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③わたしはここが一番好きな景色です~東鹿越・狩勝峠(2024年1月)

「トンネルを抜けて見えるかなやま湖が最高。わたしはここが一番好きな景色です」と、東鹿越駅で出会った若い旅人が言った。その景色はあと1カ月すれば見ることができなくなる。新得から東鹿越までの代行バス、そして東鹿越から富良野までの鉄道の廃止が迫っていた。

狩勝峠を通ってグルッと一周

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何も思い出せないけど……

40年ぶりに岩見沢から室蘭本線にも乗ってみたい。あの頃は、旧型客車だったが、今は単行ディーゼルカー。季節も違うし何も思い出せないのはわかっていた。でも、旅をなぞることに意味がある。

1983年の室蘭本線
2024年の室蘭本線

見渡す限りの大雪原。単行ディーゼルカーは突き進む。山岳区間の旅も良いが、こんなに真っ平らなのもまた良い。そして、乗客は数名……。40年前もガラガラではあったが、「誰もいない」ということはなかった。

複線だった室蘭本線も単線化されたところが多い

どこの国の列車だろう

追分で石勝線に乗り換え、新得に向かう。自由席は大混雑。違う国の言葉が飛び交い、ゲームの音が大音量で流れ、どこの国の列車かわからない。

かつて貨物列車のヤードがあった追分駅もガランとしていた

昨日の函館本線と同様に、私が知っている北海道の鉄道とは様子がだいぶ違う。トマムで多くの乗客が降りて、ようやく旅をしている気分になった。

狩勝トンネルに入る直前、室蘭本線の線路が見えた。新得から東鹿越までが被災により運休してから8年。復旧されることなく廃線が決まったが、新得から代行バスで旅を続けることはできる。今回は、その代行バスに乗ろうと思った。

新聞記者との出会い

冒頭の旅人が語っていた景色を見たいのなら、富良野から鉄道で東鹿越へ向かい、そこから代行バスに乗るべきだ。だが今回は、反対側のルートを選んだ。それには、やむを得ない理由があった。

新得駅は綺麗で、みどりの窓口もあった

代行バスは、路線バス1台のみ。鉄道愛好者が大挙して押しかけ、バスに乗れなかったり、乗れても良い席が確保できなかったり……そんな話を聞いていた。確実に乗るには、新得に早めに着いてバスを待つのが賢明だろう……。

バスを待っていると、新聞記者からインタビューを受けた。なぜここに来たのか、室蘭本線の廃止についてどう思うのか……。

列車案内にも代行バスの発車案内が出ていた

赤字路線の廃止について、私は考えを述べたくない。私はあくまでも旅人であり、当事者ではない。語る資格がないと思っている。そして、私は記者が大嫌いだ。インタビューには基本的に応じない。

中学時代、通っていた中学校で教師のスキャンダルがあった。通学路で待ち伏せしていた記者から執拗に追いかけられ、いろいろと質問された。基本的には答えなかったが、ほんの少しでも何かを口にすればすぐにメモされ、それが記事になるのではないかと怖くなった。

新得から東鹿越までの代行バスルート
(旧根室本線とほぼ同じルートを行く)

この出来事がトラウマとなり、マスコミや記者に対して嫌悪感を抱くようになった。しかし、この新聞記者は感じが良い方だった。なんとなく信用できそうな気がした。

思い直して、私から彼に話しかけ、自分のYouTubeチャンネルのURLを教えた。根室本線が華やかだった頃の話を動画化したコンテンツだ。紹介してもらえれば再生数が伸びるかも……そんな野心もあったのだが……。

代行バス

復活した日本三大車窓

14時頃、代行バスは、窓側の席がすべて埋まる程度の乗車率で新得を出発した。乗客は、ほとんどが一人旅の男性だった。あの旅人に、もしかしたらまた会えるかもしれない……そんな一縷の期待を抱いてはいたが、偶然というものは、期待して起きるものではない。

旧線跡には蒸気機関車が保存されている

バスは、日本三大車窓のひとつとされた根室本線の旧狩勝峠区間に沿って走る。新線の開通によって廃止されたその区間と、ほぼ同じルートをたどっている。代行バスによって、かつての三大車窓が復活したとも言える。

それにしても、国道に車が少ない。おそらく、高速道路の開通の影響だろう。道路はいくら交通量が少なくても、廃止にはならない。不公平だ。そう思うと、先ほどの記者に、私の考えを伝えれば良かったと思った。

左手の眼下に、十勝平野が広がる。青い空に、地平線まで続く大地。これを俯瞰できる狩勝峠……日本三大車窓と呼ばれた理由にも、納得する。観光バスではないので、展望台には立ち寄らず、そのまま通過した。

狩勝峠が眼下に広がる
ちなみに秋だとこう見える

峠を越えると、根室本線の線路がバスのルートに寄り添う。すべての区間が被災したわけではなく、線路は残り、落合や幾寅など、かつて列車が停まっていた駅にもバスは停車する。真っ赤なほっぺたをした、制服姿の高校生が数名、乗り込んできた。

映画のセットに使われた幌舞駅。正式には幾寅駅

廃線になるくらいだから、誰も利用していないのかと思っていた。だが、そんなことはなかった。日常の足として使われていた。正直に言えば、宗谷本線よりもはるかに利用価値があるように感じた。

やがて、かなやま湖が見えてきた。湖面は氷結しており、雪原と見分けがつかない。やはり、湖面が見える季節に来るべきだったと悔やんでみたものの、どうしようもなかった。

バスへの乗り換え客でにぎわう東鹿越え駅。
もっと早く廃駅になる筈だった

わたしはここが一番好きな景色です

東鹿越は、列車からバスへ、あるいはバスから列車へと乗り換える人々でごった返していた。周囲に街はなく、賑わいはこの一瞬だけだ。なんとか窓側の席を確保し、15時12分発の列車に乗って東鹿越を後にする。車窓に映るかなやま湖は、やはり一面の雪原だった。列車はトンネルへと入っていった。

暗いトンネルの壁を見ながら、夏の姿を想像する。富良野方面から来た列車が暗闇を抜けた瞬間、突如、真っ青な空と山々の緑を映す湖面の上に飛び出す。開け放たれた窓から夏の匂いがするはずだ……。

きっと緑の季節は違う景色だったのだろう

列車は空知川沿いの谷間を進んでいく。車内では、極寒の中、窓を開けて録音する人もいたりして、なかなかカオスだ。しかし、どんな状況であれ、風景は変わらない。私は自分の世界に入り込み、もう二度と見ることができなくなるであろう車窓の景色を、目に焼き付けていた。

空知川に沿って走る

やがて、列車は富良野盆地に入る。確認しておきたい駅がある。ドラマ『北の国から』のロケ地、麓郷への入口にあたる布部駅だ。聖地巡りでは欠かせない場所で、記念碑も建てられているが、今後どうなってしまうのだろうか。

北の国からといえば…

列車は富良野に到着する。多くの乗客が下車したが、それ以上に新たな乗客が乗り込んできた。ローカル線の車内にもかかわらず、異国の言葉が飛び交っている。座席にありつけない地元の人々は、果たして今後も列車に乗りたいと思うだろうか。

国鉄型を代表するヨンマルことキハ40。
この車両に乗ることも今となっては貴重な体験だ。

終点の滝川に到着したのは、日も暮れかけた16時57分。雪による遅延を心配していたが、なんとか無事にたどり着いた。千歳空港にも予定通り到着することができた。

新聞記事になった旅人の言葉

旅の余韻を感じながら、飛行機の出発を待っていた。あの旅人の言った「一番好きな景色」は見ることができた。満足していた。そのことを伝えることはできなくも……。

いや、待てよ。新聞に記事が載れば、もしかしたら伝わるかもしれない。そう思って、先ほどの新聞記者の名刺を取り出した。

ここに来た理由と、今回の廃止についての思いをスマホに向かって綴った。そして、名刺に記載されていたアドレス宛にメールを送った。

こんな車両で旅していたなぁ

その後、メールを通して記者と原稿の確認を行った。デスクとの交渉経過について報告もあった。削られた部分については「力不足ですみません」とも言われた。新聞記事って大変なんだなぁ……。

楽しかった。まるで自分が記者になったかのように感じた。あれ……なんか矛盾してるぞ……。

東鹿越駅で出発を待つヨンマル

果たして、新聞には私の記事がインタビューという形で掲載された。あの旅人が言った言葉も紙面に載った。彼女がそれを見る可能性は限りなく低いけれど……。

さて……。あの旅人が語っていた天売島やタウシュベツにも行ってみたいなぁ……。すでに心はすでに天売島に向かっていた。

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