闇 503(さようならラッキーハウス編)
闇 503(さようならラッキーハウス編)

2026/03/20 fry
前回の章

二千二十年十月十三日、火曜日仏滅。
一体俺は、どこへ向かって進んでいるのだろうか?
ラッキーハウスで働いているものの、安定などとは遠い立ち位置。
別に気力が無い訳ではない。
明らかに不当な評価に対し、自身の矜持の在り方をよく考えるようになっただけだ。
ラッキーホステルのベッドへ寝転びながら、十三日を迎える。
今日はおじいちゃんの命日。
亡くなったの二千十四年だから、もう六年もあれから時間が過ぎた。
令和まで頑張ってくれてたら、大正、昭和、平成、令和と四つの時代をまたがっていたのにな。
横浜で亡くなったのを知り、川越に戻って今はまた新宿。
情けない生き方で本当ごめんね。
『うちのばーさんがその四つの時代をまたいでます。もう六年もなるんですね…早いですね…。 青木怜子』
北海道奥尻島に住むれっこが、コメントをくれた。
実際に四つの時代を生きた人っているもんだな……。
『凄いですね! 俺のおばあちゃんは明治だったけど、昭和で亡くなりました。俺も長生き望むようになったら奥尻島で住もうかな。 岩上智一郎』
目を覚ますと朝の五時手前。
この時間なら、あそこがやっているな。
また来てしまった、伊勢屋食堂。
今日は豚ロース生姜焼き定食を注文。

肉の量が凄い。
厚みもあり、それが二枚もある。
生姜焼き定食の満足度だと、過去横浜南区の麦草。
あそこで覚えた感動に近いものがあった。
百合はまだあそこで働いているのかな?
元気にしているのかな?
自分の家なんだから居るに決まっているか。
あの子とあの時ヘマをせず、そのまま一緒にいたら、こんな生活になっていなかったのでは?
いつまでも未練たらしい俺。
「……」
肝に銘じて置け。
俺は誰からも選ばれなかったからこそ、子も無い状態で最後は一人寂しく朽ち果てていくのだろう。
酷く自虐的な気分になりながらも、外から鳥の鳴く声が聞こえた。
以前飼っていた十姉妹のマゲ一家を思い出す。
もう俺を癒してくれる存在は、何も無い。
どんな状況であれ、このように一人で食事をし、一人でベッドへ横になる事しかないのだ。
しばらく女を抱いていないな……。
どうでもいい事を考えながら、再び二度目の睡眠へ入る。
ラッキーハウスにやる気の無い俺は、店に電話をして今日も遅い出勤へ切り替えた。
そのまま二日間連続で大明飯店へ向かう。

今日は茄子と肉の炒め定食。
味的に王賛の茄子の甘辛醤油炒めに近い
この店は、飯野君がお勧めした通り最高だ。
おじいちゃんの命日という節目にも拘らず、俺はいつものようにマイペースに過ごす。
香川から呼び出しを受け「やる気があるのか?」と聞かれた。
やる気?
出るはずがない。
一足す一は二と決まっているに、三もあるし四もある場合だってあると答える相手に対し、論議を交わすのも面倒になってきた。
「辞めますよ」
「……」
「まあガキじゃないんで、今すぐ辞めるではなく、一ヶ月はいますよ。または新人入れて用済みとなるまでは」
「そ…、そうですか…。赤崎さんがそう決めたなら、止める気はありませんよ?」
何を白々しい。
こうなるようにずっと仕向けていた張本人。
どの口が抜かす。
「じゃあ本田さんに仕事覚えてもらうようなので、人のいる水曜と金曜は、赤崎さん休むようにして下さい」
そこまで人を乏うのか、コイツ。
まだ連休にするなら分かるが、一日出てまたすぐ休みのシフトなんて、よく人に言えたものだよな。
「はいはい…、何でもいいですよ」
まあいい。
もう何もこの男には期待などしていない。
そもそも元からこういうスカスカな奴だったじゃないか。
ラッキーハウスへ戻り、早番の人間に退職する事を伝えた。
「待って下さいよ! 岩上さんに辞められたら、この店どうなるんですか?」
「だからそれは香川に言えよ。山下…、どうせおまえは自分からじゃ何も動かないし、絶対に言えないだろ?」
「……」
「赤崎さん! 思い直して下さいよ! 赤崎さん慕って来る大勢の客は、どうするんですか?」
今度はヨッピーコレクションまでが加わってくる。
「吉岡さん…、それを俺にでなく、香川に言って下さい」
「……」
表面上だけの防波堤にもならない味方など、俺にはいらない。
もう、なるようにしかならないのだから。
あとはいつまで俺がこの店にいるのか?
残りのテーマはそのぐらいだ。
辞めると決めたら、ずっと霧の中を歩いていたような感覚が一気に晴れた。
まさか祖父の命日に、退職が決まるなんてな。
あれだけ愛情を注いでもらったのに、俺はこんなどうしょうもない四十九年間を過ごしているよ、おばあちゃん、おじいちゃん……。
二千二十年十月十四日、水曜日大安。
毎週辞めるまで水曜と金曜の飛び石の休み。
こんな事になるなら、大人しく川越から通っていれば良かったなあ……。
ラッキーホステルの料金を二ヶ月分先払いしてしまったし、大久保を拠点とするしかない俺。
この先どうなるかなど、何一つ分からない現状。
まあなるようになるさ。
小腹が減ってきた。
インターネットで近所を検索していて、この時間で食事できるところを見ていると、あったのが『レストラン椿』。
徒歩十分も掛からないな。
朝の散歩がてら外へ出ようかな。

行ってみてホテルサンパーク内の二階にある事が判明。

窓から見える横の庭は中々素敵な景色で、こういうちょっと遅い朝食もいいかなとうな重を注文。

近所に中々いいレストランを発見したものだ。
ラッキーホステルへ帰り時間を潰すも、室内で一人いるのは退屈だった。
せっかくの休みだし、大久保駅からなら二つで中野へ着く。
ブロードウェイでも行ってみようかな。
総武線で中野駅下車。
改札を出て真っ直ぐ歩けばお目当ての場所。
ここへ来るのはいつ以来だ?
何か好きなんだよね、この街。

中野ブロードウェイへ入り、まずは本屋巡り。
そして様々な店を眺めながら階を上がっていく。
相変わらずマニアック。
シャッターが閉まっている店多いけど、マニアックさは健在。
キン肉マンの大きめフィギュアは、思わず買いたくなってしまう。
だが、今衝動的に欲しいだけでこんなものはあとでどうでもよくなるのは自覚していた。
何故なら、小学生の頃流行ったキン肉マン消しゴムも、三兄弟でバケツ六杯ほどあったはずなのに、今ではどこへ行ったやら。

俺はこの場所へ来て、ノスタルジックな気分に浸りたいだけなのだ。
前回行った川越にある万代書店。
あそこもここと同じ系統であるが、マニアックさでは中野に軍配を上げざる得ない。
プロレスラーのマスク専門店の前を通り掛かる。

千のマスクを持つ男、スカイハイのミルマスカラスのマスクが二十万円かよ。
恐ろしく高い。
弟のドスカラスは安かった。

獣神サンダーライガーのマスクまで置いてある。

マスカラスより断然安い三万円。
本当は永井豪の漫画では獣神ライガーだったのをいつの間にかサンダーをつけたんだっけ?
タイガーマスク無きあと新日本プロレスのリングへ登場した山田恵一は、当初変なマスクで現在のモデルとは明らかに違う。
NEOGEOのロムも恐ろしい値段で売っていた。

昔給料入る度にロムを買い、山のように持っていたのにな。
別れた百合子の娘たちへ当時あげてしまったのと、南大塚に住む従姉妹の和ちゃんへあげてしまったのを悔やむ。
今さら返してくれないんて、さすがに言えやしない……。
ファミコンより前の時代のゲームウォッチも今ではかなりの高値。

こんなに値打ちが出るなら、ちゃんと管理しておけばよかったと感じるが、みんなそれをできないからこそ、こうして希少価値が上がっていくのだ。
ブロードウェイを出て、横の通りにある飲食店街。
中野らしい店『ハヤシ屋中野荘』で遅めのランチを取る。
この店があったのは知っていたが、食べるのは初めてだ。

ナポリタンかミートソースか悩んだ挙げ句ミートソースに決めた。

以前入ったハンバーグの洋食屋もそうだが、中野で美味いと思った店は一軒もない。
おそらく学生街でもあり人出が多い為、安ければ必然的に需要があるからだろう。
うん、大久保での暮らしも、そう悪いもんじゃないな。
酒抜きの健全な休みを過ごそうと思っていたが、夜になるとスナックゆうこへ行き、ウイスキーを煽ってから寝た。
二千二十年十月十五日、木曜日赤口。
今日一日だけ出勤して、また明日は休み。
香川のボケナスも、本当につまらない真似をしてくれるものだ。
裏稼業で恨みを持たれたまま従業員が辞めた場合を少しも想定できないのだろうか?
俺は少なくともこれまで真面目に働き、店へ貢献してきたつもり。
それを理不尽な言い掛かりで辞めさせる方向へ持っていく行為。
オーナーが酒井さんでなければ警察にチクったり、ヤクザを使った嫌がらせからこっちの匙加減一つで、何でもできてしまうのだから。
まあそんなみっともない事など、俺は絶対にしない。
酒井さんに恩義を感じている以上、店の害になる事などするはずがなかった。
ただそんな事すら考えられない香川と橋本が、哀れに感じる。
「橋本さん、俺はこの店を辞める事になりましたから」
番の引き継ぎの際、一応店長なので筋を通す為報告はした。
しかし橋本は「そうですか」と短く返事をしただけで、ラッキーハウスを出て行く。
「何すか、あの橋本の態度? ちょっと酷くないすか?」
山下が近くに来て悪口を言うが、コイツも似たようなものだ。
真の味方など、この店にいない。
それを真に実感したからこそ、俺は店を辞める決意をしたのだから。
「まああんなもんじゃないのか。俺がいなくなれば、香川と共同で抜き作業も捗るだろうしな」
「岩上さん! 辞めるの撤回しましょうよ!」
「何を今更言ってんだ? もう辞めると伝えたんだ」
「そんなの撤回すればいいだけじゃないすか!」
「山下、おまえは自分が言われたら戦うんだろ? じゃあそうなったら、せいぜい頑張ればいいじゃないか」
表面上は俺の退職を惜しむ山下。
しかし本当の意味合いは違う。
俺という防波堤が無ければ、責任の矛先は真っ先に山下へこれから来るのだ。
それが嫌だからこそ、残れと言っているに過ぎない。
本来なら、俺が抜きをしていると疑われた時点で、一緒に戦ってくれればよかっただけなのだ。
やらなきゃならないタイミングで、動かない男。
日頃酒を振る舞ったところで、肝心なところでは何一つ役に立ちもしない。
法的な秩序が無ければ、縦横無尽に暴れてこの店の人間すべてを壊したい気持ちでいっぱいだった。
もちろん四十九歳にもなって、そんな無駄な事など絶対にしない。
天に唾すれば、不利になるのは自分。
理不尽に対し理不尽で返せば、やがてそれ以上のしっぺ返しが来るだけ。
仕事が終わると俺は大久保駅西口方向へ自然と歩き、スナックゆうこでウイスキーを煽った。
そういえばせっかく買ったアイパッド。
漫画を一時描き出してみたものの、最近ではインターネットを見るだけにしか使っていなかった。
思い出せよ、あの頃を……。
パソコン一つで何ができるのか四苦八苦しながら色々覚えた絵の知識や小説を書き始めた時。
このアイパッドで俺は何ができる?
タッチペンで無地の画面に線を描き出す。
ここは新宿。
ビル群が多く建ち並ぶ。
俺は久しぶりに絵を描く事に集中した。
二千二十年十月十六日、金曜日先勝。
「あら、岩上さん何やってんの?」
「作業の邪魔だ。話し掛けんな」
この時期って山羊座か。
俺はビル群の上に線を繋ぐと不格好なハート形になる」星座を加える。

マウスでもなくアイパッドのタッチペンを使って描いた絵。
シンプルに名を山羊座の絵と名付ける。
滑稽で下手糞な絵だ。
特定の女を口説く訳でもなく、ただ目の前にある酒を飲む俺。
大久保の場末のスナック。
俺よりは年も若いが、いる女も干からびている奴ばかり。
妙に落ち着く。
今の自分にお似合いな場所だ。
「なあ契約している酒屋で、ウイスキーのグレンリベットを入れられるか?」
「え、ブレンリベット?」
「違う! グレンリベット!」
「えー、よく分からないから紙に書いてよ」
二十代前半の頃からずっと俺に付き合ってきた酒グレンリベット。
コイツはいつだって、どんな時も俺を裏切らない。
浅草ビューホテルで出会った。
ウイスキーの五大生産国といえば、スコットランド、アイルランド、アメリカ、カナダ、日本。
仕事が終わるとベルヴェデール内のカウンターで一杯飲みながら、上司から酒の知識を教わり、細かい接客術を学ぶ。
たくさんの酒が置いてある中、俺が一番気に入った酒は、スコッチウイスキーのグレンリベット十二年だった。
覚える事は多かったが、毎日が充実していた。
好きなウイスキーから深く掘り下げて勉強をしていく。
スコットランドが作った酒だからスコッチウイスキー。
スコッチウイスキーはモルト、グレーン、ブレンデットと三つに大別し、俺の好きなグレンリベットはモルトウイスキーになる。
未だハッキリ記憶している酒の知識。
あれだけ必死に勉強したのだから、当たり前か。
すっかり深酒になってしまった。
でも今日はどうせ休みだから、どうでもいい。

スナックゆうこを出ると、同じビルの道路沿いの二階にある『赤レンガ』というイタリアンへふらりと入る。
店内は誰も客がなく、俺はカウンター席へ腰掛ける。

メニューを見て、結構良心的な店なんだとすぐ分かる。

酒を頼み、サラダとパスタを注文。

全然違うはずなのに、何故かジミーカフェを思い出した。
何でだろう?

パスタの味も盛り付け方も、何もかも違うというのに……。
大人しめの俺よりは一回り年下の寡黙なマスターが一人で回すイタリアン。
適当な世間話をしながら、本来禁煙らしいが別にいいですよと灰皿を目の前に置いてくれる。
スナックゆうこでのグレンリベットと、ここでの酒でいい感じで酔っ払っていた。
俺はボヤけながらフェイスブックへ投稿。
この大久保界隈で、俺はハッキリと断言させて頂きます!
この店がとにかく一番!
何がいいって?
一度この店来てみやがれ。
俺が言えるのはそれだけです。
大久保駅から徒歩三分くらいかな。
俺は一撃でここまで気に入ってしまいました。
ヤバいな、この店。
時間あったら常に来ちゃいそう。
「かなり気に入ったんで、また絶対来ますからね!」
「すみません、岩上さん。本日はありがとうございました」
フラフラしながら小滝橋通りを歩く。
ラッキーホステルへ到着すると、俺はそのままベッドへ倒れ込むように寝た。
自然と目を開く。
時刻を確認するとまだ朝の五時。
また行くとするか、あの場所へ。
腹が減っていたので来てみた、伊勢屋食堂!
今日は金曜日限定というのでマグロ山かけ定食を注文。

お昼は大久保通りにあるトンカツのにいむらへ行く。
海老、チキン、クリームコロッケにメンチカツとポテトサラダを注文。

一週間に二日も休みがあると、本当に暇だ。
ひたすらスマートフォンで、ここ数年続けているクラッシュロワイヤルをプレイ。
自分自身のクランを立ち上げ、告知を打つ。
クラン名は『セブンスター2020』と、自分のタバコと西暦を使った。
のんびり部屋で過ごしていると、伊達から電話が入る。
話を聞くと今彼が働いている裏スロの店の若い従業員が、ゲーム屋で遊びたいというようだ。
本来休みなのでわざわざ歌舞伎町まで行く筋合いもないが、これも自分の生き方なのだろう。
重い腰を上げ、ラッキーハウスへ向かった。
伊達はまだ二十代の従業員を二人紹介してくれ、ポーカーゲームのルールを丁重に説明する。
「赤崎さんは給料も出ないのに、こうして休みの日に客まで連れてきて本当に偉いですよ。辞めるの何とかなりませんかね」
吉岡がそう言ってくるも、これは金の問題でなく自身の矜持の問題なのだと伝えた。
そのまま伊達が俺について大久保の飲み屋を梯子する。
スナックゆうこも紹介し、終電を逃がした彼をラッキーホステルの自分の部屋へ泊めた。
二段ベッドがあるので、こういう時は本当に便利である。
二千二十年十月十七日、土曜日先負。
最近朝の六時までには自然と目を覚ます。
老人に近付いたのかな?
上で鼾を掻く伊達を叩き起こす。
「何ですか、こんな朝っぱらに……」
「伊達さん、これからいい店行きますよ」
「店? こんな時間どこへ連れて行くって言うんですか」
そんな訳で今日も朝から伊勢屋食堂。
前に櫻井さんが孤独のグルメと興奮していたが、以前この料理を見たいとリクエストがあった豚バラ生姜焼き定食としらすおろしを注文。

この店は伊達も気に入ったようで、昨日の飲み代はほとんど俺が出したので、お礼に食事を奢ってもらう。
さて、今日ももう少ししたら忌々しいラッキーハウスの仕事が待っている。
二千二十年十月十八日、日曜日仏滅。
仕事終わりにいつもの調子で山下が飲みに誘ってくるが断った。
もう意味の無い酒も金も使いたくなかったのだ。
ラッキーホステルの存在を教えてくれた帰り道同じの本田を誘い、西口のイタリアン赤レンガへ連れて行く。

今日は焼き茄子のアラビアータ、ミネストローネスープ、サラダを注文。
「どうだ、いい店だろ?」
「ええ、本当にお洒落でいい店だと思います」

会計時本田が財布を出そうとしたので、手首を軽く叩く。
「一応辞めるまでは俺が責任者なんだからよ、このぐらい格好つけさせろや」
「いつもいつもすみません、赤崎さん……」
赤崎隼人。
俺が初めて書いた小説『新宿クレッシェンド』の主人公の名前。
ラッキーハウスへ入った当初偽名を使えと言うから、自身の著書の主人公の名前を四年間使ってきた。
その呼ばれ方も、もうじき終わる。
二千二十年十月十九日、月曜日大安。
連日仕事帰り恒例になりつつある赤レンガ。
今日は水牛のモッツァレラチーズのピザ、カルボナーラ、カプレーゼ、イタリアンサラダを注文。

もうじき無職になり、この先何一つ決まっていない状況なのに、どこか俺は呑気なまま。

別にいいさ。
どんな生き方をしようと、俺の人生には変わりない。

ここまで自身の半生を振り返っても、碌な目に遭わないのは変わらないのだろうから。
破滅に向かって自暴自棄に過ごす四十九歳の独身男。
まだこうして美味い料理と酒を堪能しながら過ごせるだけマシな人生と言えよう。
二千二十年十月二十一日、水曜日先勝。
今年の川越祭りは、コロナ渦により中止。
それが無ければ、今週末は川越祭りだったんだな……。

祭りを連想すると、今年の俺の誕生日に亡くなった栗原名誉会長を思い出す。
俺にとって大事な人は、決まって十三日に亡くなるケースが多い。
何という因果律の中を生きていくのだろうか?
世話になった人との思い出をいつまでも大事に内へ秘める。
そして何かのタイミングと共に想い偲ぶのだ。
センチメンタルな気分の中、香川から仕事中呼び出しを受ける。
内容は、昨日の店の回銭が足りなかったが抜いていないかという馬鹿げた質問。
「いい加減にしろ、この野郎!」
俺は店内で大声を張り上げた。
「落ち着いて下さい、赤崎さん」
「おまえが、辞めると決めた俺に対し、あまりにもくだらない事抜かしているからだろ、この野郎!」
「赤崎さん! 喫茶店の中なので他の人も見ています。お願いですから、冷静になりましょう」
「……」
自分でガソリンを撒き火をつけておきながら、何て言い草だ。
俺は千円札を放り投げると、店をあとにした。
抜いているのは店長の橋本だ。
何度その言葉を吐こうとしただろうか。
しかしそれを言ったところで、何の状況も覆られないのは嫌というほど自覚している。
俺だけが気を吐いたところで、誰も協力者などいない現実。
最初にその証拠を見つけた山下が、一緒に動いてくれるなどとは微塵も思わなかった。
ラッキーハウスへ戻ると、怒りが滲み出ている俺に恐る恐る様子を伺う山下。
ぶっきらぼうに対応し、それでも感情の収まりがつかず、この心境をフェイスブックへ書き残す。
堪忍袋の緒が切れるとはこの事だろうか。
物事には言っていい事と、悪い事がある。
あらゆる物事に左右されず、自身の本質を見抜く。
いや…、自覚しなきゃいけない。
策略にハマり、感情的に物事を進めていいものなのだろうか?
恩義を返す、それは俺が出れば済むことなのだろうか?
少し頭を使わなければならない時期が来たのだろうか?
よく考えてみよう。
いたずらに多くの人を巻き込むのは良くない。
俺が俺である為に、どうすればよいか。
どう生きればいいのか。
ただ自流の流れに沿って生きるだけでなく、少し脳味噌を動かさなきゃいけないんだろうな。
あらゆる攻撃にただ耐えられるよう俺は鍛え、修羅の世界を通過してきたのか?
違うだろ、そんな安い生き方する為に俺は血の小便を流してきた訳じゃない。
感情で本能で動いちゃいけない。
本当に大事な事は、腐るほど考え抜いた先に自覚できるのだから。
頭がいい訳でもない。
他人に自慢できるような生き方をしてきた訳でもない。
ただ愚直に自分らしくここまで生きてきたのだ。
せめて自身を嫌いにならないような矜持をまっとうできればいい。
二千二十年十月二十二日、木曜日友引。
川越舞台の漫画が出てきたようだ。
目を通すもあまり好みではない絵柄。
それでも地元を舞台にした作品には好感を覚える。
朝食で伊勢屋食堂へ行く。
今日はメンチカツサラダがあったので、それを注文。

キャベツの千切りにマヨネーズが欲しかったので、店員に声を掛ける。
俺が手に取ろうとすると、高く上げられ「駄目、私が掛ける」と店のメガネを掛けたおばさんはマヨネーズを皿に掛け出した。
こんな事ぐらい自分の好みの分量があるんだから、好きにやらせてくれればいいのにな。
ラッキーハウスへ出勤すると、二十五日の日曜日でお役御免になると香川から言われる。
ぶっちゃけどうでもよかった。
俺は捕まっている最中の酒井さんの代わりに、この店を護ると宣言しながらそれを遂行せずに去るのだから。
吉岡が送別会を開きたいから、明日の休みに新宿へ出てきてほしいと懇願される。
上からは煙たがられ、下からは妙に好かれる。
狙った訳ではない。
結果そうなったというだけ。
ラッキーホステルの帰り道、またスナックゆうこへ寄る為、大明飯店のある道沿いを真っ直ぐ歩く。

道路沿いに見えてくる潰れた丸正食品スーパー。
同級生の飯野君が十九歳の専門学生時代、ここで働きよく大明飯店へ通ったと嬉しそうに昔話をした場所だ。
この建物も解体作業が始まるようだ。
俺には何の関係性もないが、飯野君にとっては思い出の一つがなくなってしまう。
写真を撮ると、彼へ送信しておく。
この道をそのまま進むと大久保駅西口。
行き先はスナックゆうこ。
今日もグレンリベットだけが、俺の気持ちを察してくれる。
二千二十年十月二十三日、金曜日先負、霜降。
休みの日になると、どうしても時間を持て余す俺。
近隣を探索しつつ近くにレトロで王道的な喫茶店があったのを発見。
コーヒーを飲みに行ってみる。
喫茶店『ラ・ムー』。
この名前で思い出すのが昔、菊池桃子が組んだバンドの名前。
ファンの間では黒歴史となっているようだが、この頃俺はとっくに彼女への熱が冷めた中学生だったので、名前ぐらいしか覚えていない。
最初で最後になるが、俺がコンサートへ行ったのなんて中学三年生の時、菊池桃子の日本武道館へ行っただけ。
そのぐらいライブやコンサートには興味が無いのだ。
思えば中学二年生の頃、平凡だか明星の雑誌で菊池桃子の存在を知り、一発でファンになった。
しかし三年生になった時、同級生の山田健に誘われ舞踏館コンサートへ行って冷めた菊池桃子。
何故かというと、桃子とファンのやり取りがすべてだった。
周りの観客は、当たり前だが俺や山田より年上ばかり。
「桃子ね、最近時間の貯金をしてるの」
曲が終わるとトークタイムも設ける桃子。
確か『ボーイのテーマ』を唄い終わったあとだった。
時間に貯金なんてできるのか?
ファンが大声で「何々桃子ちゃーん!」と問い掛ける。
この時いかつい大人たちを見て、コイツら頭大丈夫かと本能的に思った。
「毎日歯を磨く時や顔を洗う時ね、五分早く済ませれば、時間が毎日五分ずつ貯金できるでしょ?」
「いいぞー、桃子ー!」
何がいいんだ?
そんな事で時間の貯金などできるはずがないのに……。
夢中になり何でも熱狂できる馬鹿丸出しのファン。
あれだけ可愛いと思った菊池桃子も、何馬鹿な事を抜かしているんだと
思った。
この女、実は頭が狂っているのかと。
一緒に行った山田も『ブロークンサンセット』を唄っている時に、いきなり立ち上がって腕を振りながら「いいぞー、桃子ーっ!と叫びだす。
俺は内心コイツまで頭おかしくなりやがったと感じた。
帰る道、西武新宿駅前のロッテリアの向かいにあったゲームセンターに寄り、グラディウスをプレイして川越へ戻った思い出。
本当はこの時が初めて新宿へ行った事になるのか。
そのあと三十代前半の頃、歌舞伎町浄化作戦時代によくここでダライアスをやったものだが、今ではそのゲームセンターも潰れてしまった。
そんな事を思い出しながら、ラ・ムーでコーヒーを飲む。
夜になり、早番のスタッフたちが送別会を開いてくれる。
面倒だが歌舞伎町のラッキーハウスへ向かう。
夜の九時に遅番の時間が代わるのを店内で待ちながら、常連客と話して時間を潰す。
何故辞めてしまうのか不思議がる客。
こんな俺を惜しむ客。
まるで意にかかさないいつも通りの客。
反応は十人十色。
橋本がグレンリベット十八年を予め買っておき、俺に「お疲れ様でした」と手渡してきた。
どんなハニートラップよりも嬉しかったが、抜きをしていた張本人の橋本からというの部分で素直に喜べない。
それでも礼節として頭を下げ、感謝は伝える。
ミステリーサーカスと同じ建物の上にある九階の『焼き肉X牛』。
何故か送別会には遅番の内藤ノブも、休みなので参加していた。

吉岡は食べ放題の店で申し訳ないと言ってくるが、こういうのは気持ちや心意気が大事なのであって、料理の質とかは重要ではない。

それでも黒毛和牛ミスジや馬刺し握りなど、金の掛かった品まである。
色々考慮した上で、この店を選んでくれたのだろう。

「それでは赤崎さん、本当にお疲れ様でした!」
「お疲れ様でした!」
吉岡が音頭を取り、山下、内藤ノブ、本田の四名が一斉に頭を下げる。

「いやいや、まだ数日仕事残っているし、今日で今生の別れという訳じゃないんだから……」
「やっぱり赤崎さん…、思い留まる事はできないんですか?」
「そうすよ! 岩上さんいないと、ラッキーハウス駄目になりますって」
気持ちは嬉しいが、内通者ノブがいる前でそういう事を抜かすのはやめろと言いたかった。
まあこんな事を思うのも、辞めてしまえば関係なくなるのか。

この店の肉は、ミスジが一番美味い。
会計は従業員たちが全部出してくれ、俺が金を出そうとしても一切受け取ってくれなかった。
焼肉屋での送別会が終わると、何故か吉岡とノブの二人だけ残り、俺のあとをついてくる。
「どこへ行くんですか」
「いや、明日も仕事だし軽く飲んで帰ろうかなと」
「お供します!」
「いやいや、それじゃさ……」
「駄目です! 今日は赤崎さんが主役なんですから」
力強く言うノブだが、それなら何故あの時の事をわざわざ橋本へ密告したのだと言いたい。
彼の生活を守ろうと、二人だけの秘密でと言ったのをあえて話したのだ。
考えてみれば香川のおかしな尋問は、これが起因となっているはず。
まあ送別会の日に、こんな事を考えるだけ野暮か……。
二人を引き連れ、いつものスナックゆうこへ向かう。
橋本からもらったグレンリベット十八年を持込料払うからと断った上で、ボトルを開ける。

ラッキーハウスでの生活も、あと数日か。
横浜の二俣川…、戸田の旭総建工業で死に掛け、あれだけ嫌がった川越へ戻ってきた俺。
思い返せばあれは二千十六年十一月十六日。
無職になりただ川越へ戻って来ただけの俺。
すぐ次の仕事を探さなくてはいけない状況ではあるが、俺がまず選択したのは地元の行きつけだった店での食事めぐりだった。
横浜での地獄めぐりに対抗するには、川越での食事めぐりしかない。
心身共に限界まで疲れ果てた身体を共に戻すことが先決。
携帯電話を見ると一件のショートメールが届いているのに気付く。
旭総建工業のセコ社長の戸田からだった。
『連絡がないもので心配なのですが、如何なものでしょうか? 戸田』

本当にどの口が抜かしてんだよ、この馬鹿……。
おまえなんぞ、金輪際何も相手しねえよ、屑野郎。
人を兵糧攻めで殺し掛けておきながら、どの面下げてメールしてきてんだ?
スクリーンショットだけ撮っておき、あとは無視。
一ヶ月半で一万五千円の金しか寄越さないような屑に、礼節など不要。
大人しく山の中でペンキを塗ってやがれ。
どこへ行くか考えつつ、楽しい時間を送っていたのに台無しだ。
「……」
あの無一文で何も無かった頃を考えれば、俺は新宿へ戻りこのラッキーハウスでまた持ち直したのだ。
もう十月も月末近い。
四年近くも俺はあそこで働いてきたのだ。
終電近くの時間になり、吉岡は明日の透析の為先に帰る。
皮肉な事に、内藤ノブと俺二人だけの酒を飲む状況となった。
二千二十年十月二十四日、土曜日仏滅。
グレンリベット十二年、十八年のボトルに囲まれて飲む酒は、やはり格別だった。
ノブへ帰れとも言えない俺。
この店の会計は、ノブが強引にすべて支払ってくれた。
スナックゆうこを出ると、ノブが口を開く。
「この辺に風俗あるの知ってますか?」
「いや、俺は酒ぐらいしかこの辺飲みに来ていないし」
「ドラえもんのキャラクターの名前で、色々な店があるんですよ」
「ドラえもん?」
「まずさっきの駅前のこの通りの手前に『のびた』ってあったじゃないですか」
「のびた?」
「とりあえず近くなので行ってみましょう」
ノブに促され道を進む。

「えーと、この店は?」
「簡単に言うと、一万円で本番やらせてくれる店なんですよ」
「え、一万で? 嘘でしょ?」
「本当ですって。たまに自分も利用するんですから。あ、赤崎さん、もう一本先の道にあと二店舗あるんですよ。とりあえず行ってみましょう」

『エステサロン3F すねお』
『エステサロン5F すねお』
本当にドラえもんのキャラクターの名前の店の二つ看板が出ていた。
建物の中へ入るノブ。
「え、ちょっと……」
「ほら、赤崎さん行きますよ」
三階のすねおは満席状態で、さらに上の五階にあるしずかへ向かう。
ノブは受付で、一万円札を二枚渡し「遊んでいきましょう」と奥へ入る。
別に女を抱きたい気分じゃないんだけどな。
こんな事ならシアリス飲んでくればよかった……。
アジア系二十代後半の綺麗な女がつき、本当に一万円でセックスをさせてくれた。
今日は全部従業員たちが金を払ってもらっている。
ノブの不可解な行動。
いくら考えても、何か俺を仕掛けているようには見えない。
考えてみれば、俺はあと辞めるだけなのだから。
橋本へ密告してこうなった罪悪感から、このような行為に及んだのはかは分からない。
それでも送別会の日、最後までこのように気を使ってくれたという事実を俺は忘れる事はないだろう。
朝起きて時間ギリギリにラッキーハウスへの出勤をまた遅らせて出る事にする。
本当にだらしない堕落した生活を送るようになったものだ。
大明飯店で回鍋肉定食を食べてから店へゆっくり出勤。

昨夜の焼肉のお礼を全員に感謝を伝えた。
ラッキーホステルへ戻ると、少し先にある二十四時間営業のゲオへ寄ってみる。
昔散々ハマって時間を割いた対戦格闘ゲーム。
SNKのネオジオのミニサイズのゲーム機が売っていたので、即決で購入。

ブロードウェイであれだけキン肉マンやレスラーのマスクを買うのを考えやめたのに、ゲームとなるとこれだ……。
百メガショック、ネオジオミニ!
我慢できなかったからしょうがない。
ミニサイズ筐体なので画面は本当に小さいが、それでも内蔵で十数ゲームが入っている。
こんなものが簡単に作られ売られるような時代になったんだもんな。
俺も年を取る訳だ。
二千二十年十月二十五日、日曜日大安。
ラッキーハウス勤務最終日。
神様が俺に味方をしてくれるなら、今日の菊花賞で味方をしてくれるはず。
本当に頼むよ!
「うぅ、また負けた……」
3-9-10の誕生日馬券で決まり。
運命を感じるなら、素直にこのような目を買っておけば……。
競馬も考えてみたら、二月のフェブラリーステークス以来当たってないぞ?
やっぱり有馬記念まで競馬は辞めておこう。
ギャンブルは金銭的にも精神的にも身体にいい事がない。
客や従業員に惜しまれつつも、俺はこうしてラッキーハウス最終日を終えた。
俺の処女作『新宿クレッシェンド』。
初めて小説を書いた主人公の名前である赤崎隼人と、これで俺は決別となる。

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