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「身が枯れて」を覚えているスマホ

夕暮れのリビングに、五月晴れの名残を含んだ、少し生ぬるい風が吹き抜けていきます。

キッチンの片隅で、片手でスマホの画面をタップする。

画面に浮かぶ小さなひらがなのグリッドに向けて、親指を滑らせます。

私たちの指先は、スマホのディスプレイという無機質なガラスの上で、実は常に少しだけ迷子になっているようです。

指の腹が平らで太いせいか、あ行のキーを押したつもりでも、かすかに隣のキーの境界線を踏み越えてしまいます。

そのわずか数ミリの軌道のズレが、のちに静かな悲劇を引き起こすことになります。


「磨かれて」から「身が枯れて」への誤認

自分を磨いて、これからさらに貢献していきたいです。

仕事の評価面談を前に、キャリアの目標について前向きに打とうとしただけでした。

それなのに、私のスマホの画面は、「みが」という二文字を入力した瞬間に、最優先の候補として「身が枯れて」という言葉を提示してきたのです。

誰も水をやらない観葉植物の心配をしているわけではありません。

これからの展望について前向きに語るメッセージの最前線に、最先端のスマートデバイスは自信に満ちたフォントで、その不穏な言葉を差し出してきました。

身に覚えがないわけではないのです。

以前、深夜の夜泣きが続いて一睡もできないまま朝を迎えた時などに、「もう本当に、身が枯れてしまいそう」と何度か弱音を吐いて確定してしまったような気がします。

あの時の限界の叫びを、この手のひらの上のガラスの板は、片時も忘れずに胸に抱き続けていたのでした。


画面の裏側にある、伸縮するキーボード

なぜこれほど高度なテクノロジーが、私の最も見られたくない弱音を、これほど正確に保存し、絶妙なタイミングで差し出してくるのでしょうか。

その仕組みを調べてみると、そこには現代のデジタル知性が持つ、過剰なまでの忖度が潜んでいました。

スマートフォンの入力エンジンは、実は裏側で驚くべき気配りを行っています。

私たちの指のわずかなブレを予測し、タッチされた座標がキーの境界線の上であっても、前後の文字のつながりから最も確率の高い文字を自動的に補正しているのです。

スマホの画面の裏側では、まるで見えないキーボードが伸び縮みするように、私たちの指の癖が補正され続けています。

画面のキー自体はピクリとも動きませんが、裏側の制御スペースでは、私たちの太い指先のズレを吸収するために、凄まじい計算が絶えず回っているのです。

スマホは、私たちのブレを、親切に軌道修正してくれていました。

しかし、その高度な学習アルゴリズムが、人間がうっかり確定という名のハンコを押してしまった瞬間に、奇妙な誤認を起こします。

予測変換のエンジンは、この深刻な場面でこの言葉が選ばれた、これは持ち主の新たなお気に入り語彙に違いない、と完璧なロジックで学習してしまいます。

こうして、統計モデルの忠実な仕事によって、かつての私の限界の叫びは、永遠の輝きを与えられて最優先候補に君臨することになります。

機械の非の打ちどころのない忠実さが、人間のお粗末なミスを完璧に再生産するという、静かな皮肉がここにはあります。

私たちは、このようなスマートフォンの無言の配慮や、時に生じるお節介のループから、どうしても逃れることができません。

指先をガラスに吸い寄せられ、画面の向こう側のシステムと無意識に格闘し続ける毎日。

思えば、私たちはなぜこれほどまでに、あの小さな長方形の引力に抗えないのでしょうか。


記憶のリセットボタンが呼ぶ奇妙な罪悪感

スマートフォンの設定画面の奥深くには、変換学習のリセットという、いわば記憶の強制排除ボタンが存在します。

このボタンを押せば、あの忌々しい「身が枯れて」も、その他のおかしな誤変換候補も、すべて一瞬で無に帰すことができます。

しかし、そのボタンに指を近づけた瞬間、妙な葛藤が胸をよぎります。

このリセットを行うということは、この機械がこれまで何万回、何十万回と、私の指先のズレを裏でこっそり補正し、見事な日本語に変換し続けてくれた無言のサポートの履歴さえも、すべて裏切り、なかったことにする行為ではないか。

それは、あまりにも一方的で不義理な気がしてくるのです。

スマートフォンを再び見つめます。

画面の最優先候補には、相変わらず「身が枯れて」の文字が、どこか誇らしげに浮かんでいます。

まあ、この少しズレたお節介のまま、明日も付き合っていくことにしましょうか。

本当に私の身が枯れてしまう、その日まで。


▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

スマホの過剰なまでの忖度に翻弄される私たちですが、そもそもなぜこれほどまでに、あの小さなガラスの板の引力に抗えないのでしょうか。私たちの指先を引き寄せて離さない、無言の力の正体について。

夜泣きや寝かしつけの果てに、心も身体も干からびてしまいそうな時。深夜の静寂の中でスプーンですくうあの一口が、驚くほど深く心に染み渡る心理学的な仕掛けについて。


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