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《葬送のフリーレン》ゼーリエはフランメと同じ夢を見ていた

※ネタバレおよび先の展開に関する考察・予想が含まれます。


はじめに

若きゼーリエは「誰もが魔法を使える時代」を夢見る少女でした。

第6巻53話

それはフランメだろう、って?

そうです。「誰もが魔法を使える時代」はフランメの夢なのですが、ゼーリエの夢でもありました。

ゼーリエは幼いフランメの「誰もが魔法を使える時代」という「まるで女の子みたいな可愛い夢」を聞いて「虫唾が走った」と言います。(第6巻53話)

第6巻53話

しかし、考えてみれば、「虫唾が走る」は非常に強い嫌悪感や不快感を示す言葉です。心底嫌っている相手や行為に対してしか使いません。ゼーリエとフランメは思想的・感情的な対立・反目はあれど、深い絆で結ばれている師弟です。幼いフランメ(の行為)に対して、ゼーリエがこんな言葉を使うはずがありません。

ゼーリエのこの台詞はフランメに対して言っているのではないのです。ゼーリエ自身に対して言っています。どういうことか?

かつて神話の時代に自分が見ていた夢、今は既に諦めた夢。それを幼いフランメが語っています。それを聞いてゼーリエはかつての自分を思い出し「虫唾が走る」と言っています。同族嫌悪です。

それで二人は今一つ反りが合わないのです…

今回はそういうお話です。まず、フリーレンのことから…

フリーレンは魔法が大好きだった

フランメと出会った頃、フリーレンは魔法が大好きでした。(第3巻22話)

第3巻22話

しかし、50年後には「ほどほど」になっています。

第3巻22話

この間にフリーレンが行っていたことは、魔力制限を行いながらの魔法の修行です。

第3巻21話
第3巻21話

言い換えれば、戦いのための魔法、復讐のための魔法です。

第3巻22話

フェルンも魔法が大好きだった

フェルンも魔法が大好きでした。(第1巻3話)

第1巻3話

しかし、そのことをフェルンは忘れてしまっていて、

第1巻3話

「魔法は好き?」と問われて、「ほどほどでございます」と答えています。(第1巻2話)

第1巻2話

幼いフェルンが行っていたのも、魔力制限を行いながらの魔法の修行です。

第1巻2話

魔力制限は、魔族を欺き、魔族を殺すための技術です。

第6巻57話

その殺しのための技術に、フェルンは「人生の大半を捧げてきた」わけです。

第3巻19話

フランメも魔法が大好きだった

フランメも魔法が大好きでした。(第6巻53話)

第6巻53話

フランメは、「花畑を出す魔法」が好きで、「世界中の人がそんな魔法を使えるようになって欲しいと本気で願って」いました。

しかし、フランメの魔法は徐々に変容します。

フランメは統一帝国の下で宮廷魔法使いたちを育て、魔法の研究と軍事転用に携わります。

フランメの魔法は「魔王軍に抗う力」になってしまいます。

魔法は楽しいものだった。けれども…

フリーレン、フェルン、フランメの三人を見ると、最初は純粋に楽しいものだった魔法が、戦いのための魔法になってその輝きを失うという変容を遂げています。

それに伴って、フリーレンとフェルンは魔法が「大好き」から「ほどほど」になっています。フランメについてはそういった描写はないのですが、おそらくはフリーレンたちと同じような経過をたどったでしょう。

魔法は楽しいものだということを思い出したデンケン(第7巻59話)

ゼーリエは…

ゼーリエは、あのフリーレンから「流石は生ける魔導書」と言われる程の魔法オタクです。(第6巻49話、第7巻60話)

第6巻49話
第7巻60話

「お洗濯の魔法」までコレクションしているのですから、山のように積み上げられた魔導書の多くは「くだらない」魔導書でしょうし、頭の中は「くだらない」魔法でいっぱいです。

ですから、かつてのゼーリエは魔法が大好きでした。

しかし、今のゼーリエは「戦いを追い求める」(第5巻43話)魔法使いで、

彼女にとって、魔法は「好きも嫌いも」ない「殺しの道具」に過ぎません。(第7巻58話)

第7巻58話

「花畑を出す魔法」は「何の役にも立たないくだらない魔法」です。

第6巻53話
第6巻57話

この変化は いつ生じたのでしょう?

フリーレン、フェルン、フランメと同じような変化が、きっとどこかでゼーリエにも生じているはずです。

ゼーリエは神話の時代には既に魔族との戦いに明け暮れていたようです。(ただし、マハトがゼーリエの存在を知らなかったことから、最近ではほとんど戦わなくなっていることがわかります。第10巻93話)

第10巻93話

ですから、ゼーリエの変化は神話の時代にまで遡ります。

神話の時代について詳細は分かりません。既に明らかになっている情報から推測するなら、神話の時代に顕現していたとされる「女神様」と(第3巻24話)、神話の時代から存在していた「大魔法使い」の称号に原因を求めることになるでしょう。

第3巻24話

そのあたりの考察はこちらで行っています。一言でまとめれば、「大魔法使い」の役割は女神様の僕として魔族と戦うことです。

ですから、おそらくは、女神様から大魔法使いに任じられ、魔族と戦うことを運命付けられたためにゼーリエの魔法には変容が生じています。

ゼーリエが集めてきた沢山の「伝説級の魔法」も、「花畑を出す魔法」のように戦いの役に立たない魔法は全て「くだらない」ものとみなさざるを得なくなってしまったのです。自らのコレクションの価値を自ら否定せざるを得なくなった魔法オタクのゼーリエの内心はかなり複雑なものだったと思います。

しかしそれも女神様のため。大魔法使いとして魔族と戦って平和な時代を切り開くため。そう思えばこそ自分を納得させることができます。

しかし、ゼーリエは残酷な事実を知ることになります…(というのが次項で紹介している考察のストーリーです。要は、大魔法使いとしての役割を放棄して魔族と戦うことを断念するような何かがあったのです)

そういった背景があっての、「無にも等しい人生」しか持たない愛する幼いフランメが語る夢です。

※ゼーリエの変化にはもう一つあります。ゼーリエは神話の時代に生きていた(ですから女神様に会ったことがあるはず)にもかかわらず、現在のゼーリエには女神様に対する信仰心がある様には見えないという不思議(信仰を失った?)です。

第143話

大魔法使いたちの魔法の変容

ゼーリエ、フランメ、フリーレンは大魔法使いです。フェルンは未来の大魔法使いと言えるでしょう。

彼女たちの魔法は、最初は楽しいものだったのですが、戦いのための魔法へと変容しています。

そして、他の大魔法使いミーヌスとミリアルデ(推定)も、不可解な変容を遂げていることを思い出してください。ミーヌスは「大逆の魔女」と呼ばれていることから元々は善良な魔法使いであったと想像できますし、ミリアルデは「人生をかけて探したものが、何の価値もないゴミだった」という経験のために人生の意味を見失っています。

どうもここには大魔法使い全員に共通する何かがありそうです。それに関しては次の記事で考察しています。

レルネンの後悔

最後にレルネンについて触れておきます。レルネンと孫のエーレの関係は、大魔法使いたちの魔法の変容について考える際の参考になります。

レルネンは一級魔法使いの筆頭で、おそらくはデンケンと並ぶ程の実力の持ち主でしょう。けれども、「私は戦いしか知らない時代遅れの魔法使い」だと後悔を感じています。(第7巻60話)

第7巻60話

その後悔があるために、レルネンは孫のエーレを直弟子にせず魔法学校で学ばせています。

魔法学校の教育課程はわかりませんが、戦い方を教えるだけではないと思います。人々の生活に密着した魔法を生業とする魔法使いも存在するはずでしょう。

第4巻37話

また、レルネンは自分の「古い戦い方」をエーレに伝えようとはしません。

第5巻41話

なぜなら、エーレには自分のような「戦いしか知らない時代遅れの魔法使い」になって欲しくないからです。

戦うことを運命付けられた大魔法使いたちの変容を見れば、これは慧眼と言えると思います。

※これからのレルネンとヴィアベルの関係は気になります。レルネン自身の思想はヴィアベルの「魔法は殺しの道具」という考えに近いのですが、レルネンはその思想をエーレには伝えようとしていないのですから、ヴィアベルの考え方にも思う所があるはずでしょう。

まとめ(ゼーリエの思想の変遷)

  1. 神話の時代、ゼーリエは魔法が大好きな魔法オタク(コレクター)だった。「誰もが魔法を使える時代」を夢見ていた。

  2. 女神様から大魔法使いに任じられて魔族との戦いに明け暮れる。

  3. 魔法は「ほどほど」になる。

  4. 女神様への信仰を揺るがす事実を知り、魔族との戦いを断念する。「誰もが魔法を使える時代」の理想を放棄する。

  5. 現在に至る

おわりに

ゼーリエとフランメの関係は、《葬送のフリーレン》の人間関係の中でも、私はかなり好きです。(一番好きかな)

基本的には師匠と弟子、親と子の深い絆で結ばれている二人ですが、思想的・感情的には対立・反目するところがあり、また、ゼーリエには子供っぽいところがあるので、場面によっては師弟・親子の関係が逆転しているように見えることもあります。フランメは千年前の歴史上の人物ですから回想シーンでしか登場しないのですが、ゼーリエの中では生きていて、不思議と物語の中枢にも関わってくるので、まったく過去の人という気がしません。

その二人のうちの一人、ゼーリエの人物像について今回は考えてみました。

実は私は彼女の「虫唾が走った」という台詞がずっと気になっていて、でもなかなか言葉にして説明できませんでした。ゼーリエのことだから、こういうきつい言葉を使うこともあるかもしれないと、無理に納得して疑問を飲み込んでいたところがあります。

でも最近、「大魔法使い(の役割)とは何なのか」が見えてきたんですね。本文中でも紹介しているこれらの考察です。

その上でこの「虫唾が走った」という台詞を読み直してみると「ああ、そういうことか。それでゼーリエはあんなことを言ったのか」と、スッと理解できました。

その私の理解について今回は整理してみました。いかがでしたでしょうか。(コメント歓迎です)

最後に、マガジンや過去記事の紹介です。《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。

140本以上ありますが、最初の考察記事としてお勧めなのはこちらです。

これを読んだ上で、フランメ、ヒンメル、エーヴィヒなどで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。

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