見出し画像

京都大学・京都哲学研究所 包括協定記念セミナー「価値多層社会のヒューマニティーズ―価値の変容、自己の変容、社会の変容―」

2025年9月23日~24日に開催された「第1回京都会議―価値多層社会の実現に向けて―」(主催:京都哲学研究所、共催:京都大学)は、真の幸福やめざすべき価値が問われている現在において、その課題意識の重要性・喫緊性から、大きな反響を呼びました。
この京都会議の成果を受け、京都哲学研究所と包括協定を締結している京都大学は、その連携の第一歩として11月17日(月)、「価値多層社会のヒューマニティーズ―価値の変容、自己の変容、社会の変容―」と題した記念セミナーを開催しました。
京都会議にも登壇されたL.A.ポール教授(イェール大学)をお招きし、京都哲学研究所共同代表である出口康夫教授、法学研究科の稲谷龍彦教授の3名がスピーカーとして登壇。哲学・脳科学・AI・法学など多様な領域を横断し、「価値」や「自己」の変容をめぐる最前線の議論が交わされました。

■イベント概要
【Speaker】
L.A.ポール(イェール大学 ミルストーン家寄付講座 哲学・認知科学 教授)
出口 康夫(京都大学文学研究科 研究科長・教授/京都哲学研究所 共同代表理事)
稲谷 龍彦(京都大学法学研究科 教授)

【プログラム】
・14時00分~14時05分 開会挨拶
木村 俊作 京都大学成長戦略本部 副本部長
・14時05分~14時15分 講演
「価値多層社会のヒューマニティーズ―価値と自己の変容―」 出口 康夫 教授
・14時15分~15時10分 基調講演
「自己の変容」 L.A.ポール 教授
・15時10分~15時25分 質疑応答
・15時25分~15時45分 講演
「リーガル・エンジニアリング:AIによる法と技術の融合について」 稲谷 龍彦 教授
・15時45分~15時55分 質疑応答
・15時55分~16時00分 閉会挨拶
熊谷 誠慈 京都大学人と社会の未来研究院 副研究院長・教授
 
司会:亀山 隆彦 京都大学人と社会の未来研究院 准教授

開会挨拶—価値をめぐる学際的連携の重要性
開会にあたり、木村俊作 京都大学成長戦略本部 副本部長が挨拶に立ち、「価値をどのように認め、社会で共有していくかが、持続可能社会の核心である」と述べました。
特に脳科学の進歩が「価値の認知」や「言語モデルの形成」をどのように明らかにしつつあるかを紹介。AI研究において、新しい知識を生む推論手法である「仮説的推論(アブダクション)」を統合する意義についても言及し、「透明性の高いExplainable AI(XAI:説明可能なAI)の実現につながる可能性がある」と述べました。

木村俊作 京都大学成長戦略本部 副本部長

講演「価値多層社会のヒューマニティーズ―価値と自己の変容―」出口 康夫 教授
京都哲学研究所(Kyoto Institute of Philosophy:KIP)の共同代表理事を務める出口教授は、KIPが掲げる理念「価値多層社会」について紹介し、「個人の内側にも、社会にも、多様でしばしば矛盾する価値が“中間色に溶けずに”重層的に存在している」と説明しました。
さらに、価値をめぐる議論について、
A(Action:行動)— B(Bridge:橋渡し)— C(Core:根本の問い)
を行き来しながら進める「ABCモデル」を紹介。哲学・科学・社会実践を連動させるアプローチの必要性を語りました。
近年、出口先生が提唱する「WEターン」、物事の主体を個人の「私(I)」から「われわれ(WE)」へと転換させるという概念についても解説。人間の根源的な「できなさ(単独では何もできないありかた)を出発点に、視点を転換し、AIやロボットとの関係性も含めて新しい倫理観を構想する必要性を述べました。
最後に、第1回京都会議の成果や、今後計画している「京都宣言」策定についても紹介し、京都から世界へ哲学的提言を発信していく構想を共有しました。

出口康夫 京都大学 文学研究科 研究科長・教授/京都哲学研究所 共同代表理事

基調講演「自己の変容」L.A.ポール 教授
認知科学・心の哲学の第一人者L.A.ポール教授が登壇し、「変容的経験(Transformative Experience)」をテーマに、哲学・認知科学・意思決定理論を横断したダイナミックな議論を展開しました。
変容的経験とは、その経験をする前にはどのような変化が起こるか予測できず、経験したことによって個人の価値観や好みが根本的に変わってしまう、人生を大きく左右する経験のことです。
ポール教授は「経験しないとわからず、経験すると元に戻れない」という状況での意思決定を象徴する思考実験や、盲目者の例などを提示し、「経験がなければ想像できない知識」が存在すること、経験が価値感や認識、自己像を書き換える「個人的変容(Personal Transformation)」の構造などを説明しました。
自らの著書『今夜ヴァンパイアになる前に』で「変容的な経験」に伴う意思決定の困難さを論じているように、変容的経験を前にすると、「未来の自分の価値観を評価して選ぶ」という合理的な意思決定モデルが成立しないため、専門家・コミュニティ・文化の声を取り込みながら、不確実性を前提にした意思決定が必要になると論じました。

講演後の質疑応答では、出口教授、稲谷教授らと活発な議論が行われました。
変容的経験における身体性について、ポール教授は「身体的変化を伴う例は多いが、真に重要なのは価値観や理解の構造の書き換え」だと述べました。「価値観そのものが変わる意思決定は可能か?」という問いには、「未来の自分は現在の自分とは別人」であるという構造を確認し、文化やケアの倫理が意思決定を支える必要性を指摘しました。また、AI時代の“変容”については、「技術変化の不確実性を直視しつつ、多様な価値観を包摂する意思決定フレームが重要」と述べ、出口教授の“価値多層社会”とも重なる視点が示されました。

L.A.ポール イェール大学 ミルストーン家寄付講座 哲学・認知科学 教授

講演「リーガル・エンジニアリング:AIによる法と技術の融合について」稲谷 龍彦 教授
稲谷教授は、AIが人間社会や法制度に与える影響について講演しました。従来は「判例検索や契約書チェック」など法務を支援する技術として語られてきたAIが、現在はそれを超え、技術が法の目的そのものを直接実現する段階に入りつつあると指摘しました。
法は本来、人々が協調行動をとるための“認知の基盤”をつくる役割を担います。しかしSNSなどにより価値観が分断される中、人だけでは調整が難しい場面が増えており、そこでAIが人間の意思決定に関与し、行動や信念形成に影響を及ぼすようになる可能性が論じられました。
デジタル庁で議論される行政自動化、つまり「アンビエント社会」構想など、法が文章から「技術」として実装される未来も見えつつあります。こうした不確実な環境では、完璧な制度を事前に設計するのではなく、走りながら修正していく“アジャイルガバナンス”が重要だと締めくくりました。

 質疑応答では、人間とAIの関係性や文化的背景の違いがAIに与える影響について活発な議論が交わされました。AIがユーザーの価値観に過度に適応することで生じる“エコーチェンバー化”の危険性や、人間とAIの間に適度な「摩擦」や不確実性が存在することの重要性が指摘されました。また、AIが人間と同じ構造を持つ必要はなく、異質なままであることが相補的な協働を生むという意見も共有され、「AIと人間がどのような関係性を築くべきか」について多角的な視点から議論が深められました。

稲谷龍彦 京都大学 法学研究科 教授

閉会挨拶—新たな視点やイノベーション創出への期待
閉会にあたって、熊谷誠慈 京都大学人と社会の未来研究院 副研究院長・教授が、本セミナーが京都会議のサイドイベントとして開催された経緯を紹介するとともに、現代社会における価値観の多様性、生成AIによる急速な環境変化を踏まえ、人文学・社会科学が果たすべき役割の重要性を強調。
また、異なる分野・価値が交差することで新たな視点やイノベーションが生まれるとの期待が示され、「価値多様性を認め合う社会」や未来志向の“ウェルゴーイング”の理念に向けたメッセージが述べられました。

熊谷誠慈 京都大学人と社会の未来研究院 副研究院長・教授

おわりに
本セミナーを通じ、価値観・身体性・意思決定・社会変化・AIといったテーマが、共通の論点「変容(Transformation)」で結びつくことが明らかになりました。
京都大学と京都哲学研究所は、今後も学際的議論を進め、「京都宣言」の策定をはじめ、社会へ向けた思想的・倫理的提言を共同で進めていく予定です。

なお、セミナー終了後、第2部として「研究懇談会」が開催され、関係者が視覚科学・認知科学・景観学・脳科学・ビジネス倫理学といったさまざまな角度から問題提起が行われ、今後の京都会議、京都宣言に向けたテーマの可能性を探りました。

※第1回京都会議―「価値多層社会」の実現に向けて―の開催リポートはこちらをご覧ください。
https://note.com/iac_kyotou/n/n3558c0184b6d