405 『源氏物語』から見た現代 【第2回】「推し」と「後ろ盾」 責任から逃げる
2024年1月から断続的に読んできた『源氏物語 A・ウェイリー版』(紫式部著、アーサー・ウェイリー訳、毬矢まりえ訳、森山恵訳)は、主人公の光源氏が亡くなったところまで読んだのですが(3巻の「雲隠」)、ここまでに感じたことをAI(Gemini)と会話していたら、現代の私たちの生活や生き方との関係が見えてきました。平安はそんなに遠い昔ではないような気がしますし、現代とかけ離れた別世界でもないような気もしてしまう。そんな話を3回に分けて連載します。今回は2回目。
源氏物語はいまから1000年超前に紫式部によって書かれたフィクションでありファンタジーだと解釈するのが通常でしょう。ただ、生活や心理はその頃の実態を反映しているのではと仮定して考えています。またあくまで私の勝手な読み方の結果ですので、間違い曲解もあるかもしれない点はご容赦ください。
責任を取れ!
「責任を取れ!」なんて言葉、 今の日本で、暴力的な響きと感じる人も多いかもしれません。責任を取る地位にはつきたくない、と思う人も多いことでしょう。
武士の世界なら、「切腹」がまさに究極の責任を取る行為。命がけの清算です。いまも「引責辞任」なんて言葉はよく耳にします。「引責」、つまり責任を取ることですよね。しかし、「責任を取れ」にはパワハラや脅迫、あるいは社会的抹殺につながる恐ろしさがあります。どこかに逃げ場はないかと探します。やがて、逃げ場を提供する人たちも現れる。「私が責任の一端を負いましょう」と、保険を引き受けてくれる人たちです。
源氏物語を読んでいると、平安時代はどうやって責任を取っていたのだろう、と思うのです。作品の中では個々の責任は果たしたり果たさなかったり。そこで悶々とする光景も描かれています。引責としては引退(隠居)、仏門に入るといった形が目立ちます。「公的な力を失う」ことで自然に責任を取った形になっていく。もっとも出家しても力を保っている、あるいはさらに強力になる例(院政など)もあるのでいわば本音と建て前。形式的には仏門に入れば世俗での権利を失うものの、責任もまっとうしたとみなされるなんて、仏教の日本的な解釈かもしれないですね。
もちろん引責の気持ちはありますが、宗教にすべてお任せする。その結果、寺の力がどんどん増して行くわけですけれど。これって「誰かに代行してもらう」仕組みですよね。 俗世間を捨てて頭を剃って、仏の力を借りて寺を強靱化させることで、そもそも自分にあった権力に外部の寺をプラスしてしまう。責任を取らなくていい存在になっていく。
貴族たちの「責任の外注」
平安貴族たちは、一見すると非常に優雅ですが、軍事力もなければ実務能力も乏しい、極めて「脆弱な」存在です。「源氏物語」を読む限りそんな風に見える。もし彼らが責務のために自ら武器を持って戦ったりしたら、すぐに滅ぼされていた可能性もあります。
だいたい大河ドラマ「光る君へ」を見てもわかるように、貴族の住む屋敷は、侵入者を拒む構造とは言えません。その気になればあっという間に壊されてしまう。そんなことより風雅を尊んだと言えば聞こえはいいけれど。
彼らは自分たちの手を汚したくないので「責任の外注」へ走る。 汚れ仕事や暴力、地方の徴税といった「リスクを伴う実務」はすべて武士に任せ、自分たちは「権威(ランク)」を与える高い場所へ閉じこもる。もちろん最初からそうだったわけではなく、貴族たちが自ら実力行使する検非違使などもありました。少なくとも「源氏物語」で描かれている平安時代には、検非違使は軍事力や警察力を持っていたはず。でも、相手が徐々に大きくなり地域も拡大し組織化されていく。「強敵」となっていくにつれてスペシャリストを求めるようになっていきます。で、武力を持つ平家対源氏の末に鎌倉幕府へと変貌していくわけですよね。
明治維新で解体された朝廷は、長い年月、朝廷内で責任を誰かが取るような構造になっていませんでした。なにか起きてもちっとも結論は出ず、いたずらに引き伸ばすことが多かった。だから明治政府はこれではダメだと朝廷そのものを終わりにしたのです。
何か問題が起きても、「それは現場(武士たち)にお任せ」と切り離し、自分たちは国体を守るための神聖な儀式の中に留まる。この「実力(暴力)」と「権威(正当性)」を分離させた統治スタイルは、いまの日本にもたぶん、もの凄く大きな影響を与えていると感じませんか。
いまの日本の最高責任者のあり方、責任の取り方を、注意深くチェックした方がいいのですが、一方で「そんなことはするな」と主張する人たちもいるわけです。責任は下の者が取り、上の者は温存する社会。いまに始まったことではなくむしろ日本的な組織だと言えますよね。
世界史をざっと見るとこれが決して日本的なだけではなく、世界中のさまざまな時代に存在していた無責任な構造だと言えるでしょう。ただ日本はほぼ全歴史にわたってそれが継続している点でユニークなのです。

究極の後ろ盾が欲しい
この日本的システムの頂点は天皇です。 そもそも朝廷は、天変地異による災害ですらも最終的には天皇の責任になってしまうことを恐れて、曖昧にする構造を作り上げていたのです。太政官と八省といった組織はあったものの、機能していた部分は限定的だったのではないでしょうか。
面白いのは、圧倒的な力を持っていたはずの武士たち(織田信長や豊臣秀吉、徳川家康ら)が、誰一人として天皇を滅ぼして自ら王になろうとはしなかったこと(信長は王になろうとして明智に殺された説もありますけれど)。
時代劇的に言えば「畏れ多い」みたいなセリフで片付けてしまうけれど、私としてはそこはまったく納得できません。まあ、現代に生きているからでしょうけど。日本の「畏れ多い」って。忖度ですよね。
王になればすべての権力を手に入れると同時に、すべての責任(天災、飢饉や戦乱を含め)を自分で負わなければならない。誰かの挑戦を受けて戦い、負ければその王は殺されるか追放される。
天皇という「超越した後ろ盾」を立てておけば、自分たちはその「代理人」として振る舞い、責任範囲を分散あるいは限定的に留めることができます。
朝廷が武士を求めたように、武士も朝廷を求めたと考えてもいいのではないでしょうか。
そこには統治する者(朝廷)によって経済が握られていたため、武士たちは自分たちの得る物を朝廷から得なければならないシステム(いまの自衛隊や警察が公務員であるように)を都合のいいものと考えたのかもしれません。この経済そのものを奪うことにも信長はある程度、自信はあったのでしょう。遡れば平家も経済を自分たちのものにしつつあった。そうした行動は朝廷を脅かす畏れ多い行為として、公明正大に討伐してよい理由になったのです。信長のような強い武士でも日本の統一はできませんでした。
秀吉によって日本は統一され経済も手中に入れたので、さすがに朝廷はかなり危うかった。ただ秀吉は自分の出自(農民の出)をなんとか権威付けたいと願い、それを朝廷に求めたため、王になろうとはしなかったのだと解釈できます。つまり、日本を統一したら後ろには誰もいない、その不安感を朝廷に解消して貰うわけです。
「源氏物語」の時代から婚姻によって家族を結びつけて力を強くすることも、日本的な発想としてありました。子がいなければ没落もあっという間。一方、いい婚姻、そして出産は繁栄への道でした。そこに朝廷の権威を絡めたのは日本的なスタイルだったと言えます。
この日本的スタイルの強さはいまもなお残っています。それは幕末の「尊皇攘夷」という嵐さえも、日本的スタイルの延長線上にあったからです。 「外国を追い払う(攘夷)」という不可能なミッションの責任を誰も負いきれなくなったとき、「天皇」を持ち出すことで、古い幕府のシステムをリセットし、自分たちを近代化へと正当化しようとした。明治政府は、天皇制を強化することで日本的スタイルを維持しつつ海外の技術や文化も採り入れて近代化しました。
第二次世界大戦での日本の敗戦による民主化でさえもこの日本的スタイルは保たれました。憲法に「象徴」として保たれることを明記したのです。ただし、明治政府からの天皇制はすべての責任を天皇に求めたので(「統治権ヲ総攬シ」と大日本帝国憲法)、間違いなくすべての責任は天皇にありました。それなのに、天皇を失うことは考えられなかったため、いちいち責任を取ることはありませんでした。
明治維新のときに朝廷は無責任で非効率だからと潰したのですが、その時に誕生した内閣、国会もまた朝廷と同じ状況に陥ったのです。結果、誰もがある意味で無責任になりがちで無謀な戦争を始めたくせに、終わらせることもできなかった。この責任は誰が取るべきだったのか。いまを生きる私たちも、明確に名指しできないのです。
戦勝国たちによる裁判で戦犯を裁いたものの、民衆の蜂起で責任者を断頭台へ送ったわけではありません。いまの日本の民主主義の弱いところは、このあたりにも起因している気もします。
「推し」を盾にする現代人
天下を獲った秀吉でも皇室の後ろ盾を求めちゃう。「源氏物語」でも頻繁に後ろ盾の話は出てきます。それがない人は可哀想なので、光源氏はなんとか手を差し伸べたい。そのためにいろいろする。一番強い方法は娘を貰うことです。その娘が権威の子を生めば、家族もその子の親戚になるので存在感を出せる。
「さすがに、いまの時代には、そんなことをする人はいない」とまでは言い切れない。誰とは言いませんがいまだにそれはありますよね。ある政治家の家族は皇室に嫁いでいる。それをあからさまに権威だの後ろ盾だのと指弾する人こそあまりいませんけれど。そう言われないから、なんの権威にもなっていない、後ろ盾なんてあり得ないと言えるでしょうか?
日本的スタイルには「忖度」もセットされているわけですから。「畏れ多い」は「忖度」にとても都合のいい心理です。
「そんな特殊な例で決め付けられてもなあ」と思うでしょうか?
私は、この「後ろ盾を求める」メンタリティは、いまこの社会で起きている「推し活」や「帰属意識」にも色濃く反映されていると思っています。
特定の強力なリーダー、あるいは歴史ある家系、さらには「日本」というブランド。 自分の外側に大きな「権威」を見出し、その傘下に入ること。それは広い意味で「推し」の論理です。しかも推す側は匿名の下に隠れて行動します。自分の名はいいのです。大事なのは推しの名であって。「○○を推している」誰か、でいい。
先日、Netflixで「地面師たち」を見たんですが、そこでまあエンタメ作品なのでかなり誇張されているとは思うものの、ある企業の「会長派」とか「社長派」なんて話が出てきて、「ああ、ここにもしっかり日本的システムが根付いているなあ」と思いました。もちろん、こういう構図は日本だけではないでしょう。人類特有の根本的な構造なのかもしれません。
「私はこの人の支持者だから」「私はこの人を推しているから」 そう語るとき、私たちは個人の頼りなさを補うと同時に、何か失敗したときの責任をその大きな存在へと「外注」している。これがさらに強くなると、自分の人生をその人に預けることになる。預ける決断をした当人は「ほかになにができるんだ、選択肢はないじゃないか」と開き直るかもしれませんが、もしも預けた先が潰れたとき「あいつが悪い」と責任を押しつけてしまえば安心なのでしょうか。匿名の自分は傷つかないでやり過ごせるでしょうか。
成功を推しに託す。自分の人生の喜びを推しに託す。お金で責任を転嫁し、代行サービスに謝罪を頼む。 それは一見冷淡に見えますが、平安から続く「脆弱な個が生き残るための生存戦略」のひとつだと、私には見えます。私だって便利で安心なサービスがあれば利用します。自分で武器を持って家を災厄から守るより、警備会社のサービスを利用するでしょう。
しかし、誰もが責任を誰かに預け、匿名という盾の裏に隠れてしまったら、私たちは一体「何者」として生きていけばいいのか、という疑問は残ります。
本名を隠して匿名で生きる部分が大きくなっていく社会では、 「なりすまし」が当たり前になると同時に、私たちのプライドも彷徨うことにならないか。
自分を個人として独立した存在で生きて行くことは、面倒で厳し過ぎないか? 平安時代ほどではないが、いつの時代も人生は短いのだから。
昭和世代の私としては、以上のようなことを誰かに言うと「青臭い」と批判されるかなと感じます。最近は「青臭い」と言う人も少なくなっていると思うので、ここではあえて思い切り青臭くやっていますけれど。
次回の最終話は、この責任回避型の「なりすましのユートピア」の先にある、アイデンティティの行方について考えてみたいと思います。
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