小説「チェスの神様」④兄夫婦との同居が、チェスしか知らない僕の世界を広げてくれた
物静かな義姉を助けたくて「プチ家出」を計画した彰博。それを知った兄、路教は妻から本心を打ち明けられ、全て自分の意志で物事を進めてきたことを詫びた。そして、同居のことは、二人だけでなく野上家全員で話し合おうと、考え改めたのだった。
第四話:不器用な兄弟の会話
「……一件落着、かな?」
あんまり僕が蚊帳の外なので、ちょっとだけ口をはさむ。二人ともばつが悪そうに僕の顔を見た。
「ちぇっ、おまえの前ではかっこいい兄貴でいようっていつも思ってたんだけどなぁ」
「べつに。兄貴にも弱みが見つかって、僕は嬉しいね」
「はっ、おまえらしいな。 ……ここでこうして話してると、思い出すよ」
兄貴は天を仰いだ。
「思い出の場所なの?」
いけこまが問い、兄貴はうなずく。
「おれが中一で彰博が小一の時から毎年、正月に二人でだるま市に来ててさ。ちょっと多めにお金持たされるから、前回と同じ大きさで、できるだけ安いだるまを探すんだ」
「どうして?」
「そりゃあ、残ったお金で買い食いするからさ」
「なるほど」
「でさ、決まってそこの亀屋の和菓子。彰博に至っては、毎度いちご大福三個と甘酒っていう組み合わせな。一回、餅をのどに詰まらせて大変な目にあったってのに、やめないんだぜ? 懲りないやつだよなぁ」

「冬限定で、しかもおいしいんだからいいじゃん」
「彰博君、可愛い!」
いけこまにからかわれて居たたまれない。いけこまはすぐに謝った。
「やっぱり兄弟っていいなぁ。あたし、一人っ子だから羨ましい。そりゃあ喧嘩もするんでしょうけど、子どものころはきっと、毎日楽しかったでしょうね。ねぇ、みっちゃん。あたしたちの子供もきょうだい作ってあげましょうね」
「ちょっと、駒っちゃん。彰博の前でそんな話……」
「あら、いけなかったかしら?」
「保健室の先生はこれだもんなぁ」
僕は子供だから大人の会話に入れないらしい。もっとも、僕が恋愛に無頓着だからそう扱われても仕方がないけれど。
「……あのさぁ、駒っちゃん。やっぱやろうか、結婚パーティ」
唐突に兄貴が言った。
「せめて親族ぐらいにはきちんと披露宴で挨拶しとこうかなって。 おれ自身、一人前になったって、証明したいし。……特に母さんには」
「本当に? だってそう言うのには興味ないって……」
「友人や同僚に冷たい視線を向けられるのが怖かっただけなんだ。でもおれは駒っちゃんが好きで結婚したんだから、年の差とか、子どもが先とか関係ない。……彰博に言われて、分かった。そして駒っちゃんの気持ちを聞いて吹っ切れた。やろうよ、おれたちの門出はおれたちで祝おう」
「うれしい……。ありがと、みっちゃん」
いけこまは目の端をそっと拭った。
ただし、と兄貴は頭をかきながら言う。
「やるなら今月中にやりたいんだ。来月から新規プロジェクトが立ち上がる関係で、休日出勤とか夜勤とかが増えるから」
「なら、パーティーどころじゃ……」
「今月なら大丈夫。急だけどさ、都合がつく人だけ募ってパーティできないかな。人数集まらなかったら家族だけでもいいし」
「そうね。本当に心からお祝いしてくれる人だけに来てもらえたほうが、あたしもうれしいな」
二人は言って、それぞれスマホを取り出すとスケジュールを確認し始める。
「次の土、日くらいしか、日がないけどどうかなぁ?」
「あたしは平気。後は来客集めね。……まず一人、確保ね」
いけこまの両手が僕の肩に置かれた。
「はいはい、行きますよ」
「おまえ、すっかり気に入られたなぁ」
兄貴が笑いながら言った。
***
僕といけこまは最寄りの停留所からバスで、兄貴は僕の自転車でそれぞれ帰った。 が、バスの待ち時間の関係でほぼ同時に家に着いた。
ドアを開けると母さんが勢いよく出迎えた。
「二人してどこ行ってたの? 学校行くだなんていうから安心してたのに、表に出てみたら自転車も車も置きっぱなしで。 あとで、路教も出て行っちゃうし」
『ごめんなさい』

僕たちは三人同時に謝った。ぽかんと口を開ける母さんに、兄貴が代表して言う。
「母さん。無茶なお願いしちゃってごめん。おれが帰ってくるまで起きて待っててくれてありがとう。 だけど、もうしなくていいよ。結局おれのせいで二人が辛い思いをしてしまったんだって分かったから。彰博にも迷惑かけたし、もう一度同居のこと、ちゃんとみんなで話し合う時間を作りたいんだ」
「あたしからもお願いします」
二人は改めて頭を下げた。
「ちょっと、ちょっと。わたしはちっとも辛い思いなんかしてないわよ。 むしろ、嬉しくって舞い上がってたくらいなんだから。……そりゃあちょっぴり寝不足気味だけどね。まあ、あなたたちがそう言うんなら、納得できるまでみんなで話し合いましょうか。さっそく今夜でもいいわよ?」
「ありがとう。母さんは話が早く助かるよ。それでさ……」
兄貴は続けて、お披露目パーティーの話を切り出した。急だけど、家族が増えたことを報告したいと。
母さんは「まあ!」と言って目を輝かせた。
「とりあえず親戚には片っ端から連絡してみる。母さんに任せなさい。こういうことは得意だから」
電話、電話! といいながら、母さんは居間に戻っていった。
「……お義母さん、無理してないかな?」
「心配しすぎだって。二十四年おれの母さんやってんだから、おれが何を言い出すかくらい分かってるはずだよ」
「ならいいけれど」
いけこまはまだ緊張した様子で母さんの後ろ姿を見ていたが、やがてふっと息をついた。
「……あたしもちゃんと、同居のこと、考えるね。今すぐは無理かもしれないけれど、時の経過とともにあたしの考え方だってきっと変わると思うの」
「駒っちゃんが両親のことを受け容れてくれたらおれは嬉しいよ。おれは待ってるよ。駒っちゃんが自然と受け容れてくれるときまで。その頃には彰博だって家を出てるだろう」
「ん?」
急に話を振られ、とっさに言葉が出なかった。もちろん、怒られる。
「ったく、そんな反応するから、何も考えてねぇって言うんだよ。おまえ、さっき自分で言ったよな? もうすぐ十八だって。少なくとも、何をしたいか、方向性だけでも決めろ。んで、一度家を出ろ。世界が広がるから」
この家を出て自分だけで暮らす。考えたこともなかった。僕が口を開きかけると兄貴が先に言う。
「できないっていうなよ? やるんだ。……おまえは頭がいいんだから、絶対できる」
「え、いま、なんて……?」
頭がいいから絶対できる。そう聞こえたが、聞き間違いだろうか?

兄貴は面倒くさそうに言う。
「おれは二度もほめねぇぞ。南高受かったんだろ? チェスでも県大会で準優勝してんだろ? おまえなら、本気出せばもっとできるんだから、やれ」
「え、何で知ってんの? 大会の成績」
「ばか、父さんが自慢しないわけないだろ。実家に電話かけるたびに大会の結果を教えてくれるよ」
「しかも父さんなの?」
「何も言わない父さんだけど、ちゃんと見守ってくれてんだぜ。……おまえが最後に手抜きして二番手に甘んじてるんじゃないかとまで言ってたぞ?」
すべてを見透かされていて怖かった。県大会で優勝すれば、個人戦で全国に行ける。だけど、一人で全国の強者と勝負するだけの度胸が僕にはなかった。本当は勝てた試合だったのに、わざと相手に有利な手を指してチェックメイトを誘い、準優勝になったのだ。もちろんそんなことは誰にも言っていない。
「どうやら図星らしいな」
兄貴はやれやれとため息をつく。
「いいか? おまえにはチェスしかないって言うなら最後まで全力で戦えよ。手抜きなんかしたら、本気出してる相手に失礼だろ? 戦いを挑んだら絶対に引いちゃいけねぇ。おれ相手にはできたんだから最後まで食らいつけ。負けるときは全力出してから負けろ」
「……今日の兄貴、なんか変だ」
「おいおい、おまえがおれを変にしたんだろうが」
「ふふふふ」
僕らの会話を聞いていたいけこまが笑いだした。
「やっぱ、二人って仲良しなんだねぇ」
「おれにしてみりゃ、世話の焼ける弟だよ。っていうか、そこ、笑うとこじゃないだろ?」
「はは。ごめん、ごめん。ほほえましいなぁって思ったらつい」
「ったく、今日は調子崩されっぱなしでくたくただぜ。……そういやぁ、昼飯まだだったなぁ。 いっそ、外食するか。たまには家族全員でさ。いいだろ?」
玄関の掛け時計を見ると一時を回っている。さっき和菓子は食べたけど、言われたら急にお腹が空いてきた。
「異議なし」
僕は手をあげて答える。
「あたしもそれでいいけど、ご両親は?」
「おれが説得する。彰博、近くの回転寿司でいいよな?」
「おっ、いいね」
「じゃあ先に行って、席の確保、よろしく」
「了解。行こう、いけこま。すぐそこなんだ」
そう言って歩き出す。
自分でも驚くほどに足取りが軽かった。ほめられていい気になるなんて単純だな、僕は。

「ありがとう、家に来てくれて」
いけこまにお礼を言った。いけこまは「ううん」と首を振る。
「家にいるだけじゃ、あたしは何の役にも立たない女だったわ。それを彰博君が変えてくれた。一歩踏み出す勇気をくれた。だから、お礼を言うのはこっちのほう」
「じゃ、お互いさまってことで」
「ええ。これからもよろしくね」
「はいはい」
ずっと、慣れ親しんだチェス以外の世界を知るのが怖かった。だけど、初めの一歩を踏み出してしまえば、案外新しい世界も楽しめそうだ。
チェス一筋で恋愛には全く興味がなかったけど、いつか兄貴たちのように家庭を築くのも悪くない。そんな気持ちさえ芽生え始めている。
第五話はこちら(8/19投稿)
「チェスの神様」について
本作品は、2020年からnoteで連載していた、いろうたの長編小説です。このたび、紹介動画の作成を機に、章立てを再編成し、再掲するものです。
【物語・概要】
チェスを通じて友愛を育む高校生の男女が、家族の複雑な問題や自身の身体的な悩み、また恋敵との葛藤を乗り越えながら「今ここ」を懸命に生きていく愛と成長の物語です。いろうたの出身地、埼玉県川越市が舞台。
全12話(連載期間・約1ヶ月)でお届け予定です。
いろうた作品には、本作主人公の彰博、映璃、悠斗、路教が度々登場します。彼らの原点がここにあります。ぜひ、本作を読んで彼らの魅力を再発見してください!
【三分でわかる】「チェスの神様」紹介動画はこちら
動画制作:いろうた/ピアノ演奏:京泉
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