冬の星々(140字小説コンテスト2025)一次選考通過作
星々はnoteの生成AI学習対価還元プログラムに参加していません。
(掲載作品のAI学習データへの提供をおこなっていません。)
季節ごとの課題の文字を使ったコンテストです(春・夏・秋・冬の年4回開催)。
冬の文字 「天」
選考 ほしおさなえ(小説家)・季節の星々選考委員会
一次選考を通過した110編を発表します(応募総数1358編)。ご応募いただきありがとうございました。
受賞作(入選4編+佳作6編)は3月下旬に発表予定です。
優秀作(入選〜二次選考通過の全作品)は雑誌「星々」(年2回発行)に掲載されます。
また、年間グランプリ受賞者は「星々の新人」としてデビューし、以降、雑誌「星々」に作品が掲載されます。
受賞作の速報はnoteやX(旧Twitter)でお伝えします。
一次選考通過作
藍沢空
放課後、誰もいない御聖堂に潜り込んで訥々と独り言を繰り出すのが、たった一つの心の平安を保つ方法だった。高い天井からの残響が私を包んで鎧になり、武器にもなる。戦場は日々広がっていく。せめて可愛らしさで装って鉄壁の守りを見せないように明日の風を読んでいく。いつか安心できるその日まで。
蒼井どんぐり
背もたれのない木製の腰がけ椅子、それにおばあちゃんがつけた名がエルーカ。私も見習い、ベッドから見える世界に名をつける。綿で膨らんだ枕には、ポマル。天窓に吊られている鳥の模型には、クシャカ。すると周りのものがずっと仲間になった気がして、私は顔も知らない母に、ハルヤナと名をつけた。
碧莉都
裏山の中間に置かれたピアノは捨てさられたのか、運ばれたのか。人が持ち込むにはどうにも苦しい。風の精の仕業か、天使の気紛れか。そう思えてしまう訳は夜空に寒月が浮かぶ頃、音がするからだ。鍵盤の。体から、天に向かって枝を伸ばし、音符の形をした葉を揺らしていたと風の噂を聞いたことがある。
青樹空良
天ぷらって黄色い油の中で一度沈んでから、パチパチって小さな泡を弾けさせながら上を目指して上がっていくよね。それってなんだか天国に昇っていく魂に見えない? だから、天ぷらには天って字が付いているのかな? 私も天ぷらみたいに天国を目指して昇っていくね。パチパチって魂を弾けさせながら。
青樹空良
私の歌は天使の歌声だと人は言う。私はいつも否定する。それは天使に失礼だ。誰にも言ったことがないけれど私は天使に会ったことがある。本物の天使の歌声を聞いたことがある。あの澄んだ美しい声。私では一生追いつけないと思えた至高の声。だから私は歌い続ける。あの歌声に少しでも近付きたくて。
赤い尻
閉店間際のスーパーで牛乳寒天を買う。見切り品だが、ミカンにはまだ息がある。ラッキー。潰さないようそっと寒天地から掘り出して、コップの牛乳に移してやると、たちまち元気に泳ぎ回る。うまくすれば三年は生きる。残った寒天は充分にフルーティだ。それにしても、なぜ惣菜コーナーにあるんだろう。
赤戸青人
摩天楼の屋上に鴉が集結し、叫び声を上げている。道行く人々は揃って顔を上げ、色とりどりのケースに入ったスマートホンを頭上へ掲げる。あの黒い渦の中心には何があるのだろうか? みんな気になっているはずだが、都庁前駅から溢れてくる灰色の人の波は、一瞬たりとも止まらなかった。
明野葉唄
届くかな、そうだといい。この旋律の切れ端でもいいから。駆け出しの路上奏者は想う。沁み入るかな、そうだといい。ひと匙の粥でも充分だ。介添人は切に希う。明日はあるかな、あるといい。今日と同じ地平の上で呼吸できる。それだけで日々が天上だったと。難民寸前の彼女は自身に語った。
あさか
天を見上げて、「あの星たちが私に語りかけるんです」という人がいる。何を語りかけるんだろう。私にはただの光にしか見えない。じっと見ていても何も感じない。特別な人は、あの小さい光に何を感じるんだろう。天が語りかけるほど、天から見ても私は光っていないのだろうか。
浅葱佑
せっかく旅行に行ったのに行った場所の地名が全然思い出せないと彼女は言った。すごく楽しかったのに。そういうことあるよねと口先だけで同情した。その日が彼女と会った最後だったのに、その会話以外には狭い天丼屋のトイレしか覚えていない。そういうことあるよね。あの日の言葉が沈むまで繰り返す。
浅草あくび
また落ちた。いよいよ人生終わったか。天を仰ぐと、落ちてきた雨粒が右目の眼球を直撃した。ははは面白い。いやそんなんだからどこも受からないんだよ。雨は本降りになって一張羅のスーツが異臭を放ち始めた。ジャケットを脱いで絞ると、革靴の上に汚水が跳ねた。まあなんとかなるっしょ。そっすね。
天沢蓮
人間が長い階段を登ったら天に着いた。人間が長い階段を降りたら天国に着いた。人間が長い海を泳いだら楽園に着いた。不思議がった天使は言う。「どこを通っても同じじゃないですか」それより上が言った。「だってどれも頑張って歩んできたんだ。それなら行く先は決まっているだろう?」
新木かおる
「天の川は釣れるって聞いてたけど、なんやボチボチやな」「お目当ては?」「チキュウっちゅうのを釣りたいんです。餌にえぇ感じのでっかい星を付けて、ぽちゃーん、としてるんですわ」
――案外こんなものなのかも。見上げると、寒空を切り裂く真っ赤な隕石。終末を前に私は独り、クスリと笑う。
五十嵐彪太
よく寝込む子供だった。起き上がれないが、眠るほどでもない。布団の中から天井を眺めるだけの時間を長く過ごした。長押に蜘蛛や蛾がいると、嬉しかった。天袋の戸が音もなく開き、白い手が伸びて彼らを捕らえ、引っ込む。あそこに雛人形が仕舞われているのを知ったのは、もう少し大きくなってからだ。
磯崎愛
生きていると何かが捻じ曲げられて歪むことがある。運命とは言うまい。鬱病で家から出られなくなった私はお茶の稽古にだけは行くことができた。ある日、基本へ返りましょうと桐木地丸卓が用意されていた。薄茶器を手に取って天板の真ん中にしつらえる。私の背筋は伸びて視線はしっかり定まっていた。
伊藤辰巳
見間違うはずない、あの特徴的な鼻。
真っ赤な色が、鮮明に記憶に残っている。
リンリンと言う鈴の音が聞こえたと思ったら、突然飛んで現れて、凄まじい風と共に通り過ぎて行った。
小さい頃から幾度となく聞いた、物語の姿と寸分たがわない。
神か妖怪か化物の類か。
確かに、あれは天狗だった。
犬山傑希
眠れないのでお茶を買いに出た。静謐な田園の中に自動販売機が浮かんでいる。お金を入れ、なぜか買ってしまったコーラをぐいと飲んだらデジャヴを感じた。瞳を照らす満天の星、草の囁き、涼風の匂い。ここにはないが確かに存在した遠い声が、そっと心の鼓膜をゆらした。バイバイ、また会おうね。
irohanoha
天を見上げると月が見えた。そういえば、月の土地って売っているんだよな。勝手にだけど。「それなら僕は空をもらおう。君には右半分の空をあげよう」と言うと彼女はこう言った。「境界線はどこかしら?ちゃんと半分になっている?」続けて笑顔でこう言った。「関係ないわね。じきに一緒になるもんね」
右近金魚
祖母の家に泊まるのが楽しみだった。昔々お蚕様を飼っていた天井裏に寝転ぶと、巨大なしっぽが天井から垂れてくる。幼い私は「化け猫様」と呼び、じゃれあった。しっぽだけでも私の唯一の友だった。祖母の旅立ちの朝にも、しっぽは天井にいた。お前も泣いてるの?にゃあ。白いふわふわにそっと触れた。
右近金魚
天地無用と記された箱を開くと、白い雲のような鳥がいた。父そっくりの声で「お腹と心は温かくするんだぞ」と言い、私に返信しろと長い首で促す。「ええと、お父さんの鉢植え大切にしています。そちらもお元気で」鳥が去った後、天国の人に元気でなんて変だったかなと苦笑いする。胸がふわふわ温かい。
臼井花音
天体観測は過去を覗き見ること、らしい。ずーっと昔の光を、私たちは今、受け取る。疎遠になった父からの手紙も、少し似ている。数日前の父の体温が宿っているような。返信が書けずに夜空を見ると、昔の光が目に映る。私に届く頃にはもう消えている、愛情と呼ぶには弱いけど、確かにそこにあった光が。
宴乃 夜
天窓を開けてはいけないよ。ゆいが大人になるまではね。祖母の口癖だ。だから子供の頃、よく窓の外を空想した。そこでは秘密の茶会が開かれ、猫たちが私にココアを淹れてくれる。やがて祖母は亡くなった。掃除のために天窓を開けると、そこには青空が広がるだけだった。私の子供時代は終わったのだ。
慈セレン
天気の悪い日、私はずる休みをする。そんな日にブレザーを羽織ると頭が重たくなるし、とても混んでいるスクールバスに乗るのは気分が沈む。だから明日は休む、と先生に言うと、君は君に真面目だね、と先生が微笑んだ。放課後の空には、もう明日の雨雲がかかっている。けれど、私の心は少しだけ晴れる。
m.moon23
天まで届け!と蹴り上げた靴が落ちてこない事があった。必死に探しても2人とも見つからない。先生に天まで届いたみたい、と言うと怒られて悔しかった。
ヤスト、靴見つけたよ。やっぱりあったよ。月面に落ちてる小さな2つの靴を遠隔操作で拾いながらほくそ笑む。地球に帰ったら先生に見せに行こう。
笈子
凍てつく空気に身を震わせた瞬間、妙な感覚に捉われた。あ、この感じ。答えを探すように天を仰ぐ。宝石のように星が煌く。この感じ、知っている。忘れていた感覚が、冷たい空気と共に全身を駆け巡る。そうか、私はもう大丈夫なんだ。白い息を吐く。その先には満天の星。今日は温かいスープを食べよう。
大西洋子
飼い犬との散歩者を見かけないあぜ道の、一足早く春が訪れる一角を目指して散歩に出る。
青々と連なる山脈の峰に雪はなく、けれど頬を撫でるその風は冬のそれ。小さな青の群生に時々ロゼット。目的のそれはまだない。つくしの佃煮、ふきのとう天ぷら。春の到来を告げるその味はもう少しの辛抱。
おおらり
天の川を見たことがある、秋に。大学のフィールドワーク中、お風呂からの帰り道。山あいの農村は空気がひんやりとして、さむいさむいと言いあった。誰かが私の肩を押し、誰かが星が綺麗だよと笑った。ひとりも名前を思い出せない。見たこともない程たくさんの、星が流れる川があって。目の奥に残った。
岡 杏浬
まず目を疑った。次に耳、そして鼻も。目の前には半壊したビル。天井が崩れている。隣のビルの屋上には、阿部寛似の男性が立っている。視線の先には怪獣がいた。男性は、何やら鎮めるように歌を歌いはじめた。どちゃくそ美声だ。怪獣が眠ると、私のそばに駆け寄ってくれた。星が瞬くような香りだった。
風上かなた
夕陽が巨大な腕に引っ張られ、路地裏が闇に溶け込んでいく。辺り一面にペンキをぶちまけたような黒。そこは危険だ。伸ばした手は女性の後ろ髪を掠め、天使は止むを得ず黄昏色の空へと引き返す。追いすがり、纏わりつくカラスがガァガァと嗤う。さぁ帰れ、急げ。早くしないとひっくり返るぞ。
形霧燈
天に召されると人は21g軽くなる。それを聞いたぼくは、動物はどうだろう、と考えてレオを体重計に載せる。サモエドのレオ。明日がその日かもしれないから毎日測る。ママは「仲良くなったね」と笑う。違う、残酷な実験なんだよ、これは。なあ、分かってんのかレオ。分かったらぼくのひざをなめるな。
加藤衣
人生の重さを量る天秤がある。一方の受け皿に自分が乗り、もう一方に置かれた釣り合いの取れるものを褒美としてもらえるらしい。近所の野良猫は、リンゴやパンなどを山ほど積まれていた。私の隣の受け皿に、「僕が乗ろうか?」と君が笑う。丁重に断ってから、私は空っぽの受け皿に本を一冊乗せてみた。
花明
まっさらな紙に尖ったペン先をぷすぷすと挿す。穴と穴とを線で繋ぐ。HB型ロケットペンシルは、そうして大小の星を旅してゆき、紙をぼくだけの星座盤にした。ほん座。つくえ座。オリオン座(気づくとそこにあった)。ちきゅうぎ座。サッカーボール座。窓にかざせば広がる天の川。ぼくの部屋は宇宙だ。
花明
墓場まで持ちゆかれた話も、天国では案外詳らかに語られるのかもしれない。俺も俺もと切り出し、笑い合ったり慰め合ったりする。父にもそんな話があるだろうか。今ごろ話に花を咲かせているだろうか。だから墓前に一輪、花が咲いたのだろうか。しゃがみこんで花を見ているあの女(ひと)は誰だろうか。
菊花 瞳
夜の帷を閉じ込めた小壜を一つ用意します。
コルクの蓋を開けるのはうっかり帷が逃げぬように、ゆっくりそっとに致しましょう。
北風さんにお願いして天に輝くお星を一つ、
小壜に入れてもらいます。
あなたの小さな手の中で、煌めき愛でたその後は、封じた小さな帷ごと天に還してあげましょう。
城崎悠李
祖父が亡くなり、遺品である天目茶碗を譲られた。とても綺麗で、ありがたく受け取った。天目茶碗には、夜になると海が現れることに、しばらくして気付いた。海の中には人魚が棲んでいて、時に歌を聞かせてくれる。歌に乗って、天目茶碗の水底から漂う抹茶の香りを嗅ぐのが、最近の楽しみになっている。
木畑十愛
この世を頑張って生きたのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、天国が幸せな場所だったらいい。
そこでは祖父の手足に血が通っていて、毎朝バイクに乗ってプールへ泳ぎに行けて、むせ返らずにご飯を食べられて、医者に止められることなくお酒を飲んで笑っている。
いつかそんな世界で、また会えますように。
キフネ
二次会会場を出て、街灯の少ない方向を目指して歩き続けた。坂道を駆け上がり、鳥居をくぐった。誰もいない境内で弁天様に手を合わせる。柄杓で掬った霊水を銭の端に控えめにかけ、白いハンカチで拭う。財布には戻さず、白い紙袋の底にしまった。視界にハイヒールが映る。漸くつま先の圧迫を自覚した。
清原 花華
花束を投げろ。花束を投げるのだ。英知が大地に根差すのであれば、喜びも苦しみも、踏みつけた地に有るのならば、幸せであると思え。もし、「」の意味が分からないのであれば、天を恨めよ。その手で、花束を天へと投げよ。「」に意味を見つけよ。意味を与えるのは「」なんだから。
桐田 大樹
天を信じない男がいた。祈りも奇跡も否定し、ただ働いた。ある日、娘が生まれ初めて天を仰ぐ。理由は神ではない。小さな命がそこに続いている気がしたからだ。夜空は答えないが、彼は黙って歩き明日へ手を伸ばした。娘の眠る鼓動が世界を前へ運ぶと信じて。それでよかった。今はただ、静に。
草野理恵子
植物園の入口で生温かい風が吹き辺りが靄った。そこで見ず知らずの人に過去のことを話した。人は青林檎をくれた。私はそれを丸ごとかじり歯茎から血を流した。血で滲んだ林檎を地面に置いた。枝が勢いよく伸び天に届きそうに見えた。降りてきた蝶が林檎にとまり血を吸うと私によく似た姿に形を変えた。
クナリ
教室の机の天板に「昨日僕を殺した犯人を捜して欲しい。森より」と書かれていた。私の初彼だった森くんの幽霊だろう。担任にそう報告すると首を絞められたので、逆に殴り倒して通報したら本当に犯人だった。放課後、暖色と寒色が混ざり合う黄昏の中、私は天板に返事を書きながら一人で泣いてわめいた。
久保田毒虫
今日も天から言葉の雨が降る。僕はそれに当たらないように避けて歩く。傘などない。僕はかつて言葉の雨に当たって死んでいった猫のことや君のこと、それから両親のことを考えた。言葉の雨に当たることこそが孤独からの脱却への近道なのだろうか。それらの根拠及び妥当性の判断は僕にはしかねる。
久保田毒虫
天高くから月が僕に話しかけようとしているが、なかなか話し始めない。どうしてそんなに遠慮をしているのか僕の方から聞いてみると、曰く「私は今日の日まで行動力だけで生きてきた。その好奇心を担保に。しかしその好奇心が誰かを傷つけている気がしてきた。故に話せない」と。
暮宮右京
日に日に溜まる雪を庭に積んでいったら、ちょっとした山になった。誰かがその山を掘って、見事なかまくらに変えてしまった。そうっと中を覗いてみると、きつねと鹿が歌い、笑い、踊っていた。近所で見かける天邪鬼な黒猫も。陽気な獣たちはチラリと僕を見て、入りたいなら入ってこいよと手招きをした。
暮宮右京
年越しそばを埋め尽くす天ぷらの山。二人きりなのに食べきれないよ。もう若くないんだからと言いかけて、やめる。いいよ、無理しないで。残りは天丼にするからさと母は笑う。母さんも少しくらい食べなって。少しのびた蕎麦を母の器にも取り分ける。できるだけ長いものを選んだ。口には出さずに祈った。
黒田幸人
もうすぐあなたの全てが報われます。耳元で天使が囁く。その声を聞いて涙が溢れた。苦労だらけの人生。碌な目に遭わず、貧乏クジばかりを引かされてきた。並大抵のマイナスじゃない。釣り合うならどんな幸福だろう。楽しみに待っているのだが、いまだに何も起きない。あいつはぺ天使だったのだろうか。
ケムニマキコ
勇気がないのです。天国みたいな曲ばかり流れる街で、僕らはゲームセンターに篭りました。言葉がコインに変わるからです。だ・い・き・ら・いの価値は5百円。あ・い・し・て・るも。コインはいつもぴかぴかで、とても退屈で、正しい。ぱん。僕の指がゾンビを撃つ。正しいお金で、間違いたくて。ぱん。
昂機
水金地火木土 海。天王星が家出した。いなくなった冥王星を探しに行ったらしい。ぽっかり空いた宇宙の隙を、土星の輪がなんとか埋めにかかっている。我らが地球はどっしり構えているけれど、自転に焦りが見えるようだ。水金地火木土っ海。リズムの空白が不在の証明。天王星は愛を伝えられただろうか。
佐伯寿和
私たちは毎日、天に浮かぶ宝石店を訪ねることができる。自分の目で見るもよし。湖畔に映して見るもよし。愛する人の瞳に見るもよし。こんなにも色んな方法で客は訪ねてくるのに宝石は一つとして売れない。主はその意味を勘違いし、毎日毎日宝石を作り直す。私たちには聞こえないよう、一所懸命に。
佐伯寿和
私たちは怒っている。彼らが付けた呼び名はあまりに理不尽だ。私たちは間違いなく彼らよりも勤勉で、間違いなく彼らよりもこの星に貢献している。それなのに、彼らはまるで災いの象徴のように恐怖の眼差しを向けてくる。私たちはただ、天に与えられた仕事をまっとうしているだけだというのに。
茶川つる
天国なんてあるわけがなくて、それはもう大人だから知っていて、たとえば大好きだったわんことか、愛していたあの人とか、あっちで待っていてくれているならそんな嬉しいことはないけれど、途方もない時間、待つことになって、寂しくて、だから天国なんてなくていいから、ずっと温かいここにいて。
笹 慎
品名に「ジャックの豆」と書かれたそら豆を買った。「庭に植えれば、空まで届く豆の木が育ちますよ」直売所のお姉さんが笑う。ジャックが何する話か思い出せない。そら豆は七輪の網の上。パチパチと水分が爆ぜる。やがて煙が細く細く高く高く天に登って行った。そら豆は美味しかった。
白埜京志郎
コインランドリーで微睡んでいると、稼働中の乾燥機の扉が突然開いた。「よっこいしょ」と気の抜けた声と共に子供の上半身が現れ、質量のある翼が飛び出てくる。頭には光の輪っか。絵に描いたような天使はこちらに気付くと「どうも……」とだけ言って、もじもじと洗濯槽の中に帰って行った。
新出既出
光に眩んだものどもが嵌る地獄の底から、天を憎悪する本能が浴びせかける礫に、大地は逆円錐形に抉れ、もがけど堕ちる。もがけど堕ちる。なすすべもなく堕ちゆくものどもの渇望は翅。翅。翅さえあれば。翅さえあれば。翅さえあれば。アリジゴクはそれ吸う。それはウスバカゲロウになり、天を目指す。
芹沢優作
池の片隅で一匹の蝌蚪が仲良しの泥鰌と戯れていた。そこへここの主である大山椒魚が現れ告げた。「何れ皆と別れの時がくる。それが汝の運命だ!」そう言い残し、淵の底へと消えていった。
ある闇夜。池畔に這い上がった一匹の青蛙が、運命など知る由もなく、ただじっと満天に輝く星々を見上げていた。
ソヴソゴ
鉄塔から落ちてくるのは兄の幻影である。或る決まった鉄塔の傍を歩くとき、天辺に揺れる人影を見る。影は地面に着く瞬間、紅茶に角砂糖が溶けるように消える。幻影を見た後、いつも兄から葉書が届く。大抵ひとことしか書かれておらず、家族は文面が短いと文句を言うけれど、私はその文字を抱き締める。
ソヴソゴ
りんごを四分の一だけ剥く。赤い皮はぽとりと落ちる。病弱な頃のあなたは刃物すら持たず、実へわずかに口付けて、ただ天井を見上げるだけだった。私の手首からちっとも離れなかった指が、りんごから皮を剥ぎ落とす。血が流れそうで流れない。あなたは今非常にやんちゃな瞳で、私から離れていく。
空見ハル
港町で、娘は最後まで待たれませんでした。
その理由を告げる人はいなくて、
掲示板の時刻だけが天に向かって剥がれていきます。
船は出て、潮は濁っていく。
私は改札で立ち止まり、切符を破りました。
地図の端が欠けていきます。
天では娘の年齢だけが照合できず、時間は消えていきます。
小鳥遊
「私、天国に行かれなくてもいい」優ちゃんが突然そう言った。私がどうして?と聞くと「私ね、本当は毎日恐ろしい事ばかり考えてるの。人には言えない怖い事を」と私の耳元で囁いたので、私はぞっとした。優ちゃんはその後ににっこり笑い「アイス食べに行こう」と笑顔で言ったが、私は動けなかった。
立花 腑楽
「殺風景なのでリフォームします」
頭の中の小人がそう言った。
「稼働率が低い脳は撤去し、代わりに娯楽施設を建てます」
結局完成したのはプラネタリウムだった。私の頭蓋を天蓋に見立て、小人たちは大宇宙に思いを馳せる。
擬似星が過剰に明るいから、私の眼窩からは時々シリウスの灯が漏れる。
橘ゆず
足先を入れる。冷え切ったふくらはぎ、みぞおちを順番に熱い湯につけ、ああと声をもらす。肩まで身を沈める。湯気と僕だけの空間が満たされていく。夢見心地で天井を見上げ、指先を広げて、血をすみずみに行き渡らせた。立春の日。春は遠からず。僕はただの幸福な泉に浮かぶハクモクレンだった。
舘崎かほる
夏と秋の色が混じりあう頃、漁火通りを車で走らせながら、空と飛行機を追っていた。逆上がりのたび、空へ落ちる気がしていた。見上げた天は、今も変わらない。町が秋へと傾く瞬間を、ひとつも溢さないように、マッチ箱へ閉じ込めたいと思った。
アオマツムシが遠くに消えた頃、双眼鏡で秋を覗いた。
田中 真由実
ラテの上澄みが、ほんのり甘い。残った泡をすすろうと、カップを傾ける。軽い舌触りに、ふと残る渇き。天の底がうっすら碧く透けて、夜が滲んでくる。暖色の灯るカフェ。移ろう車。進む世界に、ただ一人。窓辺に霞む眼差し。雨上がりの水彩に、街は浮かび上がる。反射が折りなす、天の奥行き。
田中希助
「あると思ったらあるし、ないと思ったらないよ。あ、今ないって思ったでしょ。ほら私の片足消えちゃった。え、まって、ちょっとどういうつもり!今すぐあると思って!そうしないと」と言って、目の前から天使が消えた。そうしないとなんだろう。僕は天使の顔と一緒に、少し大きめの鳥かごも想像した。
谷浦マサヒロ
仕掛けたバナナトラップからギイギイと奇怪な音がする。父さんだけはその音の正体を知っているらしく、何やら顔をしかめて人差し指を口元に立てた。ナスを半分にしたような体に白い斑点が入っていて、触覚が長い。顎はニッパーみたいで、指が切られちゃいそうだった。その怪物は天牛というらしかった。
月越瑠璃
友人は、生花を飾る私を笑った。温泉街で買ったちりめんのふくろうを蔑むように一瞥し、「すがっている」と言う。在るのは“もの"だけではないのに。それを、今度幼稚園に上がる小さな天使が教えたようだ。友人は体操着の名札の周りに、子どもの名前以上に大きなリボンのワッペンをふたつ付けていた。
月坂亜希
一人だとなんにもなれないけれど、二人をぎゅっとひとつにしたら天になるんだよ。へんなの、だからなんなの。君の言葉に笑って歩いて、天を仰いだ。冬の青空は高くて、なんにでもなれる気がしたし、ずっと変わらずにいたいとも思った。青空は高いままで、君はひとりで天に昇って、嘘じゃんって思うよ。
月夜でタンゴ
カチリと音がして上を向くと地窓が開いて大きな蜘蛛が顔を出した。こんにちはと言うと糸にぶら下がりながらスゥーッと降りてきた。蜘蛛さんどうしたんです。天から逃げた人間を捕まえて天に連れて行くところです。と脚で抱えた人型にぐるぐる巻になった物を見せて床の天窓を開けて降りていった。
戸田鳥
洗濯機の蓋を閉め忘れたせいで、星のカケラが洗濯物にいっぱい絡みついていた。
干しておけば夜の間に勝手に天に昇っていくと聞いたのでそうしたが、生憎その夜は雨だった。天に昇りそこねたカケラたちは洗濯槽に戻って雨をしのいでいて、代わりに洗濯物がびしょ濡れになった。僕はしこたま叱られた。
冨原睦菜
さらさら流れる星屑の天の川をうたた寝旅。ジャラジャラ音に目が覚める。岸に乗り上げたのかと起き上がると、流れているのはボタン。支流のボタン川に入り込んだらしい。手を伸ばし、ボタンをそっと掬い取ってみる。子どもの頃お気に入りだったワンピースのくるみボタンがころんと手の中で転がった。
トモ倉未廻
天国の赤ちゃん工場が私の職場。新人の時に間違ってスペック不全で出荷した子が心配で、毎日天国の入り口で待っていた。きっとすぐに戻ってくるから。現世って大変でしょ?辛いでしょ?けど、その子が帰ってきたのは100年後。すっかりしわくちゃになった顔に、独りよがりな私の謝罪は引っ込んだ。
trafalgar
父は晩年、天井を天と呼んだ。死後、母は天との距離を測り始めた。日々、天は膨張し、部屋は狭まる。ある朝、母は「天が触れた」と笑い、その輪郭を失った。今、部屋は高さ三十センチ。私は床を這い、天井の木目に埋まった母の眼球と視線を合わせる。瞬きまで、あと数ミリ。
なかいゆき
来た。しろたえ印刷の雨宮さん。来社予定表に丸をつける。紺のスーツ、波模様のネクタイ。「今日は午後から雪が降るそうです」彼は天気予報しか話さない。いつもより、ゆっくりと入館証を用意する。初雪ですねと返事をすると、彼はこくりと頷いた。無言。いっそのこと、好きですと言ってしまおうか。
長尾たぐい
君が嘘をつくと背中から白く輝く天鵞絨がすとん、すとんと生まれる。それがあまりに美しいから、君はさる場所で飼われている。私は訊く。「これ美味しい?」「不味い」些細な嘘じゃ駄目。「ここを出たい?」「出たくない!」この嘘は君の身体を包むほどに大きい。これを訊かれても君はもう泣かない。
永津わか
布団に入るのが嫌いだった。目をつむるのは怖い。上には何か見える気がする。そんなある日、天井が海に変わった。波がたゆたゆ流れる。蛸が足を振り鯨が顔を出す。銀色の大群が身体を閃かせて夢へ連れて行ってくれる。けれどどうしてもさみしい夜には、海の全部が滴って部屋を埋め尽くしてくれるのだ。
凪みかん
溜まった洗濯の合間。滅多に聴かないラジオからは、誰かのリクエストに合わせ、週末の天気予報。ビロードの夜みたいな歌詞が降水確率よりも音になり、声を乗せてたら意味がずれた。口ずさむのはやめた。「あすからしばらくぐずつくでしょう」で終わり、季節が巡って二人が止まった、たぶん恋の歌。
75
青信号を前に、大勢の歩行者がいた。誰も最初の一歩を踏み出さない。青は続く。一人の男が渡り始める。止まらない。横断歩道を越え、そのまま向かいのビルにぶつかった。男は止まらない。青信号は揺れている。夜になっても信号は青のままだった。街には真っ直ぐな足跡だけが残って、天の川は満足した。
七日間合唱団
やっぱり一番は天丼ですね。そりゃ海鮮丼もいいですけど、海と空とじゃあスケールが違う。玉子丼とかも嫌いじゃないですよ、微笑ましくて。でもやっぱり天丼です。ああ、一度でいいから天丼をのせてみたい。そしたら丼冥利に尽きますよ、本当に。でもまあ、しばらくは、うどんの丼として頑張ります。
二宮白黒郎
先の天災で暦は全部だめになった。
二五日が三日続いて多くの企業が賃金を三回支払った。
二六日へのバイパス工事が進んでいるが、二十日が給料日の俺にはどーでもいい。
問題は木曜が八日続いていることだ。木曜は残業の日なのだ。作業着の洗濯が追いつかない。せめて水曜なら惣菜が安いのだが。
野田莉帆
花びらが落ちて、葉が枯れて、種が黒くなったのを確認してから収穫する。朽ち果てた姿に「ありがとう」と伝えて、天使は種を乾燥剤と一緒に小瓶へ入れた。いくつかをコウノトリたちに託す。新しい生命が地上へ運ばれていく。それを見届けた後で、天使は花の亡骸を埋葬した。再び生まれ変われるように。
野村齋藤
天井から吊るされた古い巻物を紐解くと、そこには「飼っていない部分」の街が広がっている。私は針と糸を持ち、破れた空と地平線を縫い合わせる。昨夜死んだ海豚の声を裏地に忍ばせれば、世界はまた静かに呼吸を始めるだろう。指先に刺さった光の破片は、抜かずにそのまま、明日の灯火にする。
橋本航
彼女はとてつもなく天才なので、二手も三手も先を行きます。ぼくが頼む前に買い物を済ませ、ぼくが怒る前にごめんなさいねと言い、ぼくが好きだと言う前にありがとうと言います。かわいげがないと思いますか。決意の日、ディナーの前菜で既に真っ赤になっているあなたの顔を無視して乾杯から始めます。
barな子
「余り物だ、全部食べちゃえ」
家族で除夜の鐘を聴きながら、私は天かすを蕎麦に入れる。
来年は少し贅沢に天ぷらでも買おう。もっと頑張って幸せにしよう。
「やだ、揚げ玉もう無いの?」
と妻が言うと、子供が寝ぼけながら
「ちがうよ、ママ。おとしだま」
除夜の鐘はもう終わっていた。
花紡しずく
天の川の最下流では、冬になると銀色の魚が獲れる。網を引く漁師たちの吐息は白く、凍てつく夜空に溶けては新しい雲になった。水揚げされた星の鱗は、地上に落ちると瞬く間に雪へと姿を変える。子供たちはそれを手のひらで受け止め、空に帰れなかった光の欠片を、そっとポケットに隠して持ち帰るのだ。
濱井姫依
夜中に家を抜け出すなんてこと、私には無理だ。チョー過保護の両親がいるから。憧れだけど、それはあと5年の辛抱だ。その代わり、今年やっとスマホを買ってもらった。7月7日、夜10時。スマホが震える。「もしもし」私の声も震えてないかな?同じ空を見てるなんて大人みたい。「あ、天の川」
針生 巡
寝てる間に天井から蜘蛛が降りてきて、唇に当たったらしい。目を覚ますと、そこにはお姫様がいた。魔法の解けたお礼にと、お姫様は私の服たちに刺繍をする。柳の葉に薔薇に雨粒。浮かれた私は「次は小鳥」と言ってみる。でも鳥は嫌いなんだって。だから空色のブラウスには、白い月が昇ることとなった。
春雨六花
冬と春を天秤にかけて沈んだ方を爪に塗る。氷の結晶とスパンコールをあしらえば、雪国の故郷を思い出した。外に出ると玄関の前で地面を歩く天道虫を見つけて、思わずしゃがんで手を差し出す。水玉模様の背中が掌に伸びる橋を渡ると、三日月型の翅脈を広げてゲレンデから飛び立った。もうすぐ春が来る。
羊の耳
私は郵便局で消印を押す仕事をしている。ある日、郵便物に紛れて、服をぺろっと上げてお腹を見せた天使が「ここにも押して」とせがんできた。「一日だけしか地上にいられないから、今日の記念に」と天使が言う。翌日の朝の空には、まだ月が居座っていた。今日が二つある。今日が二つあってもいいのだ。
日比野十果
ソラカケルネコが天然記念物に指定されていることをご存知だろうか。彼らは羽を持たず、自らの脚力で空を駆ける。日中は雲となり日光浴に勤しみ、夜は星の一部となりキラリと目を輝かせる。彼らのおかげでこの世界は美しい。我々保存会は彼らを守るべく、毎日、空に向かってネコジャラシを振っている。
広岡 音緒
ここは大変寒い。それに耐える服は分厚く重い。動きにくさを感じながら望遠鏡をセッティングする。待ちに待った天体観測。ここから2億500万キロほど離れたあの惑星はどんな風に見えるかしっかりと目に焼き付けるのだ。いよいよ望遠鏡を覗く。遠くに丸い惑星が小さく見えた。やはり地球は青かった。
藤崎ちはや
雲の子が落ちてきた。ぐったりと動かない。村人たちは川で水を汲み、かけてやった。一気にかけると溶けて流れてしまうので、少しずつ少しずつ。やがて雲の子は元気になり、空へと戻って行った。千年後、村はひどい干ばつに襲われた。突如として天雲が広がり、干上がった田畑を潤す。おかえり、雲の子。
藤沢恵
散歩から帰宅して「ただいま」と声をかけると、ソファで新聞を読んでいた犬が顔を上げた。「おかえり。メシ頼む」そう言ってお天気欄に視線を戻す。いつ入れ替わったんだっけ。思い出せない。私は骨付き肉を用意しながら、電柱の匂いや、しっぽの振り方を取り戻そうとした。たまらなく吠えたかった。
藤平
天国とはこんなものか。
水はせせらぎ、光はそそぎ、風はそよぐ。見渡す限りが綺麗で、風情がない。抑揚のない安らぎは退屈以外の何でもない。苦味がなければ甘みが立たず、余白がなければ色も映えない。
一発ぐらい殴っていれば、きっとここには居なかった。首の痣を掻き、蓮の花弁を一枚ちぎる。
藤原かをり
昨夜の吹雪で天が少し欠けたらしい。朝、庭を掃いていると、青磁色の冷たい破片がいくつか落ちていた。拾い上げて日に透かすと、中にはまだ眠っている星の子供が閉じ込められている。私はそれをストーブの上の薬缶でゆっくり温め、湯気と一緒に空へ返す。冬の空が、昨日より少しだけ高くなった。
古河なつみ
天国は書店が多い。飼っていたペットと再会できる花畑や天使の住む雲の宮殿の近く……どこへ行っても書店がある。ある店主に理由を尋ねてみると「生きている間は忙しくて読書なんてできなかったから、みんな未練があるのさ」と難しい顔をしてから「老眼のない世界は最高だね」と幸せそうに笑っていた。
星
季節の変わり目だ。冷凍庫から春を取り出し、鍋に入れて火にかける。湯は緑色に芽吹き、水蒸気は花びらとなり立ち昇った。空の鍋に、早朝の冷気と綿雪を入れて混ぜると、寒天を追加する。乳白色に固まれば完成だ。保存容器に入れ消費期限を書き、冷凍庫の奥にしまう。冬は冬眠した。まもなく春が来る。
星
ヒーローになりたい天むすと旅に出た。アリに一粒ずつ差し出し、味を知りたい海藻に海苔を渡し、長寿を願う贈り物として老人にエビをあげた。僕も一口かじった。消化吸収されて魂の一部となり君はいなくなった。寂しいときには胸にそっと手をあてる。心臓の音がする。温かい。ヒーローは僕の中にいる。
槇佑
天竜杉で造った家は、その務めを終えると天に昇る。老いた両親を残して都会に出ていた僕はその話を聞き、実家を天竜杉で建て替えた。父の書斎を作り、母の動線を考慮した。何年かしてふたりは旅立ち、僕と家族が受け継いだ。丁寧に扱い、丁寧に暮らす。やがてまたふたりがこの家に住まう、その時まで。
増田正二
天使は死期の近い人間を天国へ連れて行く。よって重傷者の多い野戦病院では天使は珍しい存在ではない。ベテランの看護師である彼女は今日も銃を片手に天使を追い払う。「あんたらは天使じゃない、死神だ!」。かつて自分で剥がした翼の跡が銃を撃つ反動で痛む。それでも彼女は引き金を引き続けた。
三尾一加
荷ほどき後のこわばった身体で近所へ挨拶にいった。二軒隣のおばあさんに近くで採れたというわかめをもらう。今は時期だから浜で拾えるよ。豆腐と葱と味噌汁にする。息子が小学校にあがる年に彼女は亡くなったが、浜辺にわかめの流れつく季節になると思い出す。天日干しされた黒い海藻と皺の多い手を。
見坂卓郎
行列が長く延びている。追い抜いていく若者がいたので思わず腕をつかんだ。「おい、ズルすんじゃねえ!」「ぼくファストパスなんで」その手には金色の札が光っている。「待ち時間なしで逝けるんです」俺はその札を奪い、ヘブンの『ヘ』が書かれた入り口に勢いよく飛び込んだ。天国って下にあるんだ…
水ノ香
うちの畑のそら豆はよく喋る。風が止む夕方になると、決まって自分の来歴を語り出し「本当は天上界からきたから『天豆』なんだ」という。だから、少し意地悪に聞いてみた。天上界で一番偉いのは誰なのか。仏陀か、キリストか、それとも他の神か。そら豆は「自分だったんだ」と寂しそうに空を見上げた。
宮本翔吾
北風を作る仕事をしている。私の風は時に誰かを孤独にし、時に誰かと誰かを寄り添わせる。私は天才じゃない。だから過去の風を、詩歌などから学ぶ。驚かないが、私の思いつく風なんて過去に誰かが作っている。私はその時に合う風を、状況毎に少しだけアレンジして吹かせている。私の風は評判が良い。
モサク
無意識の善行は「積み徳」として極楽入りや転生に影響する。届いた通知を開き、天引き欄に目を向けた。「老婆が歩道で躓いたが、俺が掃き掃除をしていたので濡れた落ち葉で滑らなかった」「慌てて運転していた男が、俺に道を譲られて平常心を取り戻し事故を回避」等々。小さなおすそ分けが俺を満たす。
森林みどり
ねむりにつくのは、怠惰な猫。野原の空き地のシロツメクサを摘む。体が丸くなっている。今はもう冬で、外には雪が降っている。だけど、ここは天国、お花畑。蝶蝶を追いかける。蛙が産卵するぬるい田んぼで、アメンボを捕まえる。猫のお腹の丸い窪みで、春の空気が息をしている。私はそこに指を入れる。
森林みどり
団地近くの火葬場の周りは、広い空き地で木が繁っていた。夏にはクワガタがたくさん取れた。あそこの木にも、ここの木にもいた。子どもたちは虫取り籠をもって、草を踏み分け、出かけていった。火葬場をカソバと呼んだ。天から光る灰が後から後から、子どもたちとクワガタの上にたくさん降り積もった。
森宮ほたる
祖母は冬の間、古びた織機で「天」の裾を縫い直す。解れた北斗七星の端っこや、凍えて震えるオリオンの肩を、銀の糸で丁寧に。天は広大すぎて一人では繕いきれないから、夜は街中の針子が窓を開け、冷たい風に糸を託す。明日の朝、空がいつもより高く澄んでいるなら、それは名もなき誰かの仕事の跡だ。
森宮ほたる
役所の「天」係は、冬の間だけ地下のボイラー室に移動する。凍てつく雲を溶かし、雪の結晶をプレスする作業で大忙しだからだ。窓口の老人は、余った青空の端切れを「お守りに」と私にくれた。ポケットに入れると、コートの内側が小春日和になった。天とは場所ではなく、誰かが温めた温度のことだった。
矢鳴 蘭々海
脳天気予報士の彼は、私の額にてるてる坊主の聴診器を当てた。
「本日の前頭葉は湿度八十%、雨宿りが必要です」
結露した記憶が滴り、失恋の生傷に沁みる。
「天気になあれ」
聴診器が気象衛星となり、快晴の未来が脳内に広がる。予報よ当たれ。私の瞳に虹が宿ると、診断料にと彼が覗きこんだ。
よるん、
ほろほろ溢れてくる雪の粒は、粉砂糖のようだった。天の神様がとんとんふるいにかけて、わたしたちを彩ってくれているのかしら。それなら、わたしたちはそれぞれが甘い焼き菓子なのかもしれない。手袋を外した指は赤く、じんと冷たさが滲んだ。あなたは私の手を取り、口付けをする。お味はどうかしら。
