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《葬送のフリーレン》メタフィクションの塩梅/世界のほころび/読者とフリーレンの願い

ネタバレには配慮していません。

『葬送のフリーレン』の原作マンガはまだ読んだことがないという方には原作マンガを、既に読んだことのある方にはある一つの視点からの再読をお勧めしています。その訳をこちらの記事で説明していますのでお読みください。


塩梅

こちらの記事の最後で「塩梅」(加減、具合)について触れました。

優れた物語は「読者の期待に応えつつ同時に読者の期待を裏切る」、言い換えると「納得と驚き」の双方が必要で、納得だけでも驚きだけでもダメだという「塩梅」についてです。

この「塩梅」の「塩と梅酢」にあたるものは複数ありますが、『葬送のフリーレン』で最も重要な調味料は「メタフィクション」でしょう。この調味料の使い方は作品に対する一般的な評価を大きく左右します。

世界のほころび

『フリーレン』からはかなり強いメタフィクションの香りがします。

第1話冒頭からしてまるでRPGで、あからさまに世界にはリアリティが欠けていますし…

ヒンメルは命懸けの冒険であるにもかかわらず迷宮の隅々まで探索しないと気が済まない等、RPGのキャラクター(プレイヤー)のようです。(第6巻46話)

作者はこういった不自然さ(世界のほころび)を何度も示して何かをほのめかしているんですね。

ヒンメルが見せた世界のほころびに対して、アイゼンは「そんな常識はないぞ」と異論を唱え、フェルンは「どういうことですか?」と疑問を呈します。

それに対するフリーレンの答えは「訳がわからないよね」という開き直りです。

この場面には、フリーレンが「だってこれゲームだもん」と言い出しかねない危うさがあります。

メタフィクションの塩梅

このように強いメタフィクションの香りのある『フリーレン』ですが、結末としては、それほどハードなメタフィクションにはならないだろうと推測します。

そもそも、『葬送のフリーレン』は週刊少年サンデーの看板作品の一つですし、アニメもかなりの人気作品です。ニッチな作品ではありません。

ハードなメタフィクションはマニアックな読者には受けますし、読者を驚かせることはできます。しかし、一般的読者の期待に応えることができません。(メタフィクションは一般的にはあまり受けが良くありません)

つまり、最初に述べた優れた物語の条件「納得と驚き」を満たさないんですね。「失望と驚き」になってしまいます。

これが、『葬送のフリーレン』がそれほどハードなメタフィクションにはならないと考える理由です。

読者の願い、フリーレンの願い

ここまでは文字通りメタな話です。ここから作中の(非メタな)話につなげます。

上述した「一般的読者の期待」とは、『葬送のフリーレン』が「現実のものであってほしい」という願いです。マンガ(フィクション)なのですから本当はそんなことはあり得ないのですが、読者というものはどこかでそう願っています。

だからこそ、登場人物たちが笑っているのを見ると幸せな気持ちになる。泣いているのを見ると悲しくなる。登場人物たちに幸せになって欲しいからハッピーエンドを望む。それが物語の一般的読者であり、物語の素朴な楽しみ方です。(誤解されがちですが、私もそうやって楽しんでいます)

そしてこの読者の願いは何なのかというと、これは主人公であるフリーレンの願いと同じものです。(第12巻116話)

主人公と読者の願いが一致している(一致するように描かれている)のですから、これは叶えられる。そう思います。


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