夜になると聞こえる「キーン」の正体は?
夜の22時、ようやく一日の任務が完了します。
上の子の普段着の食べこぼしをつまみ洗いし、浴室の物干し竿へ引っ掛け、明日は休みだから連絡帳のチェックも必要ない。
一日の終わりに自分の布団へ滑り込む瞬間は、砂漠でオアシスを見つけた旅人のような心境です。
5月後半の夜風は驚くほど優しくカーテンを静かに揺らし、冷蔵庫の気まぐれな駆動音も収まり、完璧な無音空間が広がります。
さあ、心ゆくまでこの静寂を味わおう。
そう思って目を閉じた次の瞬間、耳の奥から招かれざる音が響き始めます。
キーン。
それは、しーんと静まり返った空間を切り裂くように聞こえてくる、とても高い金属音です。
耳を塞いでも消えず、むしろ静かになればなるほど、その音量は増していくように感じられます。
何も音が鳴っていないのに、どうして音が聞こえるのでしょうか。
耳鼻科に駆け込むほどではないけれど、確かにそこにいる、あの「静寂の居候」の正体について考えてしまいます。
ちなみにこの現象、健康な人でも防音室などの静かすぎる空間に入ると、9割程度の人がこの音を聞くのだそうです。
静かすぎる部屋のオーディオミキサー
この謎の金属音は、耳の異常ではなく、私たちの頭の中で起こっているあるドタバタ劇が原因です。
脳の聴覚を担当しているエリアには、とても真面目で、少しだけ張り切りすぎた音響スタッフが常駐していると考えてみてください。
いや、スタッフというよりは、ボリュームのつまみを握りしめたまま絶対に手を離そうとしない、頑固な職人といったほうが正しいでしょうか。
彼の仕事は、外部から入ってくる音の音量を適切に調整することです。
昼間、街の雑音や子供たちの賑やかな声が溢れているとき、スタッフは涼しい顔でボリュームダイヤルを下げています。
そうしないと、私たちの脳が情報の洪水でパンクしてしまうからです。
しかし、夜が更けて周囲が完全に静まり返ると、彼の態度が一変します。
「おい大変だ、音が全く入ってこないぞ。」
「もしかして遭難したのか、それとも放送事故か。」
静寂に耐えかねたスタッフはパニックに陥り、大慌てでボリュームアンプのダイヤルをカチカチと右へ回し始めます。
もっと小さな音でも拾えるように、感度を限界まで引き上げようとするのです。
ダイヤルは最大値の10に達し、それでも足りずに限界を超えて回されます。
全神経を尖らせて、何かないかと周囲の音を貪欲に探し回る音響スタッフ。
しかし、外の世界は完璧な無音です。
拾うべき音はどこにも落ちていません。
その結果、アンプのボリュームを上げすぎたマイクがハウリングを起こすように、脳は自分自身の神経が発している自発活動のノイズを爆音で拾い上げてしまいます。
これが、あのキーンという耳鳴りの有力な説明の一つと考えられています。
専門的には中枢性ゲインコントロールと呼ばれる、脳の自動感度調整機能がもたらす愛すべき副作用でした。
つまりあの音は、私の体が壊れた音ではなく、むしろ脳が私のために限界突破して耳を澄ませてくれている、必死の努力の証だったのです。
退屈した住人になだめのおもちゃを
それにしても、これほど一生懸命に耳を澄ませて、最終的に拾い上げたのが自分自身の神経のノイズだけというのは, なんともいえない徒労感が漂います。
せめて、隣の部屋で眠る子供たちの微かな寝息や、遠くを走る電車の音でも運んできてくれればいいものを、脳が総力を挙げて持ち帰ってきたのが「自分の内側のざわめき」だけだなんて、誰得の独占放送なんだろうか、と暗闇の中でそっとツッコミを入れてしまいます。
真面目すぎるのも考えものですね。
この張り切りすぎた脳内スタッフをなだめるために、医療の現場でも使われているホワイトノイズ療法という面白い方法があります。
あえて、ごく微弱なノイズを聴かせるのです。
テレビの砂嵐のような、あるいは川のせせらぎのような、優しくて退屈な音を部屋に小さく流しておきます。
すると、大慌てでボリュームを上げていたスタッフは、その微かな音を検知してすっかり安心します。
「あ、音が入ってきた。よかった、遭難はしていなかったんだな。」
そう判断した彼は、限界まで上げていたボリュームダイヤルを、そっと元の位置まで下げてくれます。
結果として、耳の奥のキーンという高い音は静かに消えていくという仕組みです。
静寂に耐えられなくて暴れる脳に、退屈で安全なおもちゃを与えて大人しくさせる。
そう考えると、私たちの体はどこまでも人間臭く、可愛らしいシステムで動いているような気がしてきます。
静寂の裏側で
誰も喋らない、静まり返った暗闇の中で。
私の脳は、私を退屈から救うため、あるいは見えない危険から守るために、今も裏側で必死にボリュームダイヤルを最大まで回し続けているのでしょう。
その必死の捜索活動の成果が、あのトホホな放送事故なのだとしても、不思議と悪い気はしなくなってきます。
横で眠っている上の子の布団を掛け直そうと手を伸ばしたとき、パジャマのズボンが前後ろ反対に穿かれていることに気づきました。
お尻側にあるはずのポケットが、お腹の前にぽつんと浮かび上がっています。
スマートにいかないのは私と子供たちだけで十分なのに、私の頭の中にいる住人までこれほど頑固で空回りしているのだから、もうお手上げです。
これは遺伝なのか、それとも飼い主に似たのか?
私はそっと上の子の頭を撫で、自分の布団に深く潜り込みます。
耳の奥で静かに鳴り続ける、世界で一番小さな「ハウリング」を子守唄の代わりに聴きながら、今夜は目を閉じることにしました。
▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ
目を閉じるほどに頭が冴え渡り、気がつけば時計の針が回っている。あの眠れない夜の脳が仕掛ける、もう一つの不条理なゲーム。
今朝見たはずのあの鮮やかな夢は、なぜ目を開けた瞬間に消えてしまうのか。眠りと記憶をめぐる、脳内の静かな片付けシステム。
いいなと思ったら応援しよう!
記事を読んで、何か少しでも心に残るものがあったなら嬉しいです。いただいた応援は、次の「ふしぎ」を探しに行く力になります。