⑲ 初めてのヒッチハイク~えりも(1986年8月)
帯広でユースホステルの見送り風景を見て、さらに、えりも岬ユースホステルに向かう若者の集団を見て、ユースホステルが怖くなった。みんなで歌って踊るなんて無理だ……。そう思い、街なかで野宿を決めたものの……。

前の章
バス停での再会
スーパーマーケットで、今夜の晩ご飯と明日の食事用に、100円のパンをそれぞれ1個ずつ買い、今夜の寝床であるバス停に戻る。

様似発の最終バスが、19時36分に着いた。乗客は3〜4人。うち1人は高校生と思われる旅人で、暇そうにバス待合室へやってきた。
今後の予定を決めかねている様子だった。どこかで見た顔だな、と思った。すると、向こうも私に気づいたようで、
「どこかで会いましたっけ?」と言った。
彼はO君であった。札沼線の新十津川駅の近くのバス停で出会った高校生。旭川のホームで別れてから3日経って、また会えるとは思っていなかった。
やむを得ずたどり着いたバス停で、2人だけのところで再会できるなんて。北海道は狭い。しかし、それにしても嘘みたいな事実だ。お互いどこへ行ったか話し合った。彼は礼文島に渡ったそうだ。私の話をすると、
「本当に十勝三股に行ったんですか?」と驚いた反応をみせた。
「これからどうするの?」と私は尋ねた。
「タクシーを捕まえて、襟裳岬へ行って、安い宿を探します」と彼は言い、すぐにタクシー会社へ電話をかけた。
もうバスはないのだ。
タクシーは間もなくやって来て、O君はそのまま去っていった。
つかの間の再会であった。
お金あるなぁ……私は野宿で100円のパンで飢えを凌ぐというのに……。
350ccの缶ジュースでパンを流し込み、寝袋にもぐり込むことにした。
(当時、本州では缶ジュースといえば250ccだったが、北海道では350ccの缶が普通に売られていた。)
漁師にヒッチハイクを勧められ
懐中電灯の光で時刻表を見て、明日の予定を立てる。私はこのあと、急行「天北」に乗って最北の街、稚内へ向かうつもりだ。

朝一番の様似行きのバスは、6時45分発。これに接続する様似発の日高本線は8時32分で、苫小牧到着は午後になってしまう。そのため、急行「天北」にも接続できない。稚内に行くことができない。
様似発の一番列車は5時06分発である。これに乗れれば、明日は胆振線と瀬棚線に乗り、明後日の急行「天北」で稚内へ向かうことも可能だった。
やはり、バスを降りるべきではなかった……。
様似駅で野宿すべきだった。しかし、ここから様似までは遠すぎる。タクシーに乗る金もない。
悔しい……。寝付けず、ベンチに座っていたところ、実年(この言葉は、全く普及しなかった!)の男性が寄ってきて、少し話をする。様似に行けなかった悔しさを、実年の男性に告げた。
「そりゃあ、車をつかまえればいい」
男性がアドバイスしてくれた。なるほど、ヒッチハイクというやつか。
「もう少し先に行って、市街地を出たら捕まりやすいよ」と教えてくれる。よし、やってみるぞ! ヒッチハイクチャレンジの始まりだ。
ところで、この人は一体何者だろう?
「なんでこられたのですか?」私は、あくまでも観光客だと思って尋ねた。
車で来た…バスで来た…という答えを期待していたが、思わぬ返答にびっくりした。
「おじさんたちか? おじさんたちは船、漁船。これから千葉までサンマを摂りに出港するところだ」
初めてのヒッチハイク…車が止まらない
漁師さんに別れを告げ、私は闇の道を歩き出した。すぐに市街地を抜け、人家もない真っ暗な道路になった。ただし、月は出ていた。
霧も晴れ、月明かりを頼りに街灯のない夜道をとぼとぼと歩く。

月明かりにキラキラ光る海。闇の中から波の音だけが聞こえてくる……不安になってきた。車は時々通る。手をあげるが止まってくれる車はない。当たり前だろう。夜で真っ暗、そんなところでヒッチハイクするのは不審者でしかないだろう。
どの車も猛スピードで走り去っていく。
「ヒッチハイク、わたしもやるけど……」
短大生が言っていたことを思い出す。
女の子にできて、男の私にできないなんて……。
(こうした性格は今も直っていない)
しかし、止まらないものは止まらないのだ。
このまま様似まで歩くことになるかもしれない……。
朝までには着くだろう……。
不安だから歌う。大きな声で歌う。
月の光が突き刺すように降り注ぐ、この状況にぴったりの歌がある。
「〽月の光が、肩に冷たい夜には、
祈りながら歌うのよ。
深夜ラジオのかすかな歌が、
あなたの肩を包みこんでくれるように」
中島みゆきの「夜曲」を口ずさみながら、ひたすら歩いた。
派手なスポーツカーが一瞬止まりかけ、私の姿を確認すると、アクセルをふかして去っていった。
女の子なら乗せるつもりだったのか。こんな時間にヒッチハイクしている女の子なんて、いるわけないだろう。
「ケチ!」と闇に向かって叫ぶ。
それでも、車が通るたびに右手を上げ続けた。
そんなことがさらに30分ほど続いたときだった。
1台の車がバックしてきた。
札幌ナンバーの車に近づいてみると、運転していたのはおじさんだった。
おじさんに助けられて
「どこまで?」
「様似まで……」
「乗せてやる」
私はお礼を言い、ありがたく助手席に座った。本当に助かった。
「どこから来たの?」
「東京です」
「内地の人か?」
北海道の人は今も本州の人のことを「内地」と呼ぶのかと驚いた。
「大学生かい」
「はい」
さまざまな会話をしながら、私はローカル線めぐりをしていることも告げた。
「この辺の人は、電車(一般の人と話すときはディーゼルカーとか区別せずに電車と言っている)が廃止になっても、車があるから別に困りませんよね」と私が言うと、
「そうだね」とあっけなく返された。
車は100㎞/h以上の速度で、海岸の狭い道を走った。
道は海岸線に沿って曲がりくねり、その先は岩の陰で見えない。見通しは悪い。前の車を抜くために反対車線を突っ走り、対向車の気配を感じると急ハンドルで元の車線に戻る。
スレスレですれ違い、ぶつかりそうでヒヤヒヤしていた。
やがて、海のすぐそばの道路になり、襟裳岬の黄金道路のように、すさまじい道になった。
波よけのシェルターはあるが、ない場所では、テトラポットを越えた波が道路一面に降りかかっている。波を避ける場所もない。
「こんなところ、とても歩けないよ!」
とおじさんが言った。その通り、おじさんに本当に感謝。
「本当に様似までいでいいの? 静内まで行ってもいいけど」
「様似まででいいです。助かりました。ありがとうございました」
様似市街に入ったものの、駅がわからず、徐行していたが、駅を示す矢印を見つけて車を止めてくれた。猛スピードで走ったので、22時15分には着いてしまった。

車を降り、駅前で寝ようとすると、駅員さんか保線員の方がやってきて、
「こっちで寝て」と別の場所に案内してくれた。
てっきり邪魔だと言われたのかと思ったら、
「駅前は暴走族がやってくるので危ないから」との親切心だった。
連れてきてもらったのは、荷物の取扱い場所と思われる広い場所だった。
ツーリングの人やサイクリングの人たちが沢山いて、私もそのそばで寝た。
この記事の行動には批判もあると思う。
夜のヒッチハイクは危険を伴うし、ましてや波が降り注ぐような場所を歩くものでもない。熊の危険もある。
記事を載せておいて言うのも変だが、こんなこと、やるべきではない。
無謀と冒険とは違うと今になって思う。
次の記事
いいなと思ったら応援しよう!
話にお付き合い頂いてありがとうございます。
いただいたチップは、旅の振興や歴史的建造物の保存のための寄付などに活用させていただきます。