太陽光パネルは、意外と暑がりだ。
5月16日は、国際光デーだそうです。
ユネスコが制定したこの日は、光が科学や文化、あるいは私たちの暮らしにどんな役割を果たしているかを考える日。
そう聞くと、なんだか壮大な実験施設や、宇宙の彼方の銀河を想像してしまいますが、私の家で光と一番仲良しなのは、間違いなく屋根の上にいる彼らです。
太陽光パネル。
太陽から約1億5000万キロ。8分20秒という長い時間をかけて旅をしてきた光を、その身ひとつで受け止める、光の熱烈なファン。
今日は旅の日でもあるそうですから、光にとってはパネルの上が、長い旅の終着駅といったところでしょうか。
今まで私はずっと、彼らの本番は夏だと思っていました。
入道雲が立ち上がり、肌を焼くような日差しが降り注ぐ8月。
あの時期こそ、彼らが最も元気に、ガシガシと電気を紡ぎ出しているのだと。
ですが実は、彼らは意外なほど暑がりなのです。
暑さに弱く、影にも脆い。
最新テクノロジーを駆使したエリートのわりに、彼らは驚くほど繊細です。
例えば、光を求めれば求めるほど、自分を弱らせる「熱」が増えてしまうという、皮肉なジレンマ。
真夏の屋根で80度近くまで熱せられるとき、彼らは本来の力の15パーセント以上をロスして、バテバテになっています。
さらに意外なのが、影に対する不器用さです。
何十枚もの小さな部品が一列に繋がって仕事をしていますが、特に従来型の直列接続ではその列に「落ち葉一枚」が乗っただけで、全体の発電量がガクンと落ちてしまう。
一箇所でも流れが滞ると、全員が一番遅い歩みに合わせなきゃいけない。
デジタルな最新機器のくせに、そんな「お堅いクラスの集団行動」みたいな不器用さを抱えているのです。
光を1億5000万キロ先から受け止める実力がありながら、たった一枚の葉っぱに足を掬われてしまう。
そんなアンバランスさを知ると、屋根の上でじっと耐えている彼らのことが、なんだか放っておけないような気分になってくるのです。
5月と8月、光の量は同じでも
また気象庁のデータを見てみると、面白いことがわかります。
東京における5月と8月の光の量、つまり日射量は、統計上はほぼ同じ。
光の条件は、実は互角なのです。
それなのに、検針票を見ると5月の方が好調なことが多い。
それは、5月の爽やかな風が、屋根の上で熱くなった彼らの体を、優しく冷やしてくれるからです。
実は、多くの太陽光パネルは「気温25度」を基準条件として性能が評価されています。
朝起きた時点ですでに30度を超えているような真夏とは違い、5月は彼らにとって、まさに「ちょうどいい」時間が長く続く季節。
心地よい風に吹かれながら、最高のコンディションで光を浴びる。
それはまるで、お気に入りのカフェのテラス席で、仕事が一番はかどっているときのような、そんな「機嫌の良さ」が、検針票の数字に現れているのかもしれません。
5月の光と、5月の風。
この二つの黄金のバランスが整ったとき、パネルたちは真夏よりもずっと効率よく、涼しい顔をして電気を届けてくれる。
彼らにとっての黄金期は、今この瞬間なのです。
私たちの便利なデジタル社会は、意外と、こういう地道な熱との戦いで成り立っているのかもしれません。
窓を開けると、ちょうど心地よい風が吹き抜けました。
私たちが、ああ、今日はなんていい天気なんだ、と深呼吸したくなるとき、きっと屋根の上のパネルたちも、同じようにガッツポーズをしているはずです。
さて、そろそろ溜まった洗濯物を干しに行きましょうか。
パネルたちが頑張ってくれている間に、私はお日様の力を借りて、タオルの湿気を追い出すことにします。
やがて屋根の上が陽炎でゆらゆらと歪むような、厳しい季節がやってきます。
そうなれば彼らも、必死に肩で息をしながら働くことになるのでしょう。
ですが、今はまだ五月。
爽やかな風がその熱をそっと逃がし、彼らが一年で一番「いい顔」をして光を受けている季節です。
最新のデジタルに囲まれているようでいて、実はこうして、風や光という「自然の機嫌」に振り回されている。
そんな不器用で、一筋縄ではいかない存在と肩を並べて暮らす今の距離感が、私は案外、嫌いではありません。
▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ
かつてAIが「指の数」を間違え続けていた不器用な理由。それは、今のパネルたちが「熱」にバテてしまうのと同じ、構造ゆえの、どうにもならない弱点でした。
太陽光に抗えないパネルの性と同じように、私たちの指先もまた、四角い画面が放つ「無限の引力」に抗えない仕様になっているのかもしれません。
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