【小説】黒猫はあの子のために一億貯める #4 (文学フリマ大阪)
黒猫のクロは、飼い主の直花と一緒に暮らしていた。直花は、シナリオライターという仕事をしているらしい。
#4
「もしもしぃ、起きてますか」
そろそろ今夜の仕事を探そうと思いながら、毛づくろいに勤しんでいた頃だった。
輪をかけて覇気のない魚泉の声が、直花のパソコンから響いた。
「はい」
「良かったぁ。君、普通に寝てるタイプの人間かと思ってた」
「もう夜二時ですから。普通、寝てますけど」
直花の尖り気味の声。
「あのさぁ、最悪の報告していい?」
「……なに」
「……秋クールのドラマ、飛びました」
「はぁ!?」
直花の叫ぶような声に、おれは舌を出しっぱなしのまま、あわてて顔を出した。
直花は立ったまま、パソコンの画面を見下ろしていた。灯りの陰が落ちていて、顔はよく見えない。
「……怒ってます?」
「いえ……」
そう言うと、直花は椅子にすとん、と腰を落とした。座った姿は、まるで空気が抜けたボールみたいに、小さくしぼんでいた。
おれと、目が合った。
唇がかすかに震えている。
重いため息を吐き出してから、直花がゆっくりと口を開いた。
「……本当は、わたし、脚本外されたんですよね」
毛玉を吐き出すみたいな、しゃがれた声だった。
「……ま、いろいろありますよ」
「これで、わたしの案件って」
「……この前の最終話で、最後ですね」
「そう……ですか」
ほとんど息だけの声だった。
直花の目が、こちらを見つめていた。……おれを通り越して、どこか遠くを。
瞬きもしないまま、じっと。
肩を落とした直花は、なんだかとても小さく、か弱い生き物みたいに見えた。
「井住センセ、いいことありますよ」
「そういうのやめて」
「そうはいっても、脚本家のご機嫌を取るのは、プロデューサーの仕事なわけで。それでちょびっとでもいい作品が上がるなら、なんだってしますよ」
直花が、口の端っこだけで少し笑った。けど、本当は歯を食いしばっているのかもしれない。
おれは本棚から降りられず、前脚だけを中途半端に上げたままだった。
「――ショックで」
それだけ言って、言葉が途切れた。
直花の口は動いているけれど、言葉は出てこなかった。
またひとつ、重いため息を吐く。
「……しばらく、口が利けそうもないんで。何か、気が紛れる話をしてくれませんか」
絞り出すようにそう言うと、直花は口を真一文字に結んだ。
千切れそうなくらいきつく唇を噛み締め、目を閉じていた。
画面の向こうで、少し間があった。
「……そういう無茶振りに応えるのも、プロデューサーの仕事だね」
直花はゆっくりと深呼吸しながら、髪留めを外し、手櫛で乱暴に髪を梳かした。
長い髪がばさばさとほどけ、濃い汗の匂いがあたりに漂う。
気がつくと、もう片方の手はお腹の袋の上に置かれていた。
「この前、コンビニでおでんを買ったんだよ。深夜で、お腹がペコペコで、身体も冷え冷えで。大根と、こんにゃくと、たまごね。レジで、インドネシアからわざわざ働きに来てくれてるムハンマドくんが、覚束ない手つきで容器に一つ一つ入れてくれるわけだ。大根とかこんにゃくはいいよ、基本的に角にひっかければいいからね」
直花が、机の端を握っている。
指先が真っ白になるほど、強く握りしめていた。
目を閉じたまま、こくり、こくりと頷いていた。
魚泉のくだらない話を必死で聞いていて、まるで溺れた猫が必死で息継ぎをしているみたいに見えた。
「――でも問題は、たまご。何回やっても掴めないってわけ。二〜三回やって駄目だったから、ぼくはね、親切心で「ぼくやろうか?」と聞いたわけよ。そしたらムハンマドくんが困った顔して言うのよ。「あなたは信頼できなさそうだから駄目です」って。もう失礼しちゃうよね。ぼくの何を見てそう判断したのかと。ぼくはね、ただ疲れ切った深夜に、おでんで心と体を暖めたいな、ほんの一瞬でもいい、人の温かみを味わいたいな、そう思っている善良な市民なのよ。それなのにさ、何が悲しくて南の国からやってきた留学生に不審者扱いされなきゃならないんだ、と」
「魚泉さん」
「ぼかぁね、その日以来、つるんとしたたまごを見るたびに思い出すんだよ、ムハンマドくんの困った顔を」
「……魚泉」
「……なによ?」
「もういいです」
「そう?」
「はい」
「――元気でた?」
「……別に」
「……ぼくの話を聞いて、ハートが温まったかい?」
「死ね」
画面の向こうで、小さく笑う気配がした。
「じゃ、ぼかぁ今日はもう寝ますよ。君はどうするんだい」
「わたしは……」
直花が目を開いた。
おれを見て、少し目を細める。
「コンビニで、おでんを買おうと思います」
まだ顔は青白かったけれど、少しだけ眼に光が戻っていた。
「……性格悪いねぇ、直ちゃん」
「――こちとら、しぶとさが売りなんで」
口だけで笑うと、直花はぱたりとパソコンを閉じた。
立ち上がって身体にストールを巻き付けると、本棚にいるおれの顔を撫でる。
目ヤニを小指の爪でカリカリと落とした後「コンビニいってくるね」と言って、去っていった。
直花の足音は、いつもと変わってなかった。
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1話目から読みたい方はこちら:
文学フリマ大阪14頒布作品のごあんない

