連休明けに動けないのは、あなたが弱いからじゃない
5月7日の朝。
窓の外では、連休中の喧騒が嘘のように静まり返った街が、規則正しい呼吸を始めています。
私はといえば、デスクの前に座ったまま、人差し指を空中で止めていました。
ターゲットは、ノートPCの左上にある、小さな電源ボタン。
昨日まではあんなに軽やかだったはずの指先が、今朝はどういうわけか、数キロの重りでもぶら下げているかのように動きません。
やっとの思いでボタンを押し、OSが立ち上がるまでの数十秒。
画面に映る自分の顔の、あまりの覇気のなさに、ふと「自分はなんてダメな人間なんだろう」という罪悪感が頭をもたげました。
でも。
もしこの脱力感が、私の怠け心ではなく、脳が必死に私を守ろうとしている反応だとしたら。
少しだけ、この重たい朝の見え方が変わるかもしれません。
4月の「過覚醒」というフルスロットル
振り返ってみれば、4月という月は、私たちの脳にとって異常事態の連続でした。
新しい環境、新しい顔ぶれ。
「早く慣れなきゃ」というプレッシャーの中で、脳はアドレナリンを出し続け、疲労を麻痺させていたのです。
これを、脳科学では過覚醒と呼びます。
本当は疲れているのに、脳が「今は非常事態だ」と判断して、センサーを一時的に切っている状態。
深夜まで栄養ドリンクで無理やり目を覚まさせて、走り続けていたようなものです。
私たちは、自分が頑張れていると思っていました。
でも、脳のバッテリー残量は、とっくに赤色に点滅していたのです。
有能すぎるボディーガードの「緊急ブレーキ」
そしてやってきた、ゴールデンウィーク。
張り詰めていた緊張の糸が、連休という穏やかな時間の中で、ふっと緩みました。
その瞬間、私たちの脳は、ずっと隠してきた「ダメージの山」を突きつけられたはずです。
「あ、これ、もう限界だわ」
そう判断した脳は、連休明けの5月7日、驚くべき戦略に出ます。
脳は、神経伝達物質(セロトニンやドーパミンなど)のバランスや自律神経の状態を変化させて、活動レベルを意図的に下げるような状態に入ります。
これ以上、持ち主に無理をさせて心身を完全に壊してしまわないように、脳はあえて「やる気の蛇口」をギュッと閉め、感度を落としてしまいます。
「今はもう、何も感じなくていい。とにかく、休め」
そう命令を下しているのは、理屈ではなく、私たちの命を司る脳の最深部です。
いわば、会社からの評価よりも、あなたの命そのものが壊れないことを優先した、有能なボディーガードのような存在。
私たちが今感じている、あの鉛のような倦怠感は、脳があなたに発行した「強制的な有給休暇」の通知だったのです。
私たちの脳は、私たちが連休中に奮発して食べた、あの1,500円もするふわふわのパンケーキのことなんて、もう一秒も覚えてはいません。
ただ、主人のこれ以上の無理は困る、とだけ冷徹に判断しているのです。
連休明けの「アイドリング」を肯定する
そう思うと、電源ボタンの前で立ち往生している自分の指先が、なんだか誇らしく思えてきませんか。
私の脳は、私が頑張りたいと言っても、それを無視してまで私を守ろうとしている。
それは、私自身が自分の体を大切にするよりもずっと、脳の方が私の生存を信じ、優先してくれているということです。
今日は、フルスロットルで走る必要はありません。
エンジンの回転数を最小限に保って、ただそこに存在しているだけで、今日の仕事は100点満点なのだと思います。
システムの強制アップデート中は、PCの動作が重くなるのと同じ。
今は、4月のダメージを修復し、これからの季節を生き抜くためのOSの更新が行われている最中なのです。
デスクの隅に、連休前の自分が貼り残していった、一枚の付箋。
走り書きの文字はどこか他人事のように見えて、糊が弱まった端っこが、少しだけ丸まっています。
それをぼんやり眺めながら、私は3回も間違えたログインパスワードを、ゆっくりと、4回目に打ち込みました。
私たちの脳は、時々、私たち以上に私たちの味方をしてくれる。
そんな、少しお節介で最高にふしぎな同居人と一緒に今日という重たい一日を、なんとか静かにやり過ごせた。
それだけで、今日の私は100点満点だったのだと、今は思います。
▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ
季節の変わり目に、洗濯機が止まるように心がフリーズしたこと、ありませんか? あの寒暖差による「強制終了」もまた、脳が命を優先した結果かもしれません。
今回は身体の「ブレーキ」の話でしたが、脳が「記憶のシュレッダー」を使って私たちを守る仕組みも、同じ不器用な優しさの裏返しのようです。
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