小説「チェスの神様」⑤二人の人生を変えた、いけこま先生の結婚式
高三男子、野上彰博の家に突然、長らく家を離れていた兄が戻ってきた。身重の奥さん(あろうことか、通っている高校の保健室の先生)と一緒に。能天気に生きてきた彰博。だが、兄夫婦を見て『家族を持つこと』「これからの人生のこと』そして、『人を愛することの意味』を少しずつ考え始める――。
埼玉県川越市が舞台の物語。
第五話:結婚披露パーティー
兄貴たちの結婚パーティーは、本川越駅に隣接するホテルの一室で行われることになった。運良く、次の日曜の夜に空きが出たというので即決したらしかった。しかし急なことだから、友人に声をかけても会場を埋めるには至らないらしい。
「できれば彰博君も連れて来てくれない? 何人でもオッケーだから」
数日経って、いけこまからこんな打診をされた。
「でも、友達いないんで」
「そうなの? チェス部の子は?」
「あー、それだったら一人いますけど」
僕はエリーの顔を思い浮かべながら返事した。
「じゃあその子とおいでよ。予定、聞いといてね。おねがーい!」
甘えるような口調のいけこまに少し戸惑うけれど、それだけ楽しみにしているのだろう。これは連れて行かないと後で文句を言われかねない雰囲気だ。
◇◇◇
仕方なく、翌日の部活でエリーに事情を説明してみる。なんて言われるか内心ドキドキしたが、彼女はにこやかに答える。
「空いているからOK。本川越駅の改札前で九時に待ち合わせよう」
「良かった。これで、いけこまをがっかりさせなくて済む」
任務を終えた僕はほっと一息つき、すぐチェス盤に向かおうとした。が、誘われたのが嬉しかったのか、エリーはパーティーの話を続ける。

「ねぇ。何、着ていく?」
「何って……。僕は制服のつもりだけど」
「え? 制服はダメでしょ! 私はドレス一択。すぐに買いに行かなきゃ」
「ふぅーん……」
「ふぅーん、って……。一緒に行くんだからさぁ、少しはキメて来てよね? わかった?」
エリーは僕を叱るように、指を振りかざして言った。
「意外だな。エリー自身のことはともかく、僕の服装にもチェックを入れてくるなんて思いもしなかった」
「あのねぇ。いくら身内のパーティーだからって、高校生にもなって学校の制服で列席するなんてありえないでしょ。アキが当日、親戚中の笑いものになるなんて私、嫌だよ」
もしそんなことになっても僕は多分気にしないだろうが、エリーがそんなふうに思ってくれたことに、少しだけ好感を覚えた。
「ありがとう。でも、なんでそんなに気を遣ってくれるのかな? 友達だから?」
「もちろん! アキは変わり者だけど、いいところはたくさんあるわ」
「いいところって、例えば?」
「話を真剣に聞いてくれるところ……かな」
「鈴宮は?」
「まさか。悠はいつも自分のことばっかり。それとたぶん、私の体にしか興味がないんだわ」
「わかる気がする」
僕は先日の鈴宮との会話を思い出した。話は自然と、エリーと鈴宮の話に移行する。
「会えばいつだって『触らせて』って。私が……フツーの体じゃないって言っても聞かないし」
「具体的に話したの?」
「ううん。言えないよ」
「でも、僕には話してくれたじゃん?」
「アキは……いい人だから。ちゃんと分かってくれるって思ったし、実際分かってくれてる」
「“分かった” と言っても、この年まで生理が来てないってことだけだけどね」
高三だというのに、エリーはいまだに月経がないらしい。保健体育の授業で習ったことくらいの知識しかないが、それが女の子から大人の女性になるために必要な変化の一つであるなら「来ない」というのは不自然ということになる。薄々病気を疑っているみたいだけど、本人はそれでも自然に来る日をいまだに待っているようだ。遅い人でも十八歳までには来る、とどこかから仕入れた情報を信じているらしい。
エリーはため息をつく。
「いけこま先生みたいに、ぽんと子供ができる体の人がいれば、いまだに生理の来ない体の人間もいる。……このまま生理が来なかったら、私は結婚できないかもしれないね」
「そんなふうに言うなら一度、病院に行ってみたら? そう、鈴宮と一緒に行けばいい」
「はっ、冗談キツイ。それで健康な体になれたら、それこそ悠は体を求めてくるでしょうよ。私は悠とセックスするために付き合ってるわけじゃないんだから」
「じゃあ、なんで付き合ってんの?」
セックスを求められても、自分の体のことを打ち明けられずにただ拒み続ける。そんな日々に嫌気がさしているのなら、エリーは彼とどんなふうに交際したいと望んでいるのだろう?
口をつぐんだ彼女は、表情を曇らせたかと思うとそのまま部屋を出て行ってしまった。

どれだけ待ってもエリーは戻ってこなかった。ひょっとしたら鈴宮と最後の話をしているのかもしれない。僕の一言がきっかけで一組のカップルを別れさせたかと思うとチェスに集中できなかった。
◇◇◇
結局、兄貴たちのパーティーの日までエリーは部活に現れなかった。どうやら学校を休んでいたらしかった。
一応、約束した待ち合わせ場所に行ってみる。そこには、ブルーのテントドレスにハイヒール姿の女性。エリーだった。ほっと胸をなでおろした僕は軽く手を上げ、声を掛ける。

「ごめん、待たせた?」
「ううん。今来たところ。なあんだ、アキもスーツを新調したのね?」
「まさか。兄貴のを借りたんだ。エリーがキメろって言うから、その通りにしただけだよ」
「ふぅーん……。案外、似合ってるよ」
エリーはスカートをひらりとさせて、さっと前を歩きだす。僕は後からついていく。
「……学校、休んでたの?」
沈黙は耐えられなかったので、僕から話しかける。
「うん。……心配してくれてたの?」
「まぁ。あの時、余計なことを言ったかなと思って」
「そりゃあ、あんなふうに言われたら私もいろいろ考えるよ。そのために休んだの」
「……ごめん」
「どうしてアキが謝るの?」
「だって……」
「別れたって思ってるの? お生憎さま。いけこま先生の結婚披露宴の前に別れたら縁起が悪いと思って、どうせ別れるならそのあとにしようっていうのが、私の出した結論」
「そう……」
***
複雑な心境のまま会場の入り口に到着する。中に入ると、すぐに見知った顔がいくつも見つかる。皆、親戚だ。
「あらまぁ、あきちゃん? 大きくなってぇ。見違えちゃったわぁ!」
受付をしているのは母さんのお姉さんだった。母さんに似て声が大きく、思ったことをはっきりと言う。
よりによって……。すごく苦手な人だ。それが証拠に「お隣にいるのは恋人? まぁ、可愛い子ね。おいくつ?」なんていうから困る。
「失礼します……。行こう、エリー」
さっさと受付を済ませた僕はとっさにエリーの手を取ると、逃げるように会場の奥に向かった。
「アキ……あの……」
「ん?」
もじもじしているエリーを見て、手を握ったままだったことに気づく。

「ごめん」
「ううん、そうじゃないの……。びっくりしただけ……。さっきの人、アキのおばさん?」
「うん、苦手なんだ。だから逃げたくて」
「そっか、そっか。私もああいうタイプはダメ。 ……あっ、私たちの席、ここみたい」
エリーが先に席札を見つけた。僕たちは指定席に腰掛ける。
「ごめん、野上家の席で。居心地悪いかもだけど」
「大丈夫」
***
談笑をする間もなく、すぐにパーティーが始まった。入口から兄貴たちが現れ、会場が拍手に包まれる。二人が着席すると、一般的と思われる、新郎、新婦を祝福する言葉や、なれそめなどが語られた。二人とも恥ずかしそうにうつむいているが、内心はやはりうれしいのだろう。時々目配せしては、微笑む姿が見られた。
やがて食事の時間になると、両親はさっそく席を立ち、いけこまの両親の席に向かった。
「僕らも行こうか」
席を立ちながら言う。
「行くって?」
「主役のとこ」
二人の前にはまだ誰もいない。もう知れた仲だけど、この場を借りて招待してもらった礼をしておいたほうがいいだろう。
「改めて、おめでとう。それから、このたびはご招待ありがとう。……お酒は注がなくていいよね? この後たくさん来るんだろうし」
「あぁ、酒はいらねぇ。それより、お前もやればできるじゃねぇか。見直したぜ」
兄貴がエリーを盗み見る。
「いけこまに頼まれたからさ、一人で来るわけにもいかなくて」
「……ってことは、付き合ってるわけじゃねぇの?」
「友達」
「ふうーん。この際、付き合っちまえよ」
「何言ってんだよ。聞こえるじゃんか……」
エリーは隣でいけこまとしゃべっている。話が盛り上がっているようで、笑い声が響く。僕らの会話は聞こえていないようだ。
***
やがてエリーに促され、元の席に戻る。両親はまだ戻ってきていない。
「いけこま先生、ホント、幸せそう……」
エリーはふっと息を吐き、視線を落とした。
「……私ね。結婚っていいイメージなかったの。両親、離婚してるから」
その話は初めて聞いたので、どう反応していいか戸惑う。
「今日ここへ来た理由もね、本当は不純なの。子どもができたから結婚しただなんていう先生が、いったいどんな顔で座っているのか、見てやろうと思ったの。本当に、心から幸せな気持ちで結婚したのか、見たかったのよ」

「エリー……」
返す言葉が見つからない。しかし彼女は続けて、
「でもね、あの二人を見てたらそんな卑屈な考えも吹き飛んじゃった。だって全身から幸せオーラがにじみ出てるんだもの。まいっちゃうよ」
エリーが、新郎新婦をまっすぐに見つめながら言う。
「悠とは別れるよ。ここにきて、気持ちが固まった。このまま付き合っていても多分、待っているのは悲しい未来だけ。私の両親がそうであったように。付き合うなら、その先にあるのはやっぱり明るい未来であってほしいと思うから」
「うん」
「言っとくけど、アキは責任、感じなくていいからね。これは私が自分で決めたことだから」
自分で決めたこと。そう言いながらも声はどことなく震えていた。
「……一つ、聞いてもいいかな? エリーの思い描く未来ってどんな未来?」
「それは……」
その時、両親が席に戻ってきた。どちらともなく僕らは押し黙った。
――それは……。
エリーは、どう続けるつもりだったのだろう?
***
式は滞りなく進んだ。最後に新婦からプルズブーケのサプライズプレゼントがあるとのアナウンスが流れ、未婚の女性に声がかかる。いけこまが誘った友人と、親戚の女の子が四人ほど前へ出る。すると、「吉川さんもおいでよ!」といけこまが手招きした。
「え、私は……」
「いいから、こっち!」
半ば強引に手を引かれ、ひときわ小さなエリーは未婚女性の輪に加えられた。そしてそれぞれにリボンが配られる。
「この中の一本が新婦の持つブーケとつながっています。さぁ、幸せのおすそ分けはいったい誰が手にするのでしょうか。早速引いていただきましょう!」
五人は互いに様子をうかがいながらゆっくりとリボンを引いていく。みなが見守る中、一本のリボンの端がぴんと張り、いけこまの持つブーケとつながった。
「おめでとうございます。幸せを受け取ったのはこちらの女性でーす!」
「うそ……」
それはエリーだった。人の幸せをけなしに来たはずの彼女がブーケを手にすることになるとは、皮肉なものだ。
「私、受け取れません……。だって、もっとふさわしい人がいるはずですから」
おそらくは、エリーの本心。しかし周りから見ればただの謙遜にしか見えない。みなの拍手を浴びながらブーケを受け取った彼女。だが、その顔は引きつっていた。

「参加してくださった女性の方々、席へお戻りください。さぁ、宴もたけなわではございますが、そろそろお開きの時間となりました……」
司会のアナウンスで、エリーは席に戻ってきた。何も言えなかった。励ましも慰めも、今の彼女にとっては何の意味も持たないだろう。
「吉川さん、こういう時はもっと喜んでいいのよ? スマイル、スマイル!」
僕の遠慮など知る由もなく、母さんが、自身も笑いながらエリーに言った。
「母さん、エリーが困ってるじゃんか」
「え? なんで?」
「アキ、私は、大丈夫だから。……おかあさんのいうことは正しいわ」
「だけど……!」
「おかあさん、私、とっても嬉しいですよ。でも、すごく緊張しちゃって、うまく笑えないんです」
「そりゃあそうよねぇ。みんなに注目されたら、だれでも緊張するわよ。わかるわぁ。それに高校生じゃ、結婚もまだ先の話だしねぇ。幸せのおすそ分けって言われてもピンとこないかもねぇ」
「本当に、そう思います」
エリーは優等生らしく、あっちでもこっちでもいい顔をする。たぶん、僕といるときだって僕用にあつらえた「吉川映璃」を演じている。そう思ったら妙な寂しさに襲われた。
その時、会場の照明が暗くなり、高砂席にライトが当たった。
「最後に、新郎からお集りの皆様へご挨拶があります」
司会の言葉で、和やかだった会場の空気が張り詰め、しんと静まり返る。マイクを手渡された兄貴が堂々と胸を張る。
「本日は急なお誘いにもかかわらず、これだけの方々にお集まりいただき誠に感謝いたします。私たちはまだまだ未熟者です。早すぎる結婚や準備不足、子供のことなどおっしゃりたいことが山ほどあると思いますし、私たちもお叱りの言葉は甘んじて受け入れるつもりです。でも、一つだけ言っておきたいことがあります。私は、高校時代の恩師が言っていた言葉をとても大切にしています。それが、『しないで後悔するくらいなら、して後悔しろ』です。
どちらも同じように思えますが、前者は一歩も進む勇気が持てない人、後者は一歩でも前進する勇気を出した人。その差は大きいのだと。その言葉を聞いて以来、『する、しない』の選択を迫られた時には必ず『する』を選ぶようになりました。だから結婚したし、子供も育てていこうと決めたのです。
この決断で失うものもあると思います。でも、一歩踏み出した行動力があるから、たとえ困難にぶち当たったとしても取り返せると思っています。また……」

頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。兄貴の行動力の秘密はそこにあったのか。先日、母さんを喜ばせたいだけなどと言った自分が恥ずかしくなる。
兄貴はずっと、自分の信念に従って行動していたのだ。同居のことは、いけこまや僕のこともあって再考することになったものの、最初の一歩があったからこそ問題点も分かったし、僕自身、受けた影響は大きい。しかもそれはプラスの影響だ。
兄貴のような人になりたい。初めてそう思った。
***
パーティーが終了し、一同は散開した。野上家だけはこの後、池村家との顔合わせがあるらしく、残るように言われている。何もかも順番が逆だと思うのだが、いまさら言っても仕方がない。これが兄貴たちのやり方なのだ。
顔合わせまでは少し時間があったから、僕はエリーをホテルの外まで見送ることにした。
「今日はパーティーに来てくれてありがとう。それから……」
「それ以上言わないで!」
エリーは強い口調で僕の言葉を遮った。
「きっと罰が当たったんだよ。人の幸せにケチつけようとした報い。アキだってそう思ったでしょ?」
「エリー。自分を責めるのはよそう。せっかくの結婚披露パーティーだったんだ、弟の僕としては、楽しい気持ちで帰ってほしいんだけどなぁ」
「…………」
エリーはブーケに目を落とし、ぽつりと言う。
「これもらったから、私にも少しは幸せが訪れるようになるかな?」
「うん、きっと」
「……今日はありがとう。いろいろ勉強になったわ」
じゃあね。エリーは最後にそう言って、颯爽と歩きだした。その後ろ姿を、僕はいつまでも見つめていた。
第六話に続く(2〜3日に1話のペースで投稿予定です)
「チェスの神様」について
本作品は、2020年からnoteで連載していた、いろうたの長編小説です。このたび、紹介動画の作成を機に、章立てを再編成し、再掲するものです。
【物語・概要】
チェスを通じて友愛を育む高校生の男女が、家族の複雑な問題や自身の身体的な悩み、また恋敵との葛藤を乗り越えながら「今ここ」を懸命に生きていく愛と成長の物語です。いろうたの出身地、埼玉県川越市が舞台。
全12話(連載期間・約1ヶ月)でお届け予定です。
いろうた作品には、本作主人公の彰博、映璃、悠斗、路教が度々登場します。彼らの原点がここにあります。ぜひ、本作を読んで彼らの魅力を再発見してください!
【三分でわかる】「チェスの神様」紹介動画はこちら
動画制作:いろうた/ピアノ演奏:京泉
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