④ 忘れ去られた鉄道の記憶〜羽幌線(2024年9月)
天売島に行きたい。東鹿越で旅人と話したことが刺激になったが、実はずっと前から行きたいと思っていた。未踏の地のままになっていた理由は、次の二つである。
1. 港のある羽幌まで鉄道で行けない
2. 行きたい場所として残しておきたい
鉄道はなくなってしまったが、路線バスがある。しかしその路線バスも、近年は廃止が相次いでいる。早く乗らないと、後悔することになるかもしれない。それに、そろそろ期は熟したかな……。忘れ物を拾いに行こう!

かつては羽幌線が観光輸送を担っていた。
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バスの時刻表を眺めるのも楽しい
本当は夏前に旅立ちたかったが、家庭菜園やら地域活動、実家の用事などで週末に時間が取れず、旅は後回しになり、結局秋になってしまった。
2024年9月15日。やっと捻出した4日間の休み、嬉しくて仕方ない。沿岸バスの時刻表に並ぶ地名を眺める。留萌、羽幌、初山別、幌延……昔、時刻表で見た国鉄の駅名が並んでいてワクワクが止まらない。
深川から留萌、そして羽幌までのルートは、かつての留萠本線、羽幌線に沿っている。廃止された鉄道を偲ぶ旅になるだろう。何か、思い出すことがあるかもしれない。

http://www.engan-bus.co.jp/02_omnibus/01_routebus/index.html
生々しい留萌本線の廃線跡
東京は残暑が厳しかったが、旭川は快晴にもかかわらず肌寒かった。旭川から乗車するのは、沿岸バスの留萌十字街行きの路線バスだ。今日はこのバスを乗り継いで羽幌まで向かう。明日、天売島へ渡るつもりだ。

旭川駅前は、バスの巨大ターミナルである。さまざまな行き先へ向かう、色とりどりの塗装を施したバスが発着している。インバウンドの旅行者も多く、かつて鉄道が果たしていた役割を、今ではバスが担っているのだろう。
北海道各地の地名を告げる発車案内の放送には、かつて上野駅で感じたような趣があった。留萌行きのバスも、このターミナルから発着している。
バスターミナルの窓口で発券してもらおうとしたが、ここでは発券できないという。沿岸バスは旭川のバス会社ではないからだと思うが、少し残念な気持ちになる。

10時20分出発。長距離仕様のバスは、決して多くはない乗客を乗せ、石狩川に沿って走る。神居古潭で数名の若者が下車した。かつて函館本線はこの渓谷沿いを走っていたそうだが、私も最近までそのことを知らなかった。語り継ぐ人がいなければ、遺構ばかりか記憶までも風化していく一方である。
石狩平野に出ると、一面に水田が広がっていた。道北や道東のような荒涼とした風景ではなく、実りの気配が感じられる温かい景色だ。ただし、周囲には人家はなく、どこまでも続く広大な大地が、いかにも北海道らしい。

水田のど真ん中。小さな築堤と、踏切が見えてきた。現役の鉄道、部分廃止された留萌本線の残存区間だ。石狩沼田まではまだ列車が走っているが、留萌まで行かない留萌本線。2年後には残存区間も廃止され、留萌本線という路線名は地図から消える。

石狩沼田を過ぎて、バスは峠道に入った。右手には、もう列車が走ることのない鉄道の施設が見える。留萌本線の部分廃線から、まだ半年も経っていない。遺構が生々しく残っていて、切なさを感じる。やがてバスは留萌の市内へ。12時19分に駅に到着。ここで、学生時代の友人と会う。
鉄道を失った留萌の街
この旅に出る直前、久しぶりにグループLINEに投稿したところ、友人が北海道をドライブしていることがわかった。そこで、少しだけ会うことにした。
彼とは、旅の価値観がまったく合わない。鉄道やバスで旅をする楽しみは、彼には全く理解してもらえない。でも、むしろそこが面白いのかもしれない。
留萌で許された彼との時間は、わずか1時間半。せっかく車で来ているなら案内してもらいたい場所がある(利用する気満々であった)。

まず向かったのは、広大な船場公園内にある道の駅だった。かつて羽幌線と留萌本線に挟まれた広大な土地には、貨物ヤードが広がっていたという。この公園は、その跡地を活かして整備されたものだ。
案内板こそ設置されているが、鉄道の記憶をとどめるような遺構や展示は何もない。

次に、列車の来ない留萌駅へと移動した。大きな駅舎はまだ残っているが、これも撤去と再開発が決まっている。鉄道の痕跡は、こうして少しずつ消えてゆく。
駅前の食堂で、昼食を共にした。私が地元の人と気さくに会話していることは、彼にとっては驚きだったらしい。「これが旅の醍醐味だよ」と伝えたいがやめておこう。喧嘩になる。

食後、留萌灯台まで連れて行ってもらったが、彼は車を降りようともしなかったし、景色を見ようとすることもなかった。
旅の目的は、人それぞれ……。

羽幌線はこの下を通っていた
彼はこのあと、羽幌を経て稚内まで行く予定だった。私を羽幌まで乗せると申し出てくれたが、その気持ちだけ受け取った。
バス停まで戻ってもらい、私たちはまた、それぞれの旅を続けた。
忘れ去られた羽幌線の遺構
13時50分。豊富駅行きのバスに乗る。車内は見事に空いているが、完全な無人というわけではない。地元の高齢者を乗せて、日本海沿いのオロロン街道を北上する。
本来なら絶景の区間のはずだが、生憎の天気。私は超がつくほどの雨男で、晴れるわけがない……。
北海道入りしたときは晴れていたが、ついに雨になってしまった。

私は海ではなく、スマホと陸側ばかりを見ていた。かつてオロロン街道沿いを走っていた羽幌線の遺構を確認していたのだ。事前に羽幌線のKMLデータをGoogleマップに読み込ませておいた。こうしたツールがなければ、遺構を見つけることも難しいほど、羽幌線の跡はすでに風景に埋もれていた。

はじめて見る羽幌線のハッキリした遺構
40年前に乗車した記憶が少しは蘇るかと期待していたが、時が経ちすぎていた……。旅の前に当時の手記を読み返していたため、手記の記述と景色が一致していることは確認できた。しかし、それはどこか他人事のようで、客観的にしか感じられなかった。

道北特有の「何もない」風景とは少し趣が異なる。羽幌線には、宗谷本線よりも旅客需要がありそうな気がしていたが、並走する道路があまりに立派すぎた。バスのほうが利便性が高かったのであろう。特急バス「はぼろ号」の登場により、羽幌線の命運は尽きたとも言われている。
苫前には熊のオブジェがあった。大正初期にヒグマによって村が襲撃された、三毛別羆事件(7名死亡、3名負傷)にちなんだものだと推察される。そういえば、東鹿越の旅人もこの話を語っていたことを思い出した。上司が、ヒグマによる日本最悪の事件の現場を訪ねたことを伝えると、すぐに三毛別の名前が出てきて驚いたものだ。

なかなか逞しい

羽幌バスターミナルに到着した。広い敷地と立派な建物は、かつての羽幌線の駅跡に建てられたものだ。しかし、鉄道の面影を感じさせるものは何もなかった。私はここでは降りず、15時16分。隣の「沿岸バス本社前」で下車して旅館へ向かった。もともとこの街の中心は、駅前ではなかったのだ。

夕食まで少し時間があったので、周辺を散策することにした。羽幌バスターミナルで、羽幌線の痕跡が何か残っていないかと探してみたが、何も見つからなかった。川を渡る場所には、橋脚の跡があるのではと期待したが、そこにも痕跡はなかった。

ここまで徹底して痕跡を消す必要があるのだろうか。かつて士幌線や富内線の廃線跡を巡ったことがあるが、そこでは駅舎が残されていたり、車両が保存されていたりと、「鉄道の記憶を残そう」という暖かさを感じた。それに対して、羽幌の街は冷たい……私はそう感じた。

資料館に行きたかったが、時間切れとなってしまった。宿に戻り、夕食をいただく。本来、週末は夕食の提供がないと言われていたが、常連客のリクエストがあったおかげで、今夜は運よく夕食にありつけた。旅人や、地元の野球大会で訪れていたシニアの方々と一緒に、美味しいお刺身を味わう。
東京から? 逃げて来たの?
「東京から? 逃げて来たの?」
私を見て、シニアの方がそう言った。自転車で旅をしている爽やかな若者とは違い、私にはどこか影のようなものを感じたのだろうか。私は、天売島訪問が目的で、合わせて羽幌線の遺構を巡っているのだと伝えたが、若い旅人は「羽幌線? 聞いたこともない」と答えた。
私はローカル路線バスで羽幌にやって来たが、羽幌に向かうバスといえば、特急バス「はぼろ号」が主役だ。そのバスに札幌から乗ってきた旅人がいたので様子を尋ねてみると、「留萌で半数が降りてしまい、車内はガラガラだった」という。
バスも古く、充電用のコンセントもなく、スマホの充電ができなかったとぼやいていた。かつて羽幌線にとどめを刺したエースは、今ではその輝きを失ってしまったのだろうか……。

羽幌から先に向かう乗客は確認できなかった
さて、明日は天売島に向かう。この旅のメインイベントだ。天気は悪そうだが、私は強力な雨男。仕方ない……。
ここの宿の女将さんはとても感じが良かった。天売島に行くと言うと、ある民宿の名前を挙げてくれた。そこは人気の宿で、すでに満室だったため、私は別の旅館に泊まることになっていた。
「そこも良い宿よ」と言われたが、一番人気の宿を取れなかったのは、やはり少し残念だった。
そして、雨は降り続いていた。
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