映画『孤高の天才未満』
甲府市石和町 17:20
おれは、強い女が好きだ。
強いと言ってもそれは性格とか、生きる姿勢とか、比喩的なことじゃなくて、例えば最近流行りの映画、なんだっけ、あの誘拐の映画。名前を思い出せないが、そこに出てくる犬を連れた強かな女、冷静沈着で物事に切り込み事件を解決していく、そういう強さでもなくて。
強さとは、もっと具体的な力だ。生活力とか、社会性。人を使役する能力。そして何より、経済力。金ってやつはホントにすごい。稼げるってだけで、その人間の遺伝的な素晴らしさまでお墨付きを与えてくれる。それは事実で、強さは強さなんだ。
ぜんぶ、俺が持っていないもの。
そんな俺にはないものを、ぜんぶ持ってる強い女。おれの嫁、アヤちゃん。もうすぐ結婚して2年になる。ふたりの生活は順風満帆、おれたちは幸せの絶頂にいる。
そんなことを、おれは玄関の床には這いつくばって思い出していた。玄関は暗く、小窓のガラスがいやに鮮やかなセピア色で、陽が暮れようとしている。俺はどれだけここで眠っていた? こぼれた唾液で頬がカピカピする。顎に鋭い痛み。
きっかけはあの映画、思い出した、タイトルは『孤高の天才未満』。
俺もアヤちゃんも映画は観ない。けど、アヤちゃんは取引先のえらい人に勧められて、プライムビデオで観たそうだ。観たそうだ、というか、実はおれもチラッと覗いたのだけれど、退屈過ぎて十分くらいで寝落ちてした。コンビニバイトの夜勤明けだった、という事情もあった。
案の定、アヤちゃんも面白くはなかったようで、一応あらすじを語ってくれたが、伝わってくるのは映画がいかにクソであったか、ということだけだった。アヤちゃんは言った。
「天才未満、の絶妙な描写がキモらしいけど、リアリティが全然なくて。だって私、毎日本物の天才みているからね」
ちゅっ、とアヤちゃんの柔らかな唇が頬に触れる。
天才。
おれのことだ。
アヤちゃんは、おれを天才だと信じている。
おれは日がな生活費のすべてをアヤちゃんに頼って、バイトで稼いだなけなしの小銭で音楽トラックを漁り、ミキシングして音源を作っている。コンポーザーというやつだ。もちろんMIDIも叩くし、実際の自然音なんかをサンプリングしたりもして、実験的にやっている。
音源は、売れない。でもアヤちゃんだけは褒めてくれる。アヤちゃんはおれの創る音に惚れこんでいる。いつかおれが音楽をやれなくなったら、おれをベッドに寝かせ、両足をへし折ってでも描かせるだろう。おれの音を。
そうしたアヤちゃんの想いは嬉しかったが、面映ゆくもあり、おれはつい謙遜することがある。おれは天才なんかじゃない。特に、これぞと創りこんだ音源の再生数が全然伸びなかったりすると、どん底の気分になる。
だけど、そうした謙遜はアヤちゃんにはタブーだ。
「私の目に狂いはねェんだ」
アヤちゃんの右フックが一閃、おれの顎を砕いて、おれは意識を失くしたのだった。
おれは、強い女が好きだ。
そういうわけで目が覚めたおれは、こうして途方に暮れている。
アヤちゃんがいない。
アヤちゃん、どこに行ってしまったの?
スマフォを開いて位置情報を確かめる。アヤちゃんの希望で、おれたちは互いの位置情報を交換していた。おれはアヤちゃんに飼われているから、断る理由なんかないし、おれはアヤちゃんが好きだから、アヤちゃんの「いま」をいつも感じられることはうれしい。
ところが、アヤちゃんはなぜか、笛吹のインターから中央自動車道に乗り、長野方面へと移動していた。うそだろ、アヤちゃん。どこ行くの? おれのこと、ついに愛想が尽きちゃったの?
アヤちゃんが時速110キロで遠ざかってゆく。
北へ、北へ。
着信があったのはその時だ。
知らない番号。バイト先か? 出ると、周波数を裏返したみたいな奇妙な声が、言った。
「六良曇アヤは預かった。返してほしくば、いまから言う口座にカネを振り込め」
アヤちゃん!
アヤちゃ、……え? これ、誘拐じゃん!!!
おれはスマフォを取り落とすのを何とかこらえ、震える手で指示に従う。月末なのでおれの貯金は尽きていたから、生活費用のカードから金を送る。ありったけを、送ってやる。アヤちゃん、アヤちゃん、無事でいてくれ。
「ただいま」
玄関の扉が開いて、そこにはいつものアヤちゃんの姿があった。
「え?」
「なんかアンタ気絶しちゃってムカついたから、亀ノ湯で過ごしてきたよ」
「アヤちゃん、いま長野じゃ……」
「あーそうそう。イマキミアプリ、なんかハックされちゃってるじゃんね。最近ココテン詐欺とか流行ってるし、気をつけないと」
「ココテン、とは」
「いわゆるバーチャル誘拐ね。あのクソ映画、『孤高の天才未満』にペンギンの男が出てくるじゃん? 最後に着ぐるみだけ移動して、アリバイ作るトリックの。それにあやかって、他人の位置情報だけ動かして身代金とる手口が流行ってんのよ。てかアンタ、誰と電話してんの?」
おれは正直に事情を話す。
正直に在れることが、おれに唯一できる愛だからだ。
「はあー? 呆れた。で、まさか振り込んだりは……」
おれはアヤちゃんに触れ、その輪郭の温かさを確かめて、安堵する。よかった、ただの詐欺であってよかった。いつもと変わらぬ、アヤちゃんがいる。
そうしておれはゆっくり首を縦に振る。
アヤちゃんの強烈な一撃がおれのみぞおちを貫き、おれは失禁した。
配信部屋 21:00
全国のセバスチャン、ごきげんよう。
ジャクリーヌ•ド•ロベールですわ!
このチャンネルは全国のセバスチャンたちのお陰で収益化しましたのよ。私のセバスチャンたち、さすがですわ。
そして、さっそくの赤スパも。どうか可愛いお嬢様の為と言っても、無理はなさらず。
今日は神奈川県のセバスチャンから、『ジャクリーヌ様、佐藤すずきっていう貴族をご存知ですか?』というDMが届きましたの。
私も社交界は幼い頃から貴族の義務として参加していますけれど、佐藤すずきなんていう殿方にあったことはございません。最近の成金貴族かしら? とうちのセバスチャンに言って、調べさせてみましたら、彼は映画『孤高の天才未満』という作品に出ているということが分かって、私、セバスチャンと一緒に映画を観に行きましたのよ。
『あっ、お嬢様。今日は映画の紹介ですか?』ですって。ええ、あなた方にもこの映画を観てもらいたいと思いましたの。
ネタバレも含みますので、お嬢様、まだ観てませんぞ! というセバスチャンは、ここで一旦、チャンネルをストップして、またあとから遊びに来てくださると嬉しいですわ。
大丈夫ですわね。では、続けますわ。
北野ゆきは『孤高の天才』でしたが、彼女は自分の才能を後継者に譲りたいと思い、愛犬であるムックに頼んで、自分の代わりとなる『孤高の天才未満』を探して貰うことにしましたの。
未満なのは、初めから、天才だったら、後継者に自分の才能を譲ることもないでしょう?
あと、孤高という条件なのは、才能を譲る条件に必須なんですって。
それが、なんといえばよろしいのかしら。あら、富山のセバスチャンも映画を観たの? そうよね。同じ感想になりますわよね。
北野ゆきに後継者探しを頼まれたムック。
しかし、どうしたことかしら。皆さまは伝言ゲームを知っていて?いつの間にか、『孤高の天才未満』を探す筈が『古今のテンサイ未満』を探すことになっていましたのよ。
テンサイは大根やカブのような根菜ですわ。下茹でしてサラダにしても、煮込み料理にしても美味しんですのよ。
テンサイを探すなか、あったのがルー語で喋るジョン•卍•ロウ。
アデーリペンギンの着ぐるみを着ている、合鍵屋。
社交界で私が会ったこともないのは当然でしたわ、だって自分を貴族だと信じているんですものな佐藤すずき。
彼らから、テンサイ未満のことを聞くのに、まず、ジョンから『it'sSHOWTIMEしようぜ!』と手渡されたのは大根。
合鍵屋から渡されたのは、釣りでとれた大ぶりのブリ。
そして、なのだよ貴族の佐藤から渡されたのは赤ワインでしたの。
彼らはムックと共に北野ゆきのところに戻ると、皆でぶり大根を彼らは作りだしたのですわ。
「ムク。この人たちは?」
「わん!」
ムクの鳴き声で孤高の天才の北川ゆきは『孤高の天才未満』から『古今のテンサイ未満』となり、何故、ぶり大根になったのかを察します。
「どうぞ。お嬢さん」
「あ、ありがとう」
北川ゆきの前には熱々のぶり大根が置かれ、彼らは皆、輝いた目で北川ゆきの感想を待っていますの。
「えっ、美味しい」
彼らは外見、喋り方には特徴がありましたが、料理は上手でしたのよ。
『孤高の天才未満』を探していた北川ゆきも、この騒動に後継者を探すことをすっかり忘れてしまって、めでたしめでたし。
というお話だったのですが、ひとつ言わせて頂いてもよくて?
なんで、孤高の天才未満がぶり大根を作るお話になりますの?
青山のセバスチャンちゃんさん、『爺も分かりません』激しく同意いたしますわ!
『私の命が枯れてしまう前に、誰かに私の才能を託したいの』
そんなCMを皆さまも観ましたわよね? お涙頂戴の映画が何故、B級映画に。一説に脚本家が書いていたデータがクラッシュしたとか、宇宙人にマイクロチップを埋められたせいで、お話が全く、違うものになったなんて都市伝説もありましたけれど、皆様はどう思って?
私は脚本家が異世界へと旅立ってしまい、中の人が変わってしまった。そして、中の人はハッピーエンド主義だったことを推しますわ。
あらもう、こんな時間。
そろそろ、檸檬パックの時間ですから。今日はこれにて失礼致しますわ。
また、この映画についての考察などございましたら、是非、DMやコメント欄に書きこんでくださいね。
それでは、皆さま、ごきげんよう!ジャクリーヌ•ド•ロベールでした。
東京 21:42
「観てきたの?」
と妻が問う。温めてもらった夕飯をつまみながら「ああ」と答える。
「どうだった? 興味ないけど」
「はじまりはデスゲーム風なんだ。と思わせておいて、ドタバタコメディかと思いきや、中盤にやたらと感動的なヒューマンドラマがぶち込まれ、ラストは唐突にエイリアンとゾンビが出てきて、爆発して全員死ぬ。完全に狂っていて――最高だった。さすが、カルト的人気を誇る監督だ。若さを失ってもセンスは顕在だよ。ファンも納得、いや期待以上だろう。天才映画監督・楠本茂樹の最新作は」
「天才じゃないわ。映画バカなだけよ」
元女優、そして楠本の元妻である彼女は、ワイングラスを傾けた。
あきれたような言い方に、20年前を思い出した。
20年前、私たちは映画サークルの仲間だった
彼も私も映画が好きで、監督になることを夢見て、一緒に自主制作の短編映画を撮っていた。
彼の才能はその頃から光っていて、私は賞賛と羨望を感じていた。
私が「天才だ」と言うと、彼の恋人だった彼女は
「天才じゃないわ。映画バカなだけよ。毎日、何本も何本も映画ばかり見てるのよ。それで、一日中映画のことを考えているの。夢でも映画を見ているんだから、本当に24時間よ。これだけ映画のことを考えているんだから、おもしろい映画が撮れるのは当然だわ」
デートにも行かずに映画ばかり、とにらむ。
たしかに、彼のそばにいると、その努力量に目を剝かざるを得なかった。しかし、当時の私は
「努力できることも才能だよ」
と言い、自分でも月並みな言葉だと思った。
大学卒業を卒業して、私は映画を撮ることをやめてしまった。それでも映画が好きで、レンタルショップに就職した。仕事はそれなりに成功した。
彼はその才能を発揮し、一部マニアにとって新進気鋭の若手監督となっていた。
彼の監督作の主演を務めたのは、彼の妻だった。
『木更津チェーンソー』『惨劇の美学』『乱れ撃ち散歩ロード』『ロピア・オブ・ザ・デッド』は、このタッグの名作として、日本インディーズ映画界の金字塔となっている
しかし、生活の全てを映画製作に注ぎ、映画に没頭する彼と、妻との間には亀裂が生じ、摩擦と衝突が頻発するようになる。
その頃に彼女が大病を患ったが、心身共に弱った彼女を、彼は顧みることはなかった。それどころか、彼女曰く「全自動演技ロボットに命じるように」演技を強要した
彼らは離婚し、彼女はその後私と再婚した。
それから15年。彼女は病から回復し、ふたりの子どもにも恵まれた。
私は、妻と子どもたちと飼い犬と、温かい家庭で幸せに暮らしている
彼は、映画界のメインストリームに乗ることはないが、コアな映画ファンに熱狂的に支持される作品を生み出し続けている。
異色の天才として、その輝きが色褪せることはないだろう
しかし、その生活は孤独 病気 不穏な噂もある
私は彼女を手に入れた。
愛と、幸福。
私は彼に勝ったのだ。
しかし、本当にそうだろうか?
考えこんで、つい黙ってしまった。
妻に軽くつつかれ、我に返る。
「あ……きみは観ないのかい?」
「どうでもいいもの。もう寝るわね。歯磨きしてくる」
ワイングラスを流しに置いて、リビングを立ち去る。
本当にそうだろうか。
本当は、ひとりで観に行っているのではないだろうか。
結婚したばかりの頃、ドレッサーの近くに、彼の映画の半券が落ちていたことがある。「あんなやつの映画なんか観ない」と言っていたにもかかわらず
本当は、クローゼットやドレッサーのどこかに、半券たちを大切に保管しているのではないだろうか。
私は、彼に勝ったと悦に入りつつ、この疑惑から逃れられたことはなかった。
彼女がそんなことをする人間ではないと知っているが、彼への当てつけで、私と再婚したのではないかと思ってしまうこともある
彼女が過去の写真や映像を見ている時、「昔の自分を見ているの」というが、本当は……
映画の女神も、ずっと好きだったマドンナも、私の方を向いてはいないのだ。成功しても、幸福でも、私は彼「以下」にもなれない
彼のライバルとして、肩を並べたことなどない
手を伸ばしても、伸ばしても、とても届かない、彼「未満」の凡夫なのだから。
***
歯磨きを終えて、「あなたも寝ましょうよ」と夫に声をかけに行こうとして
リビングに戻った
ドアを開けた音にも気づかず、夫は映画のパンフレットを見ている。
また、楠本のことを考えているのだ。
彼は、楠本のことばかりだ。
たまに、ぼうっとしている時は、楠本の映画について考えている。家族でテレビを見ていて、楠本についての情報が流れると、話が耳に入らなくなる。
たしかに才能ある人間だと思うが、私はどうでもいいのに。
美化された過去の思い出なんかより、積み重ねてきた今が、どれほどかけがえがなくて、大切か。
夫は、私の向こうに、あの人を見ているのだ。
私は声をかけるのをやめ、小さなため息をついて、ひとりで寝室に向かった。
108シネマズ 22:30
俺が「この映画」を観るのは、これでもう四十数回目になる。
公開終了目前、館内で一番小さなスクリーン。それも月曜日のレイトショーという上映のため、すでに照明が落とされた場内で本編前の宣伝映像を眺める観客は俺しかいない。
映画のタイトルは、「孤高の天才未満」。一部メイン登場人物の情報を除いて一切あらすじが分からない状態で封切られ、公開後も公式による宣伝が皆無という異例さが、タイトルの奇妙さも相まって注目を集め、酔狂な連中をこぞって映画館に向かわせた。
公開直後のネットでの評判は、割れに割れている。三割が「大傑作」、三割が「クソ」。そして三割が「意味不明」「カオス」「俺は何を観せられていたんだ?」といった、傑作ともクソとも判じがたい戸惑いの声で、その他が残り一割である。そしてそれは、四十数回以上この映画を観た俺の、その回ごとの感想の出現割合とほぼ一致する。
――最初に気付いたのは、誰だったのか。
同じ映画に対する感想でありながら、人によって評価があまりにも異なっている……のみならず、人々が語る映画のストーリーや設定までもが、てんでバラバラであることに。
公開から数日後にはネット上で情報交換が繰り広げられ、また、二度目、三度目の鑑賞に臨んだ猛者も現れたことから、ほどなくしてとある驚愕の事実が発覚することになる。
この映画は、おそらく、五つの異なるストーリーが平行して上映されている。
公式にそんな情報は無い。だが事実として、俺が最初に観た「孤高の天才未満」と、その翌日に観た「孤高の天才未満」では、明らかにストーリーが異なっていた。
メインの登場人物はいずれも共通しているらしい。タイトルがタイトルだけに、「孤高の天才」が重要テーマであることも一致している。だがその視点が、世界設定が、展開が、微妙あるいは全く異なる「孤高の天才未満」という作品が、少なくとも五つ、ネット民により存在を確認されているのである。
各ストーリーがいつどこで上映されるかに規則性は無く、その上、出現率には大きな差がある。実際にチケットを買ってシートに着席し、上映が始まるまで、どのストーリーに当たるかは分からないというタチの悪いガチャ仕様だ。
俺が今までにこの目で鑑賞済みのストーリーは四つ。視点はいずれも「北野ゆき」という、犬を連れた若い女性である。他にメインとなるのは「ジョン・卍・ロウ」という横文字まじりで話す男と、「佐藤すずき」という鼻につく喋りの男で、名前からしてキャラ立ちが過ぎる彼らを北野ゆきが淡々としたモノローグで突っ込むかたちで物語は進んでいく。そこに、ペンギンの着ぐるみを着た【合鍵屋】と名乗る人物が絡むことで話が大きく動き始める……と、いうのが、どのストーリーでもベースとなっているのだが、とにかく、その主軸からの変化がストーリーによって違いすぎる。
あまりの混沌具合に、そしてこの奇妙な上映形式に、ネット上ではいつしかこんな噂話が囁かれるようになった。
「全てのストーリーを観た者には、何かが起きる」。
これを鵜呑みにしたわけではないものの、せっかくなら全部を観て比較してみたいと、軽い気持ちで挑んでしまったのが間違いだった。結果俺は、四十回以上も足繁く映画館に通い詰め、「孤高の天才未満」狂いと揶揄されるまでになってしまったのだから。
だが、いまだストーリーの最後の一つは観られないまま。
こうなったらもはや意地である。俺は祈るような思いでスクリーンを凝視する。始まった映画は、やはり北野ゆきがメインになった、これまでに飽きるほど観たものと同じ……では、ない?
俺は無人の場内で快哉を叫んだ。
これだ! これこそ幻の、北野ゆきの愛犬「ムック」が視点の激レアストーリー!
*
充足感に満ち満ちた気持ちでエンドロールを悠然と眺める俺の肩を、ぽんと、後ろから叩く手がある。反射的に振り替えると、そこにはアデリーペンギンの着ぐるみを着た不審人物が立っていた。
「おめでとう」
そう言って、絶句している俺の手にペンギンが握らせたのは、昔ながらのコインロッカーのものと思しき鍵と、その場所を示す地図が描かれたメモである。
俺は慌てて鍵から目を上げたが、真っ暗なシアター内にはもう、俺の他には誰もいなかった。
*
地図に従って辿りついたロッカーの中で見つけたのは、透明ケースに入った一枚のDVDである。
ラベルに書かれたタイトルは、「孤高の天才」。
「未満」ではない、これこそが恐らく、このイカれた映画の完成形なのだろう。
遥か遠い未来 地球ではないどこかの星
「おいジャッカス、まだ上映中だぞ」
隣に座るブラックフットが窘めるように言った。彼の視線は俺の手元を睨んでいる。携帯端末から浮かび上がるホログラムが、暗い空間をそこだけ煌々と照らしていた。
「うるせえな。もうエンドロールだろうが」
だだっ広いシアターにたった二人、古い映画を観ていた。ストーリーは既に終わり、大きな画面には黒い背景に白い文字が流れていくだけの映像が映し出されている。
「エンドロールを観ないで許されるのは膀胱が限界の年寄りだけだぜ?」
「おまえこそ、お口にチャックしたらどうだ。俺はこの音楽が気に入ったんだ」
シアターのステレオからは、鳥が囀るような美しい女性ボーカルの歌が流れている。タイトルを検索したいが、ブラックフットの声が邪魔して上手くヒットしなかった。あるいはデータベースに存在しないのか。
「おまえ、馬鹿なのか。主題歌の情報を知りたいなら、それこそエンドロールを見ればいい。エンドロールは情報の宝庫だろうが」
「生憎、俺には文字が読めねえんだよ。一体どこの国の文字なんだ、これ」
「地球時代の文字だよ。アッズィーアという地域の、ニッポニーネという国で使われていたらしい」
「知らねえ国だな」
映画『孤高の天才未満』。ブラックフットに呼び出されて観せられたこの映画は、核戦争で地球が滅ぶより前、人類がまだ地球に暮らしていた時代に作られた作品らしい。地球研究家であるブラックフットの祖父が以前の発掘調査で見つけてきたフィルムだとか言っていた。
「それで、どうして俺にこんな映画を見せたんだ?」
「一般公開前に君の意見が聞きたかったんだよ。実はこの作品、核戦争の引鉄になったとも噂されるほどの問題作でね」
「はっ。核戦争だあ? たかが映画で? 馬鹿馬鹿しい」
「誰も真に受けちゃいないよ。それだけ賛否両論あったということの例えだろう」
「賛否両論、ねえ」
俺が鼻で笑うと、じろり、とブラックフットが俺を睨んだ。
「何がおかしい」
「いや、なんだ。人間ってのはよ、大半の奴は前ならえの姿勢で生きてるもんなんだよ。朱に交われば嫌でも赤く染っちまうし、郷に入れば郷に従わざるを得ないし、長いものがあったら巻かれたくなる。これらの諺は、全て地球時代から使われているものだ。つまり、人間の本質は当時から変わっちゃいないんだよ」
「話が見えないな」
「要するに、目の前に提示されたものに対して、ついつい人は従っちまう。ノーを言える奴の方が珍しいってこった。そんな中で、賛否の議論が成り立つほどノーを言う奴がいるなら、それは賛否両論と言うよりむしろ非難轟々と言う方が相応しいってこった」
「ほう。それで君は、賛否どっちなんだい」
「当然だろ。ピだよ、賛否の否。俺はノーが言える稀有な男だ」
「どうしてそう思う」
「どうしてもこうしても、何もかもだよ。【合鍵屋】頼みのストーリー進行で、ジョン・卍・ロウは口先ばかりでなんの役にも立たない。思わせぶりに登場した佐藤すずきだって、結局何も伏線を回収しないまま終わっちまった。おまけにクライマックスのあのシーン、あれは最悪だった」
「ムックが北野ゆきを庇うシーンは感動的だったろうが」
「俺はああいういかにも『泣いてください』みたいなシーンが嫌いなんだよ。『孤高の天才未満』は、俺に言わせりゃ駄作中の駄作だ」
俺が吐き捨てるように言うと、ブラックフットは唇を噛んで押し黙ってしまった。
「おい、どうかしたか」
「いや、なんでもない」そう言ってブラックフットは眼鏡を押し上げる。「少し、考えごとをしていたんだ」
「考えごと?」
「映画『孤高の天才未満』が核戦争の引鉄になったという説も、案外的外れではないのかもしれないと思ってね」
「はあ? 何言ってんだ。頭沸いちまったか?」
「ジャッカス、ひとつ良いことを教えてやろう」
ゆらり、と徐にブラックフットが立ち上がった。
「君が今観た映画を撮ったのは、僕だ」
「はあ?」意味がわからなかった。「何言ってんだ、おまえ。『孤高の天才未満』は地球時代の映画だろ?」
「リメイクだよ」
「リメイク? おまえが? どうしてまた」
「祖父が発掘したフィルムは、とても上映に耐えられる状態ではなかったんだよ。映像が途切れている場面もいくつもあって、そのままリマスターするのも難しかった。でもあの感動は誰かと共有したかった。だから僕がリメイクしたんだ。エンドロールを見ていれば分かったことだぜ」
「だったら読める文字で書くべきだ。ニャポン語だかなんだか知らねえが。リメイク版を当時の言語で作るのに何の意味がある」
「それはリスペクトだよ。サブイボリッチ監督への」
「誰なんだよそれは」
「『孤高の天才未満』の監督だよ。彼はまさしく、天才監督だった。ジャッカス、僕はサブイボリッチになりたかったんだよ。だが君の言う通りだよジャッカス。僕は到底彼には届かなかった。天才未満とは僕のことかもしれないな。僕の映画はさしずめ、『孤高の天才未満』未満ってところか。はっ、笑えるジョークだ」
「おいブラックフット、よせよ」
彼の手には、いつの間に、どこから出したのか、光線銃が握られていた。
「ジャッカス。最後にひとつ聞いていいか」
「嫌だね」
しかしブラックフットはお構いなしに続ける。
「ムックは生きていると思うか?」
選ぶべき答えは分かっていた。だが、俺が『前ならえ』ができる人間だったなら、こん苦労はしていない。
「死んだよ」
「解釈違いだ」
ブラックフットの指が音もなく動く。
白い閃光がシアターを明るく照らした。
本作は、七名菜々・桜雪・秋待諷月・三上アルカ・久乙矢 の共同執筆作品です(ただし、各話の執筆順はこの名前順の通りではありません)。
本作は、お題にそって1時間以内に物語を書くイベント「古賀コン8」投稿作として執筆しました。今回のお題は「孤高の天才未満」でした。
共同制作のプロセスと、古賀コンにおける「1時間」の解釈については、次の記事で紹介しています。
セルフ二次創作として、本作で語られた映画『孤高の天才未満』のレビューサイトも用意しました。映画と、そして本作の世界観が立体的に浮かび上がる構成に仕上げたので、ぜひご覧ください。
