黒い道しるべ 第2話
迎えた部活紹介の時間。栗栖は書道部の順番はまだかまだかと隣でソワソワしている咲を宥めつつ、入学式での一幕を思い出していた。何を隠そう、新入生代表挨拶を務めたのが咲だったのだ。
(新入生代表ってことは入試の成績が一番良かったってことだよな。ホントに優等生だったのかコイツ)
咲はカンペの類を持っていなかったが一度も詰まることなく暗記した文を諳んじてみせた。壇上からやっとこさ上半身が見える程度の小さな体躯も威風堂々とした佇まいのおかげで栗栖の目にはひと回りかふた回りほど大きく見えたほどだ。
とはいえ緊張したのは違いないようで、栗栖と同様に学校へ早く来た理由も眠れなかったからだそうだ。教室で書道に取り組んでいたのは平常心を保つためのトレーニングでもあったらしい。
(それが今じゃ散歩待ちの子犬だもんな。人間てのは分からん)
『続きましては書道部の紹介です。書道部の皆さん、準備をお願いします』
「キター。栗栖くん栗栖くん、来たよ書道部」
「分かったから落ち着け」
ステージに登場した書道部のメンバーは栗栖の想像とは違って全員が袴姿だった。一人しかいない男子部員は黒の、そして四人の女子部員は真っ赤な袴を身につけている。上半身は白い道着に袴と同じ色のたすき掛けという恰好で、女子の方はその色合いのせいか巫女のようだ。
「咲さんや。あの人たちはなんであんなカッコしてるワケ? イメージ戦略的な?」
「ふふん。アレが私たちの勝負服なんですよ栗栖くん」
「勝負服ぅ?」
「そ。野球とかサッカーだってお揃いのユニフォームで試合するでしょ?」
なるほど、と栗栖が納得しているあいだに書道部員たちはブルーシートを広げ、その上に四メートル×六メートルの巨大な紙を乗せた。傍らでは唯一の男子部員がテキパキと指示を出しており、その様子を長いポニーテールが印象的な女子が見守っている。
彼女はほかの女子部員と違って淡い緑を基調とした着物に身を包み、透き通って向こう側が簡単に見通せる布帛をまとっていた。ただ、印象に残ったのは髪型や衣装だけではない。彼女が肩に担いでいる身の丈もあろうかという巨大な筆だ。あの筆で普通の書道をするとは到底思えない。
おまけに勝ち戦を確信した武将、あるいは身分の高い妓女を彷彿とさせる凛とした佇まいはまさに”イケメン女子”と形容するに相応しい姿だ。彼女は準備がある程度進んだことを確認するとステージに設置されているスタンドマイクの前に立ち、新入生に向かって深々と頭を下げた。
「えー、ご紹介にもありました通り、私たちは書道部です。副部長の世羅百合香《せら ゆりか》がご紹介させていただきます。私たちは普段、全国高校書道パフォーマンス選手権出場を目標に日々努力し、また、さまざまな展覧会や書展へ作品を出品するために、毎日筆を執り、一筆一筆に魂を込めています。
書道パフォーマンスというと皆さんはあまり馴染みがないかもしれませんね。近年は映画やメディアに取り上げられることが増えてきましたが、私たちとしてはもっともっと有名になってほしいと思っています。さて、話だけでは退屈でしょうし、準備も出来ましたのでこれから書道パフォーマンスというものをお見せします。是非ともその目に焼き付けてください」
挨拶を終えた副部長の世羅は他の部員たちと共に横一列に並び直し、それから中央に立っている唯一の男子部員が一歩前に出てくる。彼が部長なのだろう。
「気をつけ! 礼! 宜しくお願いします!」
響きやすい体育館というのもあるが大きな声だ。直後にほかの部員たちも復唱したため栗栖は耳がキーンとなった。しかし呆気に取られたのもつかの間、体育館のスピーカーからBGMが流れ始めてメンバーが散り散りになり、それぞれの配置につく。まだざわめいていた新入生たちは統率の取れた動きを見た途端に静まり返った。
それからの数分間、栗栖は瞬きも忘れて演技に見入っていた。それはほかの新入生たちも同様で、ただ一人の例外は既に先輩たちの凄さを理解している咲だけだった。
書いている字だけでなく文字数、筆の大きさまでみなバラバラだが腕を上げたり移動するタイミングに一瞬たりとてズレは生じない。普通ならそちらにだけ意識が集中しそうなものだが彼女らは決して魅せることを忘れておらず、華やかに舞う姿は恰好も相まって天女のようだった。
しかし見た目こそ優雅であるもののこれは過酷なスポーツであると栗栖は思った。筆の柄は華奢の女子の腕より太いため持ちづらいだろうし、毛先は頭よりも大きく、多量の墨を吸ってパフォーマンス前よりもはるかに重たくなっているはずだ。
よくよく見れば手の甲や腕の血管が浮き出ており、部員の額には汗が煌めいている。踏ん張って書き続けることで右腕や股関節には相当な負担が掛かっているだろうにちっともそれを感じさせないどころか涼しい顔をしていたので栗栖は慄いた。
(いったいどれだけ練習したんだ。筋トレも相当やってるよな、これ)
中でも圧巻だったのは部長の男子と世羅副部長のコンビネーションだった。社交ダンスかフィギュアスケートのペアのように力強さと華やかさを両立させて踊り狂う二人は心底楽しそうで、自分たちを見ろという主張が激しい。
みるみるうちに多種多様な色の墨で染まっていくキャンバスには満開の桜を中心に『御入学おめでとうございます』と書かれ、その脇には素人の栗栖でも分かるほど達者な字で新入生へ向けたメッセージが添えられていた。
(カッコいいな……)
数分。たったの数分だ。しかしこの日、最も多くの関心を集めていたのは間違いなく書道部だった。
「咲……」
「うん?」
「竜宮城に招待された浦島太郎ってこんな気持ちだったのかな」
「……うん?」
「俺、書道部のこと誤解してたわ。すげーな、これ」
「でしょ〜」
撤収する書道部の面々はつい先ほどまで鬼気迫るパフォーマンスを見せた者とは思えないほど和気あいあいとしており、万雷の拍手をバックに楽しそうに片付けをしている。それを見た栗栖は腕に鳥肌が立っていることを自覚した。おまけに武者震いまで。それと同時に鳴るチャイム。どうやら休憩時間に入ったらしい。
「俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」
部活紹介はもう一時間あるが栗栖はもうほかの部を見る気など失せていた。なんだったらもう少し余韻に浸っていたいくらいだと考えながらトイレに行ったはいいが、既に多くの生徒でごった返している。
(こりゃ校舎のトイレに行ったほうが却って早いかもな)
そう考えた栗栖はトイレを素通りして外に出たのだが、その瞬間に「アカーン!」と大きな世羅の声がした。
「な、なんだぁ……?」
