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「治そう治そう」とするほど、見えなくなるものがある


最近、ある患者さんとの関わりを通して、改めて感じたことがある。

私は以前より、患者さんへのアドバイスをずいぶん減らした。

するとしても一つくらい。

その代わり、

「私の感じたことを言ってもいいですか?」

と一度断りを入れたり、

「やってみようかなと思った時にしてもらったら、それで十分ですよ。」

と伝えるようになった。

以前の私は、もっとたくさん伝えていた気がする。

でも今は、「何を伝えるか」よりも、「どう伝えるか」を大切にしている。

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今回の患者さんは、CRPS(複合性局所疼痛症候群)の方だった。

正直に言うと、この患者さんに対して「何とか治そう」と思えば思うほど、自分が巻き込まれてしまう感覚が強くあった。

徒手療法やPNF、ストレッチが悪いという話ではない。

「この手技なら変わるかもしれない。」

「もっといい方法があるのでは。」

そんな気持ちが強くなるほど、患者さんの反応に一喜一憂し、自分まで苦しくなってしまう。

だから今回は、あえて「治そう」とし過ぎないことを選んだ。いやしないと言ってもいいだろう。

もちろん全くもって何もしなかったわけではない。

話を聴き、安心できる雰囲気をつくり、一つだけ気づきを届ける。

患者さんのペースを尊重しながら、回復する力を信じて待つ。

そんな関わりだった。

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いつものことだが
患者さんの歩調に合わせることは、時間も労力もすごくかかる。

そして、一回のリハビリで進むのは、本当に小さな一歩だけ。

「髪に触れた。」

「箸が少し使えている。」

「先生に相談してみようと思えた。」

「先生にどんなふうに伝えたらいいですか?」

そんな変化は、とても小さく地味だ。

周りから見れば、

「今日は何をしたの?」
「えっ🤯これだけ…」

と思われるかもしれない(過去に何度かあった💦)

でも、その小さな一歩の裏には、言葉を選び、タイミングを待ち、あえて言わないことも選ぶ時間がある。

私は、そんな仕事が好きだ。
すでにライフワークになっている。
自分に合ってるんだろうと思う。

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以前、私は自分のことを「月見草」のような存在だと思ったことがある。

ひまわりのように目立つわけではない。

たくさんのアドバイスをして、場を引っ張るタイプでもない(全くない😅)

それでも、土を耕し、種が芽を出しやすい環境を整える。

そんな役割に惹かれる。

目立たないけれど、私はそこに面白さを感じている。

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振り返ると、この考え方は患者さんだけではなかった。

スタッフへの関わりも、家族との関わりも、最近は同じように変わってきた。

無理に伝えようとはしない。

一つだけ視点を届ける。

あとは、その人のタイミングを信じる。

不思議なことに、その方が理解してくれる人が少しずつ増えてきた。

妻も、家族も、仲間も。

「伝えよう、伝えよう」と力んでいた頃よりも、自然に分かり合える瞬間が増えた気がする。

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治そうとすることを手放す。

それは、患者さんを諦めることではない。

その人が持っている治る力を信じること。

そして、自分も巻き込まれず、穏やかに寄り添い続けること。

派手ではない。

目立ちもしない。

でも私は、そんな「月見草」のようなリハビリが好きなのだ。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました😊

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