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「いわき」というまちが、今日、少しだけ愛おしくなった

「今日は皆さんの心の中にある“いわき”を覗かせてもらえるのを楽しみにしてきました」

ファシリテーターを務めたフォトグラファー・青木亮さんのこの言葉から始まった時間は、想像以上に温かく、そして多くの発見に満ちたものでした。

令和7年度「いわきアカデミア成果報告会」の第3部で行われた交流会。
テーマは「写真で繋がるいわき愛」。

いわきアカデミアでは、「子どもたちの郷土愛を育て、人財の全体的な底上げを図る」ことを基本理念の一つに掲げています。
しかし、「郷土愛」という言葉はどこかつかみづらく、形として見えにくいものです。

高校生から社会人までが集まったこの日、参加者たちは一枚の写真を手に、それぞれの視点で切り取られた「いわき」を語り合いました。

交流会を終えた皆さんの晴れやかな表情。
その「楽しさ」の正体は、単なるおしゃべりが盛り上がったことだけではなかったはずです。
誰かが愛おしそうに語るエピソードに耳を傾け、自分の思い出を言葉にして共有する。
そのプロセスは、自分の中に眠っていた「地元愛」という、あいまいで実体のないものに、そっと輪郭を与えていく作業だったのかもしれません。

今回は、当日語られたエピソードを振り返りながら、改めて「地元愛って何だろう?」という問いについて考えてみたいと思います。


世代ごとに異なる「いわき」の切り取り方

参加者たちの写真とそのエピソードを紐解くと、世代ごとにまちとの「距離感」や「愛着のかたち」が異なることが見えてきました。

【高校生】日常のエモさと、等身大の居場所
高校生たちにとって、いわきは「現在進行形の思い出」そのものです。
彼らが切り取る風景は、有名な観光地ではなく、自らの身体感覚と結びついた「生活圏」の中にありました。

部活後にみんなでマックを食べて仲が深まった平中央公園。
友達と走り回った漫遊亭の隣の坂を登った先の公園。
高校合格を祈りに行った植田の神社。
通学路の坂道を自転車で駆け下りるときの、あの風の気持ちよさ。
初めてのスマホで一番に撮りたかった、幼い頃に家族と初めて見た小川諏訪神社の桜。
おばあちゃんの家近くの田んぼを集まった親戚たちと散歩した常磐藤原町の夏の緑。
植田駅の2番線ホームで凍えながら見た、月と太陽が同時に浮かぶ朝焼け。
夏井川渓谷の紅葉を電車から祖父母と眺めた時間。
いわき公園のターザンロープに夢中になった幼い日の記憶。
そして、眠い目をこすりながら四倉の海で初日の出を待ったとき、「やっぱりいわきは海がいい」と確信した瞬間。
湯の岳から見渡す海までの景色に、思わず漏れた「綺麗」のひと言。

彼らにとっての地元愛とは、理屈ではなく、「今この瞬間を生きている」という確かな手触りでした。

【学生】再発見と、自分を広げる場所
一方で、外の世界を知り、行動範囲が広がった学生になると、視点は少し客観的で自立的なものへと変化します。

波立海岸の初日の出に「東の端にいる」という小さな優越感を見出したり、リフレッシュしたい時に海を眺めて「自分の悩みは小さいな」と気合を入れ直したり。
どこかに出かけた帰り、いわき駅南口の景色に「帰ってきた」と安心する感覚。
初めて友達の運転で連れて行ってもらった永崎のハワイアンなお店。
球技大会に向け、仲間と往復50km移動してソフトボールの練習に励んだ遠野市民運動場の思い出。
三崎公園で家族とピクニックをした桜。
松ヶ岡公園で季節の移ろいを感じながら過ごす静かな時間。
大学のキャンパスで積み重ねた先輩や仲間との濃密な一年。
夜遅くまで遊んだときに小名浜のイルミネーションにふと見惚れた15分。
ゼミの先生に連れて行ってもらった鳳翔のおいしい麻婆豆腐。

学生にとってのいわきは、「自分の現在地を確かめ、心を整えるための場所」へと再定義されていました。

【社会人】自分で選んだ拠り所と、まちの素顔
さらに、社会人のエピソードには、仕事や暮らしの中で、自らの意志でこのまちに根を張っている強さが感じられます。

高校時代、麺遊心のラーメン屋で常連さんに「応援してるよ」と餃子を奢ってもらった温かな記憶。
Club SONIC Iwakiで熱狂する夜。
22時の湯本駅で足湯に浸かって一息つく瞬間。
鮫川大橋から眺める工業都市としての力強い風景。
大国魂神社の1000年の大杉からもらうエネルギー。
白水阿弥陀堂のライトアップに癒やされる時間。
三和の宇宙岩で豪快にケンタッキーを頬張る。
新舞子海岸での釣りに、自分の「好き」のすべてを凝縮させる。
新川側から見えるアリオスの景色に、小学生の頃から続けてきた吹奏楽の緊張も悔しさもすべて包み込んでもらう。
教員として震災学習を通してまちの過去と向き合う。
田人町でクマガイソウの群生地を守り抜く人々の意志に触れる。

社会人にとっての地元愛は、このまちの光も影も、そして過去も未来もひっくるめて引き受ける、「このまちと自分らしく生きていく」という覚悟のように見えました。


地元愛とは、まちを見つめる「解像度」にある

今回の交流会を通じて、地元愛を形作る3つの要素が浮かび上がりました。

1つ目は、景色と感情が結びついた「記憶のフック」があること。
2つ目は、どんな時も自分を包み込んでくれる「心のインフラ」になっていること。
そして、3つ目は、ストーリーの「主語が私」であること。

つまり、地元愛とは「そのまちをどれだけ高い解像度で見つめているか」の現れなのかもしれません。

ただ住んでいるだけでは、景色は素通りしていきます。
しかし、写真を撮り、誰かにその理由を語ることで、ぼんやりしていた景色に色がつき、輪郭がはっきりしてくる。
 「何もない」と思っていたまちに、実は無数の「私だけの居場所」が潜んでいることに気づく。
その瞬間、まちはただの「場所」から、かけがえのない「地元」に変わるのではないでしょうか。

解像度が上がれば上がるほど、まちはやさしく、面白くなっていく。

いわきアカデミアの「郷土愛を育てる」という大きな目標は、実は、カメラのピントを合わせるような、ささやかな日常の積み重ねの先にあるのかもしれません。

あなたのカメラロールには、どんな地元の景色が眠っていますか?
派手な絶景じゃなくていい。あなたにしか撮れない、あなただけの「いわき」。
その写真の裏側にあるストーリーを言葉にしてみたとき、あなたの中にある「いわき愛」は、確かにそこで息づいているはずです。


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