⑭ 消えた鉄路と消えゆく鉄路〜深名線転換バス、留萌本線(2025年1月)
雄信内を訪問して、正直旅は終わった気分だった。しかし、今日は深名線の廃線跡をバスで訪問する。さらに、留萌まで行かなくなってしまった留萌本線にも名残乗車する予定だ。

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深名線の転換バスで豪雪地帯を行く
深名線は、道内一の豪雪地帯を走るローカル線だった。道路の整備が遅れていたこともあり、大赤字路線でありながらも1995年まで生き延びた路線である。私は国鉄末期にこの深名線に乗車している。

1986年夏。朱鞠内湖を出た列車は、西日を浴びてオレンジ色に輝く木々の間を走り、その合間から朱鞠内湖の湖面を眺めることができた。そのときの感動は、安易に「幻想的」という言葉を使って伝えることはできない。
深名線は、本来であれば冬に乗ってこそ、その魅力を語れる路線だと思う。チャンスはあったのに、結局訪れることはなかった。冬の北海道を旅していた学生時代、鉄道への興味が少し薄れていた時期があり、訪れようとすらしなかった。今となっては、それが悔やまれてならない。
廃線後は、JR北海道自身が代替バスを運行しており、今回は名寄から深川へ向けて乗車した。名寄発8時53分のバスは土日運休で、平日は学生で満員なのではないかと不安に思っていたが、乗客は私ひとりだけだった。

市街地を抜けると、あたり一面が雪原になった。雪が降っているため視界も悪い。名寄から朱鞠内にかけては、山岳地帯の豪雪地帯であり、人口の少ない地域でもある。
車窓から見えるのは、どこまでも続く雪景色だけ。単調な移動が続いていた。天塩弥生駅の跡地に建つ民宿くらいは見ておこうと思っていたが、そのとき、LINEの着信があった。会社からだった。
「承認お願いします」とのメッセージだった。スマホのブラウザでワークフローを起動しようとしたがエラーが出る。そんなことをしているうちに、天塩弥生駅の跡は通り過ぎてしまった。
やがて母子里のバス停を通過する。この付近は、日本で最も低い気温-41.2度を記録した場所として知られている。そして、人口もきわめて希薄な地域だ。電波が届かない場所だってあるだろう。

バスはぐんぐんと山を登っていく。木々の間から凍結した朱鞠内湖の湖面が見えてきた。氷に覆われた湖は、まるで広大な雪原が谷を埋め尽くしているかのように見える。普通のダム湖とはまったく異なる光景だ。私は言葉を失いながら、その景色に見入っていた。この景色を、深名線の車窓から眺めてみたかった……。
朱鞠内に到着した。鉄道時代、この駅で列車の運行が分割されていた時期が長く続いていた。とはいえ、ここに大きな街があって終点になっていたわけではない。大雪による影響を避けるためと聞いたことはあるが、実際の理由はよくわからない。

ちなみに、バスに切り替わってからは幌加内で運行が分割されている。幌加内はこの周辺では比較的大きな街であり、そこを中心にしていることは納得できる。
付近に家などないと思っていた朱鞠内だったが、わずかながら集落があり、バス停からは1人が乗車してきた。少し意外な感じがした。
すっと坂を登ってきたバスは、朱鞠内を過ぎると、天塩山地に囲まれた山あいの里、高原のような雰囲気の中を進んでいく。このまま順調に走り続けるものと思っていた。

バスが壊れた……。この車両は、添牛内内郵便局前で運行打ち切りとなった。本来であれば、幌加内で深川行きのバスに乗り換える予定だったが、そのバスがここまで迎えに来てくれた。たしか、暖房が故障したと言っていたような気がする。日本最寒の地で暖房の故障は、あまりにも致命的だ。とりあえず、先に進めてホッとした。
高原の桃源郷、幌加内
雪原の中に、せいわ温泉ルオントの立派な施設が現れた。道の駅を併設した温泉施設である。私の知っている政和温泉とあまりに違う。
かつて深名線には、政和温泉という仮乗降場が、草原の中にぽつんと存在していた。付近にあった温泉旅館は、私が乗車した1986年にはすでに廃業しており、利用客を失った仮乗降場だけが残されていた。

バスは幌加内の街に入ってきた。1986年に書いた紀行文には、「きつい峠を登った後に現れたこの集落は、まるで桃源郷のようだ」と記している。今回もまた、渺々と広がる雪原を走り抜けたあとに、大きな街が突然現れたことで、当時と同じような印象を受けた。
本来であれば、ここでバスを乗り換えることになっているが、今回は引き続きこのバスで深川を目指す。ただし、一度下車して、ここまでの運賃を精算しなければならない。

出発まで10分を切っていたため、バスターミナルの様子をゆっくり観察する時間はなかった。名物の幌加内そばも、今回は味わうことができなかった。
引き続き、バスの旅が続く。乗客は少し増えて、私を含めて4人になった。ここから先は天塩山地を下っていくのだが、景色は相変わらず一面の雪原が広がるばかりだ。それでも、ところどころに家が見え、宗谷本線沿線よりも人の生活感が感じられる。

雨竜川に沿って進む。ところどころに深名線の遺構が見えるものの、雪に埋もれていて全容はわからない。深名線で耳にしたことのある地名のバス停を通るたびに、窓の外に遺構がないか目をこらす。

やがて山を下りきると、人里が見え始めた。終点の深川に向かって市街地に入っていった。

12時27分に到着した深川は、まるで大都会のように感じられた。今日はこのあと、留萌本線で石狩沼田へ向かう予定だったが、Navitimeではバスでの移動が案内されていた。
留萌まで行かない留萌本線
JRバスの運転士に、石狩沼田方面のバス停の場所を確認して下車すると、ちょうど留萌本線、石狩沼田行きの到着案内放送が聞こえてきた。あわてて駅に向かってダッシュする。

時刻表を見ながら旅をしていれば、すぐにわかったことなのだが、これもまたネット社会の弊害なのかもしれない。12時31分発の列車に文字通り駆け込むと、すぐに発車した。
旭川始発のこの列車には、それなりの数の乗客が乗っており、宗谷本線とはまるで様子が違っていた。宗谷本線が残り、留萌本線が廃止されるという現実に、少し納得がいかなかった。

函館本線と別れ、大雪原の中を進んでいくと、北一已に到着した。渋い木造駅舎を持つ駅で、北海道にまだこのような駅舎が残っているとは思ってもいなかった。続く秩父別もまた、立派な木造駅舎の駅だった。
列車は北秩父別を通過し、終点の石狩沼田に到着した。わずか15分ほどの短い乗車だった。

これまでに何度か乗車したことのある留萌本線。正直、印象は薄かったが、こうして一駅一駅を眺めてみると、味わいのある路線だった。もう少し前から着目しておくべきだった。
さて、石狩沼田を訪れた目的のひとつは、沼田町ふるさと資料館を見学することである。上り列車を見送ったあと、4時間後の列車で戻るつもりでいた。

待合室には、12時56分発の列車に乗る人たちが待っていた。暖房が効いていて、久しぶりに温かい待合室に身を置くことができた。地元の人々の日常に溶け込んだ、「生活の足」として生きている鉄道の姿がそこにはあった。
「これが無くなったら、困っちゃうよの」
シニアの女性たちが、そう語り合っていた。バス代のこと、所要時間のこと……。
吹雪の中、秘境駅まで歩く
列車を見送ったあと、資料館に行こうとしたが、冬季は閉館していることを知ってショックを受けた。16時40分まで何をしようか。まずは腹ごしらえにスープカレーを食べて、それからまた駅に戻って考えることにした。

この暖かな待合室で時間を潰すのもいいが、駅間を歩いてみたくなった。スマホの地図で秩父別までの距離を調べてみると、6kmほどか。よし、歩こう。きっと東鹿越で知り合ったあの旅人なら、きっと歩くだろう。
しかし、吹雪の中を歩いている人など一人もいなかった。まるで自分だけが不審者のようだ。それに、歩道は雪に埋もれていて歩くことができない。車道を歩くのは危険すぎる。
雨竜川を渡ると、国道を離れて農道を歩いた。車にひかれる心配はなくなったが、吹雪で前が見えない。目印になるものもなく、真っすぐ歩いているつもりでも、雪の壁に衝突することもあった。

スマホのGPSを頼りに歩き、北秩父別駅に着いた。何もない中にぽつんとたたずむ駅には、人ひとりが入るのがやっとのような小さな待合室があるだけだ。糠南駅の、あの物置のような待合室を思い出した。ちなみに、大半の列車はこの駅を通過し、停車するのは上下あわせて6本にすぎない。
雪は止んできた。まだ歩けそうだ。次の秩父別駅を目指すことにした。雲の切れ間から夕日が差し込み、大地をオレンジ色に染めていく。そんな中をぽつぽつと歩くのも、なかなか悪くない。

農業倉庫が立ち並ぶ中に、北秩父別の駅はあった。このあたりは水田が多く、牧場や原野ばかりの道東や道北とは異なる。ただし、雪に覆われたこの時期は、原野も水田も見分けがつかない。
秩父別の駅舎は、渋い木造駅舎だった。先ほどこの駅を見て、どうしてもここに立ってみたくなったのだ。歩いてきたことで満足してはいたが、私は一体、何に挑んでいるのだろうか。

この駅にも灯りがともった。待合室は冷蔵庫のように冷えきっていて、まるで廃墟のようにも見えるが、それでもやはり、生きている駅だ。名残惜しいが、16時18分発の列車でここを離れなければならない……のに、列車が来ない。

この路線も、宗谷本線の名寄以北と同様に、Webによる列車位置案内のサービスがない。列車が来なければ名寄駅に電話するように、という貼り紙があったので電話してみたが、繋がらなかった。

今日は千歳空港から帰京する予定だ。やむを得ず、駅前にあったタクシー会社の案内を見て電話をかける。すると、列車がホームに入っているのが見えた。慌ててタクシーをキャンセルし、列車に飛び乗った。
飛び乗った列車は、下りの石狩沼田行きだった。そして、この列車は、下り列車として初めて北秩父別に停車する列車である。北秩父別で下車するために、この列車に乗ったのだ。

列車はすぐに北秩父別に到着した。運転士さんには、上り列車に乗る旨を伝えて下車した。また吹雪いてきた。そんなとき、日が暮れてから秘境駅で下車する事は、なかなか体験できるものではない。

列車が石狩沼田で折り返して戻ってくるまで、物置のような待合室で待機した。灯りもなく真っ暗だったが、ホームの上で吹雪にさらされるよりはましだった。

闇の中から現れた上り列車で、この駅を無事に脱出した。今回の秘境駅めぐりはこれで終わりである。千歳空港までは、無事にたどり着けるだろう。
旅の翌日、重要なプレゼンを控えているなかで、冬の北海道の鉄道旅をするのは無謀だと言われたが、一応、賭けには勝った。しかし、私は何と闘っているのか、益々わからなくなっていた。

次は、雪解け後のタウシュベツ川橋梁を訪れると心に決めていた。
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