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天に昇ることは「さよなら」じゃない。5月の青空を見上げて想う。

この前の日曜日、カトリック教会では「主の昇天」の祭日でした。

この日は、月に一度、神父様が子どもたちにもわかりやすいようにお話をしてくれるミサ。
ホワイトボードに絵を描きながら話してくれます。

「主の昇天」の祭日は、
十字架につけられて亡くなったイエスさまが、
3日目に復活し、弟子たちと共に過ごして、
復活後40日目に天に昇っていく日を祝います。

神父様は、イエスさまのイラストをすでに準備されていて、
ホワイトボードの下の方に、マグネットで貼り、
「イエスさまが、天に昇っていきます」
と言いながら、イエスさまを上の方へ移動…⬆️
マグネットでピタッ。

すーっ・・・⬇️

紙の重みを、マグネットが支えられず、
下に下がっていくイエスさま

「あれ…💦
イエスさま、天に昇っていきます」
再び、上の方へ⬆️
ピタッ。
すーっ・・・⬇️

「昇っていきませんね・・・」
聖堂内が爆笑に包まれました😂

マグネット2つで留めて、
イエスさまは、無事、天国へと昇天したのでした。


~余談~

この日は、典礼奉仕も子どもたちがしました。

今回、長男にっくんは、オルガンを担当。
前回は初めてだったので1曲、今回は4曲!

(前回オルガニストデビューしたときの記事↓)

メロディーとコードが載っている楽譜を見ながら、
コードから自分で伴奏をつけて、しっかりと弾いてました。
(私はコードだと「なんとなく」しか弾けなくて、伴奏譜を用意しないと自信がないのになぁ…)
今回は、子ども向きの聖歌を4曲弾きましたが、
本当は、普段のミサでも歌う「典礼聖歌」の曲を伴奏したいらしい。
今度、オルガニストの方にレッスンしてもらって、
ミサ曲を全部自分で伴奏するのが目標のようです✨

次男はっくんは、先唱(ミサの進行をする、司会のような役割?)。
5月はマリア様の月なので、ミサの前にロザリオの祈りを唱えています。
ロザリオの祈りでは、
「主の祈り1回・アヴェマリアの祈り10回・栄唱1回」が1セット(1連)
ロザリオ1周(1環)は、これを5セットします。

ちなみに、お祈りの言葉はこんな感じ ↓

主の祈り

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。アーメン。



アヴェ・マリアの祈り

アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。

神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。



栄唱

栄光は父と子と聖霊に。
初めのように今もいつも代々に。アーメン。

教会でみんなでロザリオを唱えるときは、
祈りの前半を先唱者が、後半を会衆が唱えます。
ということで、先唱をしたはっくんは、
アヴェマリアの祈りの前半を、50回唱えたことに…
(しかも間に黙想の言葉も入ります)
実に、30分弱のロザリオの祈り!
よく最後まで、先唱の役割を果たしたなぁ!と感心しました👏
終わったら「つかれたー!」と言ってましたけど😅
(で、この後にミサ。先唱のお役目はこれからが本番…)

でも、家族でロザリオを唱えるのと、教会でみんなで声を合わせて祈るのとは、また違った雰囲気。
ふだんはなかなか参加できないので、いい機会をいただきました。


末娘くんちゃんは、答唱詩編の担当。
第1朗読と第2朗読の間に、聖歌が入るのですが、
その歌は、全員で歌うところと、1人が前に出てソロで歌うところが、交互に繰り返されます。
くんちゃんは、このソロで歌う担当!
前に出て、みんなのほうを向いて、マイクで1人で歌うお役目です。

実は私も、この答唱詩編を歌う奉仕は、2,3か月に1回くらい担当します。
でも、1人で歌うの、めっっちゃ緊張するんです。
毎回、心臓が口から飛び出そう…。
これを、くんちゃんは「私、答唱やる~!」と、
サラリと引き受けてきました。
まず、詩編の漢字が読めないので、家で確認(「諸国」ってなに?「とうとい」ってなに?と意味も確認)。
そして、メロディを確認して、練習。
(私はいつも、何度も練習して確認するのに、くんちゃんはチラッと歌ったら「もうできる!大丈夫!」と…)

当日、すたすたと前に進み出て、
マイクの前で、8歳とは思えぬほどきっちりした音程で、ソロのパートを歌っていました。
くんちゃんの度胸に、びっくりです。
ちなみに、涙もろい義父(同じ教会)は、
孫娘の歌を聞いて、感動して泣いてしまったそう🥲

**

さて、本題です。
(毎度、前置きの方が長くてスイマセン💧)
なかなか天に昇ってくれないイエスさまをホワイトボード上で動かしながら🤭、神父様がお話してくれました。

「イエスさまが天に上げられた、と聞くと、
イエスさま、さようなら~!と、
どこか空高く、遠くへ行ってしまうような、
お別れのように思うかもしれませんが、
そうじゃありません。

天とは、神さまがいるところです。
神さまがいるところは、
全世界、全宇宙、私たちの周りすべて。
私たちはいつも、神さまに包まれているんです。
イエスさまも、私たちといつも一緒にいるんです


そうかぁ。
「主の昇天」は、お別れじゃなかったんだ。

子どもの頃、
イエスさまはせっかく復活したなら、
ずーっと一緒にいてくれたらいいのに、
と思ったことがあります。

でも、天に昇っていかれた後も、お別れじゃない。
ずっと私たちのそばにいる
そばにいてくれるんだ、と感じられる。
もしかしたら、実際に生きている時よりも、
「いつもそばにいる」と思えるのかもしれません。
生きている人は、今、現実にそばにいなかったら、
「そばにいる」ってなかなか思いにくいので…。


昨日、仕事に向かう朝、
とてもきれいな青空でした。(今日は雨だけど🥲)
見上げると、空はどこまでも高くて、
5月の朝の風が気持ちよく、
街路樹の新緑がまぶしくて、
その心地よさの中で、
神さまに包まれているって、こういう感じかなぁと、ぼんやりと思いました。

「天は、全世界」と言われても、
やっぱり天と聞くと、空をイメージしてしまう私。

いや、私だけじゃなくて、
空を見上げて、
人間の力を超える存在を意識することは、
キリスト教に限らず、
昔から多くの人が、感じてきたことなのかもしれません。

広い広い空のように、
自分の力を超えた、
大きなものに包まれている安心感。
自分の力だけで生きているのではなく、
大きなものに生かされている感覚。

それでいて、遠くにあるものではなく、
すぐそばにいてくれるような感覚。
良い時も、悪い時も、
いつも一緒にいるから大丈夫だよ、と言ってもらっているような、
力強くて、あたたかい気持ち。


日常の忙しさや、細々した用事に埋もれて、
イエスさまが一緒にいてくれることを、つい忘れがちな、不良信者の私です🥲
忘れてしまわないように、
たまには心を静かに、
空を見上げようと思います。

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