《葬送のフリーレン》ヴァイゼの最後/フラーゼ最後の挨拶/ユーベルとフラーゼの感性
第147話「英雄のいない地」までのネタバレと、先の展開に関する考察・予想が含まれます。
はじめに
第147話「英雄のいない地」は、物語世界の見方(世界観)を変える内容でした。

レーヴェ少年(ヘルト)の経験した「二度目の魔法」は一発の魔法が町を瓦礫に変えてしまうという凄まじい破壊力で、しかもそれが制御できないとなると、フランメが「人類の魔法の開祖」となってもたらしたものは本当に「福音」だったのか?「パンドラの箱」だったのでは?という揺さぶりがあります。
ですから、第147話を読んだ後に物語全体を読み直すと、きっと新しい気付きがあると思います。

たとえば、この場面(第6巻53話)は夢と理想を追い求めたフランメ(理想主義)と、既に夢から覚めて現実を知っているゼーリエ(現実主義)の対比だということがはっきりします。ゼーリエは、魔法の本質は危険なもので「誰もが」扱って良いものではない、特別な素質のある者だけで独占・管理するべきだと考えていて、「パンドラの箱を開けてはいけない」とフランメに警告していたと理解することができるでしょう。(これはわかりやすい解釈の一つで、もちろん他にも様々な解釈があると思います)
この場面を最初に読んだ時、読者の心情はフリーレンとフランメに寄り添っていて、「花畑を出す魔法」をこき下ろしたりするゼーリエに対しては「なんと偏狭な人物か」と反発や苛立ちを感じたと思います。
しかし、第147話を読んだ後では一体どちらが正しかったのか自信がなくなってきます。「パンドラの箱」に最後に残されたものは希望なのか?という有名な解釈論も想起します。
このように第147話を読むことで印象が変わった場面を今回はいくつか紹介します。(互いに関連する一連のものです)
※ゼーリエとフランメの思想的対立は実はそう単純なものではなく、同族嫌悪であると私は考えています。
※《葬送のフリーレン》とギリシア神話の関係についてはこちらの記事で扱っています
城塞都市ヴァイゼの最後

最初は第14巻130話「水面下」、カノーネがグリュックの取り調べを行う場面です。(舞踏会二日前の早朝)
二人は腹の探り合いをしているため何を言っているのか具体的には掴みにくく、思わせ振りです。気になるワードの前後だけ取り上げてみます。若きフラーゼが黄金化前のヴァイゼに査察に入った場面の回想も挟まりますのでマハトの台詞も入っています。できれば実際に再読して、印象を確認してみてください。特に、フラーゼのタバコの香りでグリュックが回想に入る辺りからです。
マハト「彼女(フラーゼ)はこの城塞都市ヴァイゼを滅ぼせるだけの力を持っています。使者として送り込んでいいような戦力ではありません」
マハト「ヴァイゼの敵は、すべて私が滅ぼします」
カノーネ「罪を償いたいのであれば、城塞都市ヴァイゼの民のためにも」
カノーネ「ヴァイゼの平穏が、お二人の功績であるというのなら猶更」
グリュック「私の分の地獄の席が、君達で埋まっていないことを祈るよ」
ヴァイゼが俎上に載せられています。魔導特務隊はヴァイゼを「人質」に取っているかのようです。
そして、グリュックは「狡猾な女狐(フラーゼ)の謀略」が地獄に堕ちるような大罪と一続きであることに勘付いています。

第147話の後でここから私が感じるのは、フラーゼは人道に反するような行い(人道に対する罪)を計画しているのではないか? 事と次第によっては「ヴァイゼを滅ぼせるだけの力」すなわち「二度目の魔法」でヴァイゼを壊滅させるつもりではないか?ということです。

だからフラーゼは「死を賜る」覚悟で、皇帝にこの計画を知らせまいとするのではないでしょうか。

「二度目の魔法」のようなものが主人公達や読者に身近なところで使われてしまうと、作品の雰囲気は大きく変わると思います。
たとえば、フェルンは馴染みのあるヴァイゼの街(第11巻104話)が魔法によって一瞬で瓦礫と化したことを知った時に何を感じるでしょうか。それを説得的に描いた上で、これまでと変わらない魂の眠る地を目指す旅を続けることができるのでしょうか。

そう考えると、ちょっとこれはないのかなぁ、とも思います。
ただ、ヴァイゼは黄金化によって一度は滅ぼされているとも言えます。ですから、「二度目の魔法」が過去の話やどこか遠くの話ではなく身近なものとして描かれるとすれば、それはヴァイゼにおいてでしょう。その場合、ヴァイゼで使われた「二度目の魔法」にグリュックが巻き込まれると予想します。(デンケンとレルネンはまだ死ねないでしょう)

このコマはグリュックの死を強く予感させます。ただ、このカノーネ台詞はあまりにも通俗的ですし、第一、ヴァイゼにいるグリュックが戦闘に巻き込まれて死亡するプロットはかなり想像が難しいため、これまでは思い過ごしだと考えて真剣に扱って来ませんでした。
しかし、第147話を前提に読み直せば、「二度目の魔法」がヴァイゼに対して使用されてグリュックが巻き込まれるというプロットで「グリュックの死」というイベントは簡単に実現できてしまうため、もしかしてそういう展開もあり得るのでは?という感じがしてきます。(グリュックが自らの死を既に受容していることを感じさせるコマは複数あります)
フラーゼ最後の挨拶
最初の場面と関連しますが、次は第142話「会敵」でフラーゼが皇帝に謁見する場面です。ここは初読時から私はかなり違和感を覚えるポイントがありました。それは、フラーゼの礼を失する態度と、フラーゼらしからぬ現状認識の誤りです。見てみましょう。

「すべてが終わったあと」なら死んでも構わない(終わるまでは死ねない)というのですから、フラーゼは帝国のために命を捧げる覚悟で今回の件に臨んでいます。
その後、フラーゼは謁見を終えて立ち去るのですが、背を向けて歩きながら皇帝に言葉をかけています(右ページ最後のコマ)。これは普通ではありえない失礼な態度です。(他の場面でフラーゼが皇帝に礼儀を欠かすことはありません)

そして、残された皇帝は無言で立ち尽くしており、その背中が描かれています。(左ページ最初のコマ)

一人になった皇帝はフラーゼの言葉について考えを巡らせます。フラーゼは「(帝国の歴史は)これからも続く」と言いましたが、皇帝は「永遠に続くものなど存在しない」と考えています。

しかし、フラーゼは「帝国の現状を誰よりも知る」存在です。皇帝自身がそう言っています。ですから、そもそもフラーゼが帝国の将来を大きく読み誤るはずがありません。フラーゼが「誰よりも(皇帝よりも)」知っているなら、皇帝が正しくフラーゼが誤っているというのは奇妙です。
つまり、皇帝と同様、フラーゼも「(帝国の歴史は)これからも続く」とは考えていません。フラーゼの言葉は「これからも続いて欲しい」という皇帝に託した願いなのです。
フラーゼの失礼な態度も、彼女が既に死を覚悟していて、これが皇帝への別れの挨拶なのだとすれば納得できます。
そして、死を覚悟しているフラーゼの「意図」は魔導特務隊の隊員たちを「地獄」に導いて行くわけです。

余談ですが、フラーゼのこの台詞を丁寧に読むと、「世界の誰もが、魔法を使える日」が来た暁には帝国の歴史は幕を下ろすと読めます。「世界の誰もが、魔法を使える日」が永遠に訪れない抽象的な理想として語られているのか、それとも、もうそこまで来ている具体的・現実的な目標として語られているのか、大変気になります。帝国が衰退しつつあるという皇帝やフラーゼの現状認識に一致するのは後者でしょう。

ユーベルとフラーゼに共通する感性
最後に、少し細かいところになります。第14巻131話「脱出」で、ユーベルとフラーゼの「感性」が似ているとノイは指摘していました。

二人のこの共通性については、魔法使いとしてのユーベルの最大の特徴である「卓越したイメージ構築力」かな?と私は考えていました。(第6巻54話)

しかし、だとすると二人に共通するバックグラウンド(血縁関係、師弟関係、同じ出身地、等)がありそうなものですが、今の所そういったものをうかがわせる描写はありませんから、不思議に思っていました。
ですが、二人が死を覚悟している、死を受け入れているということであれば、共通するバックグラウンドは無関係ですからスッと理解できます。
ノイは単に「感性」と言っているのではなくて最初に「戦い方」と言ってから「…っていうか感性ですかね」と言い直しています。
ということは、ノイはユーベルの雰囲気や彼女との会話からではなく、まずは彼女との戦いを通じて共通する「感性」を感じ取っています。ですから、この共通性はユーベルの特徴的な「戦い方」に現れているはずです。

であれば、ユーベルの自分の命を危険に晒すことを躊躇しないハイリスクな戦い方から死を受け入れている者に特有の一種の気迫や狂気を感じ取り、それがフラーゼと共通していると感じたのではないでしょうか。
魔導特務隊の隊員たちは臆病なほどの慎重さを特徴としています。ラントと同じ、ユーベルとは逆の特徴です。(第144話)


私は魔導特務隊の隊員から公務員的な保守性を感じます。大きなミスを避けて確実に合格点を取りに行く姿勢とでも言うのでしょうか。隊員たちはしばしば上席者から叱られることを気にしていて、ミスを避けようとする傾向があります。内実よりも形式・建前を重視する姿勢も見受けられます。(第14巻127話、128話、131話)




ですから、ユーベルのリスクを厭わない感性(自分が死んでもラントがノイを殺せば「勝ち」。公務員組織と対比すれば民間企業的な姿勢)をノイは異質なものとして敏感に感じ取ったのです。

おわりに
こういったフラーゼの覚悟を見ると、「二度目の魔法」かどうかはともかくとしても、彼女がかなり大それたことを計画している可能性は高いでしょう。
バックグラウンドの説明が、レーヴェが先、フラーゼが後になったことから、後の方のフラーゼこそが物語としては「本命」で、作者はレーヴェを超える驚きをフラーゼで準備しているのでは?というメタ的な読みもあります。
また、私はキャラクタの死亡を予想するのはあまり好きではないのですが、帝国編で死亡するキャラクタがいるとすればグリュックとフラーゼが最有力だと感じます。(やるべきことはやり尽くしたという本人の納得、死の受容、そして年齢)
こればかりはもう少し物語が進まないとわからないのですが、とりあえず、気になるシーンがありましたよということで備忘を兼ねて記事としました。
《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。
150本超ありますが、最初の考察記事としてお勧めなのはこちらです。
これを読んだ上で、フランメ、ヒンメル、エーヴィヒ、ゼーリエ、大魔法使い、などで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。
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