の教団が該当します。

私は東方正教会に属しているため直接参加する資格はありません。しかし、だからこそ感じます。対象を明確に絞っていることは、運動を実効性あるものにするための、とても知恵深い判断だということです。曖昧に広げるのではなく、具体的に「取り戻すべき場所」を定めることで、その働きは一層力強く、豊かな実を結ぶのだと思います。

日本に目を向けても同じことが言えるでしょう。日本基督教団や日本福音ルーテル教会、日本聖公会などの歴史的プロテスタント教団に属する方々が、この運動の参加対象だと思われます。


若き使命人をどう遇するか


さて、私たちのまわりを見渡したとき、何かに希望を見いだし、改革を志し、火のように熱く語る“リチャード”はいるでしょうか。そうした志が摘まれることなく、萎縮することなく、健やかに伸びてゆけるかどうかは、やはり周囲の環境が大きいように思います。見守り、支え、そして後押ししてくれる人がいてこそ、若き志士たちはのびやかに育ち、その志を実らせていけるのだと思うのです。

リチャードさんの場合も、牧会経験豊かな師たちが、彼を「破壊」するのではなく、「私共が応援するから君はどんどんやりなさい」と激励してくれたことで、その若き挑戦は確かなかたちを帯び始めました。若い情熱と老練の知恵が響き合うとき、運動は芽吹き、やがて豊かな実を結んでゆくのでしょう。

良き理解者、支援者、教育者に囲まれ、のびやかに成長してゆくリチャードさんを思うと、私は同じZ世代の改革者・首藤小町さん(随筆家)の姿を想わずにはいられません。折しも今朝、彼女は「続・空転する教育論」を公表されました。

お二人は異なる領域に身を置きながらも、この時代に特有の使命を担い、保守社会に真摯な問いを投げかけている点において、確かに響き合っているように思えます。

あるグループや社会が刷新の契機を得るか否かは、こうした若き使命人たちを私たちがいかに遇するかにかかっているのではないかと感じることがあります。彼らの声を尊び、その志を伸ばすのか。それとも、出る杭を打ち、萎縮させてしまうのか――。そこにこそ、社会の真価が映し出されているように思います。

もし、私たちの前にリチャードさんのような志士が現れたなら、私たちは彼/彼女にどのように寄り添い、どのように励ましてゆくことができるでしょうか。この物語に触れるたび、私の心も熱く震わされるのです。






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