かげろうの君と #05 第二話 憧憬①
第二話 憧憬①
あの日、幸子と出会って以来、帰り道の橋の上で毎日のように彼女と話すようになった。
いや、朝、会社に行くときも、幸子は橋に立っていて、にっこりと手を振ってくれる。
幽霊は夜に出るもの、と思い込んでいたので、朝にも出るのだと知って、驚くと同時に、彼女と一目でも会えるのはとても嬉しくて。
会話こそ交わさないものの、手を振り返しながら、足取り軽く会社に向かう。
「拓海、最近ずいぶん楽しそうじゃないか。彼女でも出来たか?」
上司のグループリーダーにポンと肩を叩かれる。
「え? あ、いや、彼女というか……」
照れ臭いことこの上ないが、ここでのろけて相手が幽霊だと言ったら、きっと頭がおかしいと思われるだろう。
上司はふん、と鼻を鳴らすと、空席になっている拓海の隣の席に腰を下ろした。
「まあ、何にしても安心したよ。この間までなんだかすごく辛そうだったからな。仕事が原因だと思って色々と考えていたんだが」
「いえ! 仕事は楽しいです! すごくやりがいありますし!」
慌てて否定する。
エンジニアとしてクルマづくりに関われるのは楽しいし、何より新卒での入社以来、色々と気にかけてくれる理想の上司の下だ。不満なんてあるわけない。
「そうか。うーん、早まったかな?」
「え?」
上司が困ったように頭の後ろに手を置く。
「お前、前に“いつか先進システム研に行ってみたい”って言ってただろ? あそこのGLから人手が足りなくて困ってる、って言われてな。大学で電子制御やってたお前が、会社の都合でエンジン設計やらされているのが辛い原因なら、良い機会だと思って、推薦しちゃったよ」
「まじですか?」
突然の異動話に驚く。それも入社時からの希望部署に。叶ったとしても数年先の話だと思っていたのに。
「どうする? 異動が嫌なら、同期のよしみで酒でも奢って謝っておくけど」
上司に聞かれ、しばし逡巡する。
今の職場はすごく勉強にもなるし、上司や仲間にも恵まれている。後ろ髪を引かれるのは事実。
でも、このようなチャンスが再び巡ってくる保証などどこにもない。
「……エンジン設計もすごく面白いですけど、チャンスがあるなら行きたいです、システム研」
上司の口角が上がる。
「事故を起こせないクルマを作りたい、だったな。分かった。引き継ぎもあるから再来月の異動で調整しておく。それまではミラー化での出力低下の課題解決に専念してくれ」
「はい!」
上司は椅子から立ち上がると、拓海の背中をポンポンと叩いて、自席に戻って行った。
「よーし、やるぞ」
異動はまだ一カ月以上先。それまでに、少しでもこの新規開発エンジンに自分の爪跡を残したいと思った。
***
「ええ!? すごいじゃない! 拓海の夢が叶うのね!」
幸子が目を輝かせて祝福してくれる。会社からの帰り道、いつもの逢瀬のひととき。
「うん。びっくりだよ。まさかこんなタイミングで先進研に行けるなんて」
喜びは分かち合える人がいてこそ大きくなるのだと、改めて認識する。
「で、そこって何をするところなの?」
もっともな疑問。どう説明したら分かり易いか、頭を捻る。
「うーん、言うなれば、クルマが自分で考えて動くための頭脳と神経を作るところ、かな?」「え? 車が自分で考えて走るの?」
驚いた様子の幸子。もっとも、この技術が大幅に進化を遂げたのはここ数年の話だ。
「うん。ドライバーが運転ミスしても、クルマの方でミスを修正して事故を防ぐんだ。いずれは自動運転の車が当たり前になって、この道に溢れる時代がやってくるよ」
橋の車道を絶え間無く行き交う車を眺めながら、彼女に説明する。
「すごいわね。あたしの時代では考えられないわ。ね、拓海はどうして自動車の設計士になりたいと思ったの?」
聞かれて一瞬、言葉に詰まる。でも、彼女には自分のことをちゃんと知って欲しい。
「……俺、実は小さい頃に両親を交通事故で亡くしてさ。飲酒運転の車に轢き逃げされたんだ」
「え?」
幸子が驚いた様子で口に手を当てる。
「その後はじいちゃんとばあちゃんに引き取られてさ。俺のこと、老体に鞭打って一生懸命に育ててくれた」
両親を亡くしたが、ここまでやって来れたのは祖父母との優しい思い出があったから。
「でもある日、じいちゃんが、運転が怖い、って免許返納してね。それ以来、買い物とか色々と大変そうでさ。でも、俺が手伝おうとしたら、二人とも“お前の本業は勉学だ。余計なことは気にせず勉強に励め”って怒られて。まあ、そのじいちゃんとばあちゃんも、数年前に立て続けに亡くなっちゃったけど」
神妙な面持ちで耳を傾けてくれている幸子。彼女の気を重くさせないよう、にっこり微笑んでみせる。
「だから俺、大学で電子制御を専攻したんだ。俺みたいな交通遺児を生まないよう、事故を起こせないクルマを作りたい。じいちゃんやばあちゃんのような高齢者が安心して運転出来るクルマを作りたい、って」
潤んだ瞳と目が合う。
「……素敵ね。あたし、拓海の夢を応援したい」
その言葉に、拓海はすっと彼女に身を寄せた。
抱き締めることが叶わないなら、せめて近くに彼女を感じたかった。
「ありがとう、さっちゃん。俺、君と出会ってから良いことばかりなんだ。今回の異動もきっと、さっちゃんが引き寄せてくれたんだと思う」
「あ、あたしなんか何もしてないわ。拓海がこれまで一生懸命に努力してきたからよ」
顔を赤らめ、違う違うと手を振る幸子。そんな彼女がたまらなく愛おしく感じる。
「ううん。仕事してても君のこと思い浮かべるだけで、すごくやる気がみなぎってくるんだ。だからさっちゃんのおかげ」
「拓海……」
見つめ合う二人。
「ね、さっちゃん。俺、さっちゃんに何かお礼がしたい。何か欲しいものあるかな?」
その言葉に幸子は一瞬、パッと目を輝かせるも、すぐに俯いてしまった。
「……あたし、幽霊だから何かもらっても、使えないわ。拓海の気持ちだけで充分」
彼女の気持ちは痛いほど分かる。でもここで引き下がる訳にはいかない。
「俺がこのままじゃ嫌なんだ。今週末の土日でちょっと試したいことがあるんだけど、付き合ってくれるかな?」
「試したいこと? なあに?」
不思議そうに首を傾げる幸子。
「もしダメだったら期待した分、ショック大きいから今は内緒ね」
いたずらっぽく人差し指を口元に当ててみせると、彼女も柔らかく微笑んだ。
「何かしら? 分かったわ。じゃあ今週末、楽しみにしているわね」
拓海が指切りよろしく小指を差し出すと、幸子もこくんと頷き、小指を重ねた。
プロローグ かげろうの君と #01 プロローグ|京
