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②急行あおもり 名古屋発青森行きの急行列車の乗車記録1/2 (1986年8月)

1986年8月10日、名古屋駅。北海道に行くために、名古屋駅の東海道線下りホームへ向かった。これから明日の夕方まで乗車する客車を見回す。12系客車が10両編成で横たわっていた。ブルーの車体が、夜にぴったりの雰囲気を醸し出している。

この列車は名古屋発青森行きの臨時急行「あおもり号」である。青森までの1,000キロ以上、この紀行文は、20時間以上の乗車記録から始まる(記事も膨大になることを、あらかじめお断りしておく)。

前半は東海道、北陸を行きます

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名古屋駅〜米原(出発)

11番ホームでは、客車に装備された電源用エンジンがうなりを上げており、旅立ちの雰囲気が否応なしに高まってくる。最後部の10号車に陣取る。

ホームできしめんを食べる。270円なり。そして今日、3本目のジュースとお菓子を買う。旅立ち前の駅のスタンドやキオスクには、人が集まっている。あらためて列車を見れば、10両編成のうち自由席は、たった3両しかない。

この写真だけみても名古屋の雰囲気が感じられない

指定席のほうが混んでいて、自由席はだいぶゆとりがある。やがて22時1分、私の乗った自由席は30%くらいの乗車率で出発した。

車内はボックスシートが並んでいる。ホワイトとブルーを基調とした内装は清潔感がある。電源用のディーゼルエンジン音が、床下からかすかに聞こえるものの、ほどよく空いていて、ボックス席を占領できたこともあって気分もいい。

トップバッターは直流電気機関車

客車とは思えないほどスムーズな発車。クーラーもほどよく効いており、空気バネの柔らかい揺れも手伝って、実に快適だ。

検札に来た車掌さんが話しかけてきた。私の周遊券を見て
「俺も昔はよくやったな」と反応した。
もちろん旅行のことだ。

車内放送が始まった。44駅も到着時刻を案内するのは大変だろう。書いてあるものを読んでいるというのがよくわかる。時々、詰まっている。一方、先程の車掌さんは、自分では放送をせずに、ひたすら時刻表を見て、放送内容と照合している。

列車は結構なスピードを出しているが、客車は極めて静かである。滑るように突き進む。車内は若い人が多い。

この車両は窓が開く。斜め向かいの母娘2人は窓を開けて風に吹かれていた。すると、車掌さんが
「窓を閉めてくれ」と言う。そしたら、
「寒いから開けているんです」と答えていた。
「車内は24度なんですがね」と、車掌さんが笑う。
その後、クーラーが切られ、送風になった。

名古屋出発時の車内

愛知県最後の停車駅、尾張一宮でも乗る人は少ない。鉄橋を渡って岐阜県に入る。583系とすれ違い、22時26分岐阜着。多少の乗車客は見られたが、この10号車にはやってこない。ほとんどが指定席の方に吸い込まれていった。

反対側を、続々と貨物列車がすれ違う。かなり減っているはずだが、さすがは東海道本線である。こちらは、お盆というのに空いている。車掌さんに
「どこから混みますか?」と聞いても、
「わからない。昔は寝台車もつないでいたのに……」と、嘆くように言う。なぜ大阪発ではなく名古屋発なのかという問いには、
「『赤倉』(名古屋と新潟を結んでいた急行)がなくなったからね。これしかないから」と語った。

この列車は名古屋から乗車する人のための列車だったのだ。このまま空いていればいいなぁ……。しかし、米原で、関西方面から秋田・青森方面へ行く客がどっと乗ってくるのではという不安がまだある。大阪発青森行きだった急行「きたぐに」は、大阪発新潟行きになっている。すると、新潟以北へ向かうのは、急行はこの「あおもり」のみである。

大垣には22時39分に着いた。10号車に1人乗ってきた。これより関ヶ原を越えてゆく。北海道に行くために青森行きに乗っているのに、東海道本線の下り列車に乗っている。名古屋から北陸に向かうには、どう考えても遠回りであるが、赤石・木曽・飛騨といった山脈が横たわっており、このようなルートをとらざるを得ない。

車内では、先程、室温に注文を付けていた母親が、寝ている娘に上着をかけていた。何気ない光景がほのぼのしている。このまま米原から乗車が無ければ今夜はゆっくり眠ることができるだろう。

米原~敦賀(いよいよ北上開始)

米原には23時15分に到着した。ホームには意外と客は少ない。ほっとするが、拍子抜け。それでも、指定席にはけっこう乗っている。臨時列車の場合、帰省客の多いお盆のころには、自由席よりも指定席の方が混むことが多い。この列車も、7号車の指定席が100%近い乗車率を誇っているのに、3両の自由席は30%少々の乗車率だ。おかげで、1ボックス4人分を占領できる、運賃の安い方がゆったりできている。

EF81が連結される

列車は、これより北陸本線に入る。列車番号も9413から8503になる。進行方向も変わり、機関車もEF65からEF81にバトンタッチ。今まで最後尾だった10号車の前にEF81がやってきて連結する。

米原で方向が変る

機関車の連結作業を見ていると、男の人が話しかけてきた。鉄道ファンのK氏は社会人で26歳とのことだった。乗り遅れて新幹線で追いかけてきて、この米原から青森まで乗車するという。

15分の停車時間中にやることは他にもあった。駅のスタンプを押したいと思い、駅構内を走り回ってスタンプ台を探し、疲れてしまった。スタンプ台はホームにあった。

とりあえず撮ったというような写真

23時30分に激しい衝撃があって出発。ひどい運転だ。ここで「お休み放送」があり、室内灯が減光された。まだ眠りたくなかったので、K氏のボックス席にお邪魔した。
「いよいよ北陸本線ですよ。交流になりますよ」と言い、窓を開けてデッドセクション(電源が直流から交流に切り替わる)の場所を教えてくれた。8歳年上の鉄道ファンで、鉄道に詳しく、いろいろ教えてくれる。

近江塩津の湖西線との合流地点で、
「いつもここで止まって、フレートライナー(コンテナ貨物列車)に抜かれるんだよ」と言われた。臨時列車より湖西線を走る定期貨物列車の方が優先されるそうだ。今日は「あおもり」の方が貨物列車より遅れて来たため、抜かれることはなかった。

敦賀~富山(深夜の北陸本線)

敦賀に到着。12分停車。K氏にスタンプ台の場所を聞き、今度は落ち着いてスタンプを押しに行く。0時33分発。

この駅には、列車の削減で余剰となったEF70形電気機関車が無数に……というのはオーバーだが、闇の中に見えた。

北陸本線の駅で

私は、貴重なコアラのマーチをK氏とともに食べる。ジュースの空き缶に冷水器の水を入れて飲んだ。ずっと話していて楽しいが、きりがないので、北陸トンネルを出たら寝ることにした。

窓を開けて外を見る。真っ暗な中、
「ほら、あれが旧北陸本線の跡だよ」とK氏が指を差す。街灯に照らされた、くねくねと曲がった細い道が闇の中に浮かび上がっていた。

トンネルに入る直前には窓を閉めなくてはならない。空いているとはいえ、他の客の迷惑になる。汽笛が聞こえると、すぐに閉める。

北陸トンネルに入った。1万3,000メートルという桁外れのトンネルだ。真っ暗なのだが、中央付近は電灯がついていて、工事中とのことだった。

1972年(昭和47年)、このトンネルで死傷者714名を出す列車火災があった。
「今でもすすが残っているよ」と言われて、よく見る。確かに黒ずんでいる箇所があり、トンネル出口に近づくと白くなってきた。

トンネルを出て、お互いに眠ることにする。
しかし、4人用の一ボックスで眠ろうと思っても、なかなか眠れない。横になっても、12系のボックスシートはシートピッチが広く、体をエビのように曲げるのだが、腰が沈んでしまう。シートを外して、ベッドを作ってしまえば楽なのに、それはダメとあらかじめ放送で注意されていた。

そうこうしているうちに、2時36分、金沢に到着する。この駅で、あの車掌が乗務交代すると言っていたなぁ。2時38分、出発。この発車の衝撃がひどい、目もさえてしまう。

乗客が寝静まった深夜、突然、床下から電源用のエンジンが始動して、うなったり、振動したり居住性は悪い。この車両が空いている理由はこの床下の発電エンジンなのかもしれない。眠れないうちに列車は進んでゆく。

富山~直江津(夜明けの夜行列車)

やけに長い時間停車しているなぁと思うと富山だった、15分止まって、3時47分に出発。ところで、こんな夜中にもパラパラと乗車がある。

4時30分、入善に到着する。窓を開けて前方を見ると、少し明るくなってきた。夜が明けた。オレンジ色がとてもきれいだが、どっちが東なのか、さっぱりわからない。窓を開けると潮の香りがした。夏の朝だ。

夜明けの雰囲気を撮ってみたののの

鏡のような日本海。日本海に浮かぶ漁船の漁火もまた美しい。見とれていると、その景色を高速道路工事中の柱が邪魔をした。美しい砂浜をつぶして、これで景色は台無しだ。

まだ寝ている人も多いが朝だ

糸魚川は4時55分到着。ここで交流から直流になるはずだ。日本海沿いを北上すると、直流1500ボルト、交流60ヘルツ、直流1500ボルト、交流50ヘルツと、4回も電源が変わる。電車といっても、3つの電源方式に対応しなければならない。この駅で結構下車したようだが、10号車はあまり変わっていない。

水田地帯を突っ走る

明け方に乗ってきたのは若い女性ばかり。K氏の話だと、年末などは東北から出稼ぎに来たおじさんたちが津軽弁をまくしたてているそうだが、今日の車内はどういうわけか女の子が多い。それもグループがとても多い。かなりの人が起きて、列車の中も朝を迎えた。

直江津~長岡(夜行列車の朝)

だいぶ明るくなってきた車窓。トンネルが多い。1万1000メートルの長い頸城トンネルの中にある筒石駅を5時18分に通過し、列車は直江津へ。すがすがしい朝だが、まだ13時間も走らねばならないと思うと、やれやれと思ってしまう。やがて、直江津に5時35分に着く。約30分の停車だ。みんなホームに降りる。

直江津駅で

この駅で降りる人もいるが、その大半は洗顔と弁当購入のためだろう。快晴になりそうな天気で、すがすがしい。夏の朝、ホームに降りてワイワイ騒いでいる人を見てびっくり。若い女の子がこんなに乗っている列車を見るのは初めて。そのほとんどは指定席だが、家族連れもいるものの、いかにもレジャー旅行と思われるグループが多い。

なぜか男性が少ないのだが、理由はよくわからない。不思議だ。時刻表に強くなければわからないような臨時列車を、よく女性が見つけて利用しているなぁと感心してしまう。清々しい朝に、いきなり驚かされたが、なかなかいい気分だ。

乗客たちがホームの洗面台で顔を洗う写真を撮れば良かった

指定席を覗いてみると、なかなかの乗車率だ。自由席は相変わらず30%ほどのありさまだ。私は顔を洗い、歯を磨き、コーヒーを購入する。しかし、弁当は高いので買わない。そうしているうちに、反対側には夜行で来たのだろう、団体専用列車のサロンカー付きお座敷列車が入ってきた。

お座敷では、思い思いの格好で寝ている人がいる一方、サロンカーの中では、いかにも優雅にくつろいでいる人がいる。しかし、こちらも負けていない。朝のすがすがしい時間を味わいながら、列車の外で思いっきり深呼吸すると、気分は最高である。何も豪華な車両でなくてもいい。

お座敷列車の夜行も贅沢な感じがする

6時4分出発。すっかり朝になり、車内の照明も減光から全光になった。車内放送も復活し、列車は昼行列車へとチェンジする。信越本線へ足を踏み入れる。ゆっくり、のんびりと、再び海岸線を走る。高速で走る特急列車では、のんびり景色を眺めている暇などあるまい。

長岡~新発田(まどろみの延長)

K氏のボックスへ引っ越していき、無言で景色を見ていた。列車は柏崎から内陸に入っていく。やがて新幹線の高架の下をくぐるように巨大な駅に入った。長岡7時21分到着。
「いつもなら、通勤客がホームにあふれているのに、お盆だからね」とK氏。

乗降もなく、ひっそりと発車する。少し寝ようかと思う。車内は静まり返っていて、クーラーの音とかすかに発電用のエンジン音が聞こえるくらいだった。走行中の乗り心地は良いのだが、発車時や停車時の「ガシャン」という衝撃はどうにかならないものだろうか。東海道線走行時には、こんなことはなかった。

寝るのを諦めて外を見ていよう。しかし、田園がいちめんに広がるだけで面白くもない。
「「きたぐに」が迫ってきている」時刻表を見ていたK氏がつぶやいた。敦賀では、1時間40分の後を走ってきた急行列車が、わずか15分の差まで追い上げてきていた。向こうは特急電車の車両を使っている。

このままのペースだと、追い抜かれそうであるが、急に速度を上げて猛進して逃げる。「きたぐに」は新津から新潟に向かうのに対して、「あおもり」は新潟には寄らずに羽越本線を直行するため、追いつかれることはなかった。

後半に続く


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