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ボランティア道を振り返る。 |盲導犬パピーの子育て #208

いつもお世話になっています。
「いなかのまどから」と申します。

2024年6月まで、盲導犬の候補犬を育てるボランティアとして、北海道盲導犬協会よりパピーウォーキングを受託していました。

最後の日の様子がこちら↓↓

そして、昨年7月27日(日)からパピーウォーキング第2弾が始まり、本年7月19日(日)で委託終了となりました。



我が家のボランティア道

パピーウォーキングというボランティアを知り、やってみようと思ったきっかけは、子どもたちからの提案でした。
最初の提案は、「犬を飼いたい」というもの。

私が小学生から中学生くらいの頃だったでしょうか。
当時実家には、時期は被らず2頭の犬を飼っていました。
そしてそのお別れの理由は、いずれも事故でした。

外で係留して飼っていて、その鎖が切れて逃走し、道路に飛び出したという、全く同じ展開でした。

そんな後悔と責任から、私はもう絶対に犬は飼いたくないと思っていました。
子どもたちから飼いたいと言われたとき、
「ついにこの瞬間が来たか」
と思いました。
いつかは、言われるのだろうと思っていました。

私はこれまでの経緯を子ども達に話し、そういった経験と
「死別はしたくない」
という想いを伝えました。

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時が経ち、子どもと妻から再度話がありました。
「死別しない方法がある。」
それが、この盲導犬のパピーウォーキングでした。

「そんな手があるのか!」
と衝撃が走りました。
一本取られ、北海道盲導犬協会へ受託希望を出すことにしました。

申請から1年ほど経ち、パピコがやってきました。
パピコの時は、1年3ヶ月ほど我が家で過ごしました。
生まれ月が早かったからでしょう。

今回のグリコは、ほぼ1年。
厳密には、1年を少し切りました。

こうしてこれまで、2回パピーウォーカーをさせていただきました。
でもその発端は、ボランティアをしようと思ったのではなく、手段としてボランティアを引き受けた、というのが正直なところです。

しかし、少なくとも私は、1回目のパピコに気付かされました。
私のやりたいことの一つに、「ボランティア」があるのではないかと。
そして妻のやりたいことは、どうやら人や犬を中心に「育てる」ことにあるのではないかと。

パピコのおかげで、それが自覚的になりましたし、我が家(夫婦)の中でそれぞれの目的がガシッと噛み合ったことを実感させられました。
それを踏まえた、2回目(グリコ)の受け入れでした。

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「ボランティアでそんなことやってるの、すごいねぇ〜」
「子どもたちの教育にとっても、素晴らしいことだねぇ〜」
「世の中にとって、重要なことだね!」

様々なお声がけいただきました。
これまで2回の活動で感じるのは、少なくともリアルの世界で、

「そんなことやっても、意味がない」
「人間のエゴでしょ」
「犬が可哀想」

といったネガティブな感想は1回もありませんでした。
それは、とても幸いなことでした。


でもきっかけは、そんなに立派なものではありませんでした。
死別しない方法で犬を飼うという、私のエゴだったと言えるでしょう。

こうした方法を妻や子どもたちが探したことも、打算的だし彼女らのエゴだったと思います。

しかし、そこから私たちにボランティアの大切さと、育てるという行為の尊さと、それを中心軸に日々の暮らしを子どもたちと共有することの素晴らしさに出会わせてくれた。
これは、パピコ・グリコ・家族、みんなに感謝です。

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さて、私はなぜ、ボランティアの大切さに触れ、それに取り組んでいこうと思ったのでしょうか。
それは、
「他者への貢献によって、結果的に自己へ貢献する」
ということなのではないかと考えます。

結果として、自分のためにやっている。
それは、自己中心的・エゴイズムに聞こえるでしょうし、その通りだと思います。

しかし、自己への充足感は、他者への貢献をもって行うということが重要なのだと思っています。
つまり、「自己のみを充足させる」ということ ”ではない”
これが、私たちの誇りではないかと考えています。

私たちは今、平穏無事に生きるための衣食住があります。
それを維持できるお金もいただけています。
そしてありがたいことに、多少の余力がある。
その余分を、アンパンマンのように自分の顔を切り分けて食べさせてあげる、そんな境涯なのではないかと思っています。
それが、「豊かさ」なのではないかと思います。

「豊かさ」とは何か?

この追求が、我が家の『ボランティア』なのではないかと思っているところです。

むすびに

最も申し上げたいことは、盲導犬のユーザーさんが可哀想だから、という理由でこのボランティアを行う訳ではないということです。

ユーザーさんは、自分の身体の一部となって働く彼ら彼女らを、心から愛しています。
盲導犬が道に迷い、家に帰れなくなり、盲導犬のチェンジを打診されても手放さない方もいらっしゃる。
つまり、自分の命をかけてまで大切にされている存在です。

そんなユーザーさんの幸せにつながっていると思うと、私たちも幸せなのです。
ですから、私たちは、相互に幸せを与え合っている関係性なのです。
どちらか一方的なことではありません。

我が家のボランティア道の求道は、豊かさの追求です。
そして人は、余力を誰かのために使えるようになって初めて、豊かさを知るのではないかと思っています。

よってその豊かさとは、

  • 助ける人 / 助けられる人

  • 与える / 与えない

  • 持っている / 持っていない

といった関係性ではなく、
「互いを対等な存在として信頼し、その中で生きていくこと」
なのではないかと考えています。

これは、あくまでも個人的感想です。
そして、現段階の仮説です。

こうした妥当性を追求し続けるのが、『道』なのではないか。
私は、そう思います。


本日も、ご覧いただきありがとうございました。

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