「算命学」ってところで何?
夜の風に、ほんの少し秋が混じるようになりました。
昼はまだ暑いのに、日が落ちてからの空気だけが先に入れ替わっている。
富士山麓は、そういう変わり方をします。
こういう時期になると、ふと考えることがあります。
自分の、この性格。
すぐムキになるとか、人に頼るのが下手だとか。
何年も「直そう」と思ってきたのに、いまだに直っていない。
そういうものを、たぶん誰でも一つや二つ持っているはずです。
「算命学」から教わったことで、いちばん大きかったのがここでした。
それ、直さなくていいんです。
算命学は、人が持って生まれた質は変えられないものとして扱います。
変えようとしてもがくのは、エネルギーの使い方としてもったいない。
そもそも「生年月日」を変えない限り変わりません。
それよりも、そのもともとご自身が持っている「質」が素直に働く場所を選んだほうが早い、と考えます。
自分を環境に合わせるのではなく、環境のほうを自分に寄せていく。
これが、この学問がいちばん最初に置いている処世術なんです。
たとえば、人と競うと燃える質を持った人がいます。
その人が、争いごとを嫌う静かな職場に入ったとしたら、たぶん浮きます。本人も「自分は攻撃的=前進力でよくない」と思い込む。
でも場所を変えれば、同じ質が「頼りになる人」に変わります。
質そのものは、何ひとつ変わっていないのに。
ここで、算命学がとても丁寧に分けている二つの言葉があります。
「宿命」と「運命」です。
「宿命」は、持って生まれたもの。
これは動きません。
「運命」は、その「宿命」と、周りの環境とがぶつかったところで生まれる熱の量。
つまり運命というのは、最初から決まって置いてあるものではないんです。
宿命という材料に、環境という条件がかけ合わさって、そのつど生まれてくるもの。
だから「宿命」は変えられないけれど、「運命」は変えられる。
そして環境というのは、住む場所や仕事だけを指すわけでもありません。
誰と過ごすか。
何を引き受けて、何を手放すか。
そういう選び方の一つひとつが、条件をつくっていきます。
算命学とは何ですか、と聞かれたら。
当てるための道具ではなくて、自分の材料を確かめるためのものです。
と答えます。
後ほど、ご自身をご確認ください。
自分でも忘れていた自分が、ぽろっと出てくる。そんなツールです。
材料が分かれば、どこに置けば生きるかが見えてくる。
当たるかどうかより、そっちのほうがずっと役に立ちます。
秋は、置き場所を考え直すのに向いた季節だと思っています。
夏に伸びきったものが、そろそろ落ち着いてくる頃。
自分をどこに置くか、静かに考えてみるのもいいかな、と。
昼と夜のあわいに差しかかりました。おだやかな夜を。
しばらくお休みしていた、夜の神秘哲学のお話。
明日からまた、少しずつ戻っていきます。
富士山麓の祭壇の前より、あなたへ
ボンちゃん
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