113.シドンの頭骨
画像は以下のサイトから転載。
聖杯伝説は今回で最終回です。興味のある方は以下の過去記事から通しでお読みください。
社会的婚姻
このNoteには、「だれそれとだれそれが結婚しました」がよく出てきます。
血統をたどることで「十字軍に遠征しただれそれはだれそれの甥だった」などが判明し興奮するわけですが、通常は興奮しません。
なぜならまず、だれそれとだれそれを知らないからです。赤の他人の結婚などどうでもいいことです。
「だれそれとだれそれが結婚しました」は、「歴史は退屈」をそれそのものが体現する典型的な記述です。

歴史学において系図を見る場合、女性に注目します。ヘンリー二世よりだんぜんアリエノール・ダキテーヌです。
「男」を産み育てるのは女だからです。

第一回十字軍以降、いわゆる騎士道が中世ヨーロッパ各地に広まりました。
騎士連中は、身分の高い女性に恋などをします。

王妃その人に恋をする場合もありました。王はもちろん怒りますが、騎士道は茶道や華道などと同じ芸道なので、叱責も半ば演技です。
そして超体育会系の連中なので、騎士はリアルにクエストを与えられます。伝説の騎士のようにです。
死ねば王妃は無事、ミッションを達成すれば爵位と王妹ゲットで大出世です。

体育会系のこういった理不尽さは、現代人の嫌うところです。なのでわたしたちはこのようなクラブには入らず、授業終了と同時に帰宅します。
帰宅部を選んでも構わないのですが、命がけのクエストにはメリットがあります。自分自身の成長とお家の出世、そして金銭的な報酬です。
現代人はこれらすべてを、斜に構えては屁理屈をこね、回避しようとします。リスクを取らず、現状維持でお茶を濁します。
ヨーロッパの蛮人たち、かつてのヴァイキングなどは、文化と呼べるものを持ち合わせていませんでした。自分の娘と平気でやったりなどの文字どおりの蛮人でした。

このような蛮人たちのあいだに騎士道という「ゲーム」が広まったのは、単純にそうしたほうが得だからです。
世界にはすでに社会、文化というものがあります。王侯もいれば坊さんもいます。野心があっても腕力だけでは出世できません。
社会や文化とは関係なく、男は純粋に女を追い求めます。
洋の東西を問わず、男は女をゲットするためなら多少の無理も厭いません。痛々しいことも平気でやります。
めでたく女をゲットしたあとは、結婚です。とはいえ恋愛から結婚までの過程もなかなかすんなりいかないものです。
男自身も悩み考えますが、親も考えます。なにを考えているのかというと、「本当にその女でいいのか」です。
それはとりもなおさず、「本当にその女の家族と付き合うのか」ということです。そこには先方の家柄も考慮に入っています。

庶民レベルで考えても、女が風俗嬢だったり実家が借金を抱えていたりといった場合、親は反対します。社会的に身分が低いからです。
風俗嬢は身分が高い、と主張したい方はコメントをもらえればと思うのですが、とりあえず駆け落ちなどをすると男は不幸になります。
親が風俗嬢との結婚を許可したとしても、やはり比較的不幸になります。地位が低い家と付き合っても得るものがないからです。
このように、「身分が低い」「地位が低い」というレッテルは、ヒューマニズムがなにをどういおうが意味のある社会的評価です。
そこに社会が存在するのであれば、身分の低い娘を娶るべからず、という要請ももれなく含まれている、いうことです。社会的に幸福になれないからです。
逆に女が医者の娘だった場合、親は膝を乗り出すはずです。

この婚姻が同意のもとにまとまれば、男の家はハイソサエティーの仲間入りです(大げさですが)。
ですが当の男が怖じ気づく場合もあります。また、これも洋の東西を問わないのですが、ハイソな連中と付き合うのは気が重い、と考える親もいます。
ですが確実に息子の成長につながります。ハイソなのは理由があってのことですし、いい人脈もできるでしょう。結婚するほうが明らかにお得です。
ゆえに親は息子を後押しすべきで、結果として家のグレードも上がります。心さえ決めてしまえばあとはいいことずくめです。
中世の騎士も社会の要請に従い、高貴な女にこうべを垂れ、もらった下着を肌身離さず持ち歩いたりしていました。
かつてのヴァイキングにいわせれば女々しいことこの上ないのですが、その代わり得ができます。
だいぶ長くなりましたが、結論としては、男は庶民レベルでも地位の高い家の女をゲットすべきです。
恵まれないかわいそうな娘、おれを必要としている、単にかわいいから、そして親の「まあおまえの人生だから」という判断はすべて、自らとお家の不幸につながります。
そして世のエンタメを俯瞰すれば、そのような話ばかりです。未来永劫不幸であってほしい、というお上の願いです。

だいぶ前に「お受験」が流行りましたが、これも同じです。いい大学に入る真の目的は、いい学歴を得るためではありません。
いい大学に入るのは、いい家のお嬢さんをゲットするためです。金持ちはちゃんと知っています。
男は一流大学を卒業し、一流企業に入社し、一年かそこらで結婚します。こんな筋書きのテレビドラマは見たくありません。
そんなわけで婚姻話が出てきた場合、まず女性のほうに注目してください。
女の血
一部の学者たちは、メリュジーヌの物語はスキタイ起源で、帰還した十字軍が西洋に持ち帰ったものだと考えています。
また学者たちは、テンプル騎士団を創設を承認したエルサレム王ボードゥアン二世(一〇七五年ごろ~)、ボードゥアンの従兄弟のゴドフロワ・ド・ブイヨン(一〇六〇年~)、エルサレム王ボードゥアン一世(一〇六五年ごろ~)のいずれかの娘とメリュジーヌが同一視されるとしています。
ボードゥアン二世は、キリキア・アルメニア王国ルーベン朝のモルフィア・ド・メリテネと結婚しました。
この結婚ももちろん、嫁のモルフィアに注目します。モルフィアは日本語のウィキペディアにページが存在しない女ですが、それでも注目します。
キリキア・アルメニア王国は、ミトラ教発祥の地です。ただし地理的にであって、キリキア・アルメニア王国の建国は一〇八〇年ごろです。

ルーベン朝は、バグラトゥニ朝アルメニアの子孫でもあります。
このバグラトゥニ家は、自分たちをダビデ王の末裔だと主張していました。
なのでボードゥアン二世と結婚したモルフィア・ド・メリテネは、ダビデの血統、ミトラ教の血統です。
そして先にお伝えしたとおり、地位の高い家の女をゲットすると得ができます。
キリスト教世界の人たちは、神がダビデ王の末裔に「地の果てまで永遠に支配する」報酬を約束した、ということを知っていました。
イスラム教徒も同様に知っていました。なのでダビデ王の子孫は、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒から有能な指導者として珍重されていました。
嘘か誠かはともかく、ダビデについては無理が通る状況です。であればどんな手段を講じてでも主張すべきで、実際バグラトゥニ家は主張していました。
ボードゥアン二世は家のステップアップのためにモルフィアと結婚したわけですが、逆にいうとダビデの血統、ミトラ教の血統が重要であるとどこかで教わったからです。
つまり世においてはオカルトが出世の鍵だということです。十字軍たちが持ち帰ったオカルト(騎士道)がヨーロッパじゅうに広まったのも当然です。
ボードゥアン二世とモルフィアの長女は、のちのエルサレム女王メリザンドです。

メリザンドとメリュジーヌ、語感が似ているといえば似ているので、この人はメリュジーヌの伝説と結びつけられています。
伝説と結びつけられるほどの女は、プレミアムです。しかもダビデの血統でもあります。
男としては結婚する以外に道はありません。
スカル・アンド・ボーンズ
ボードゥアン二世とモルフィアのあいだには、ほかに三人の娘たちがいました。
長女のメリザンドはアンジュー伯フルク五世(一一〇九年ごろ~)と結婚し、アンジュー伯ジョフロワ五世(一一一三年)~の義きょうだいとなりました。

次女のアリックスは、アンティオキア公ボエモン二世(一一〇七年ごろ~)と結婚しました。このアリックスもアンティオキアの女公を経験しています。
三女のオディエルヌはトリポリ伯レイモン二世(一一一六年ごろ~)と結婚しました。
そして四女のイヴェットは、だれとも結婚していません。修道院に入ったからです。
女は奉られるのと同時に婚姻の道具でもあるので、イヴェットには適切な相手がいなかった、もしくは結婚させる必要がなかった、と思われます。こういった場合は親が手配して尼さんにしたりします。
修道院とのつながりも大事です。騎士道ゲームのもう一つの要素です。
ボードゥアン二世とモルフィアの結婚は、ウェールズの詩人ウォルター・マップ(一一四〇年ごろ~)が起源である『Skull of Sidon(シドンの頭骨)』という死体愛好物語と関連しています。

マップの物語はテンプル騎士団とは関連していませんでしたが、のちにテンプル騎士団が異端の容疑で広く非難されるようになると、マップの物語はテンプル騎士団が崇拝していた頭蓋骨と結びつきました。
この頭蓋骨は、ご存じのとおりバフォメットとして知られています。

テンプル騎士団は修道院ということなので、女性との関係を禁じられてました。
『シドンの頭骨』の伝説によると、あるテンプル騎士と関係を持った女性が死亡しました。
そこで騎士は女性の遺体を掘り起こし、やりたいことをやりました。
そしてその結果、九ヶ月後に凄惨な出産が起きたということです。
マラクレア(キリキア・アルメニアのマラシュ)の貴婦人は、シドンの領主であるテンプル騎士に愛されたが、若くして亡くなった。埋葬の夜、この邪悪な恋人は墓に忍び込み、遺体を掘り起こして冒涜した。すると虚無から声が響き、九ヶ月後に戻れば息子を見つけられると告げた。かれはその命令に従い、定められた時期に再び墓を開けると、十字の脚骨の上に頭蓋骨が乗っていた。同じ声が『これをよく守れ、あらゆる善の源となるだろう』と告げたため、かれはそれを持ち帰った。それはかれの守護霊となり、この魔法の頭蓋骨を見せるだけで敵を打ち負かすことができた。やがてそれは騎士団の所有物となった。

「十字の脚骨の上に頭蓋骨」は、そのへんのおっちゃんにもおなじみのイメージです。

スカル・アンド・ボーンズは、イエール大学の有名な秘密結社です。
あのジョージ・W・ブッシュも会員でした。詳細は省きますが、「脱洗脳者たちへのインタビュー:強者の家ではソドミーが鍵となる」というタイトルのサイトでは、以下のように記されています。
E: スカル・アンド・ボーンズやスクロール・アンド・キー――エリートの子息たちの秘密結社――もまた、金と権力の深い絆をつくるためにソドミー(アナルセックスなどの不自然な性行為)を使っていると思うか?
M: 使っていないとは考えられない。そもそもスカル・アンド・ボーンズとは死の秩序にほかならない。なぜかれらは死者と関わることをするんだ? ソドミーこそが最大のオカルト的力源だ。それなしにどうやって力を得たというのか? おれはそこにはいなかった。招待されたこともない。子供のころにソドミーの被害に遭ったことがなかったから、行くことすらできなかった。さて、フリーメーソンはイメージと会費目当てで無関係な一般人を勧誘する。だがメーソンの真の原動力はソドミストたちだ。ド・モレーの件を調べればわかる。
わたしたち庶民としては、「エリートもたいへんなのだ」程度の認識で問題ありません。高貴な家系に産まれると子供のころからアナルなどを強要されるわけです。
なお子供のころにアナルなどを強要された人は、トラウマを誘発するためリンク先を読むのはお控えください。
繰り返しになりますが、ウォルター・マップが書いた元ネタは、テンプル騎士団とはまだ関係ありませんでした。
ですが一三〇七年から一三一四年にかけて行われた裁判のころには、テンプル騎士団の伝説に深く織り込まれていました。
実際、裁判ではこのマップの話がよく引用されていました。
なお、テンプル騎士団たちの自白はキリスト教会側のでっち上げだったという人もいますが、その人は頭蓋骨のイメージの広まりやスカル・アンド・ボーンズというドンピシャな秘密結社が存在する理由についても説明する必要があります。

エルサレムの王たち
メリザンドとの結婚によって、アンジュー伯フルク五世はボードゥアン二世(嫁の父)の死後、一一三一年にエルサレム王になりました。大出世です。
フルク五世は一一二〇年に十字軍に参加し、テンプル騎士団と親交を深めました。
そして帰国後、騎士団に資金援助をはじめ、聖地に一年間、二人の騎士を駐留させました。
フルク五世とメリザンドの息子には、エルサレム王アモーリー一世(一一三六年~)がいます。
アモーリーの最初の妻はアニェス・ド・クルトネーでした。
アモーリーとアニェスのあいだの娘シビーユは、ギー・ド・リュジニャン(一一五九年~)と結婚しました。

ここでリュジニャン家が登場しました。過去記事を読まれている方は、この退屈な記述にも「おお」と身を乗り出せます。
リュジニャン家はメリュジーヌの子孫であることを主張していました。実際メリザンドの血をゲットしているので根も葉もない主張ではありません。
この婚姻の権利によって、ギー・ド・リュジニャンは一一八六年から一一九二年までエルサレム王、一一九二年から一一九四年までキプロス王となりました。大出世です。
ですがギー・ド・リュジニャンの人気は、一般的に悲惨なものだったと考えられています。
ギーは一一八七年のハッティンの戦いで、有名なサラディンに敗れました。
サラディンは十字軍国家のほぼ全域を「再征服」したため、ギーはダマスカスに幽閉されてしまいました。
これまた有名なリチャード獅子心王(一一五七年~)は、第三回十字軍で有名な「アッコン包囲戦」のアッコンに向かう途中、キプロス島を征服しました。

そしてリチャードはギーに、このキプロス島を売却しました。これによってギーはキプロスの初代ラテン領主となりました。
唐突に出てきた獅子心王リチャード一世は、イングランド王ヘンリー二世とアリエノール・ダキテーヌの息子です。つまりダビデの血統です。
ギーの兄エメリーは、キプロス統治のあとを継ぎ、一一九七年にはエルサレム王にもなりました。
このエメリーは、エルサレム女王イザベル一世と結婚しました。

このイザベルは、先に出てきたアモーリー一世と再婚相手マリア・コムネナの娘です。
先にお伝えしたとおり、アモーリー一世は一一五七年、エデッサ伯ジョスラン二世の娘アニェスと結婚したのですが、一一六二年に無効とされました。
次の嫁マリア・コムネナは、ビザンツ皇帝ヨハネス二世コムネノス(一〇八七年~)の孫、ヨハネス・ドゥーカス・コムネノスの娘です。
イザベル一世はエメリーと結婚する前、シャンパーニュ伯アンリ二世(一一六六年~)と結婚していました。
シャンパーニュ伯アンリ二世は、シャンパーニュ伯アンリ一世とマリー・ド・シャンパーニュの息子です。
マリー・ド・シャンパーニュは、ルイ七世とアリエノール・ダキテーヌの娘です。ここでリチャード獅子心王とつながりました。
ちなみにアンリ二世は、聖杯物語の作者クレティアン・ド・トロワの後援者でもありました。クレティアン・ド・トロワに聖杯物語を書かせたのはアンリの母のマリー・ド・シャンパーニュでした。
このような縁組みを起点に相互婚姻が連鎖し、小アルメニアの王位継承権は実質的にギーとエメリーのリュジニャン家に移りました。
この支配は一三七五年、エジプトのマムルーク朝によって滅ぼされるまでつづいたのですが、あの不安定な地域で二百年もこの「ゲーム」がつづいたのはある意味驚きです。
ボードゥアン二世は由緒正しい血統のモルフィアと結婚したわけですが、大学に入ったらたまたまいいお嬢さんを見つけた、ではありません。
第一回十字軍の真の目的は、自分たちの一族を「エルサレムの王」として確立することでした。壮大な嫁探し、ともいえます。
つまり東京大学ではなく上智大学に入学したのは、ダビデの血統がキャンパスにいると知っていたからです。嫁がダビデならエルサレム王として説得力充分です。
そして娘のメリザンドは伝説化し、リュジニャン家は婚姻によってメリュジーヌの子孫を主張しました。
今回は例え話が長くなりましたが、婚姻というシステムの機能と有用性がお分かりいただけたかと思います。
メディアの要請どおり恋愛やセックスにハマるのも構いませんが、社会はその後の人生までは面倒を見てくれません。
いいなと思ったら応援しよう!
この記事はリサーチにかなりの時間を費やしています。有料にはしたくないので無料で公開していますが、チップをいただけましたら精神的にも励みになります。