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聖木曜日。いつものミサに、改めて出会う

今日から3日間、私は3人の子どもたちと、夜に自転車に乗って教会へ。
今度の日曜日は復活祭(イースター)。
その直前の聖木曜・金曜・土曜日は、キリスト教にとって大切な聖週間です。

聖週間のミサは夜7時からで、3人の子どもたちは侍者(ミサの中で神父様のお手伝いをします)なので、6時に教会集合。
そのため、2時半に仕事から帰宅し、遅いお昼ごはんを食べ(子どもたちは既に食べてます。ここまではいつも通り)、4時から夕食作り、5時に夕食…といういつも以上にタイトスケジュールでした。

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聖木曜日は、イエスさまが十字架につけられる前の晩に、12人の弟子たちと一緒に食事をした「最後の晩餐」を記念します。
(レオナルドダヴィンチの絵で有名な場面ですね)

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。
すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
感謝の祈りをささげてそれを裂き、
「これは、あなたがたのためのわたしの体である。
わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

また、食事の後で、杯も同じようにして、
「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。
飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

コリントの信徒への手紙1 11章23~26節

これと同じような言葉が、毎週のミサの中で唱えられ、神父様がパンとぶどう酒を聖別します。(ちなみに、普通のふわふわしたパンとは異なり、白くて薄い、甘くない炭酸せんべいのような感じ…と表現したら伝わるでしょうか)
この「最後の晩餐」が、ミサの中心であり、
ミサにあずかることで、私たちは毎週「最後の晩餐」の場に一緒に参加しているのです、と神父様が話されていました。


恥ずかしながら、幼児洗礼の私は、毎週のミサが当たり前になってしまって、子どもの頃からなんだか呪文のように、一つひとつの言葉の意味をあまり考えずに唱えていました。
でも、聖木曜日のミサに初めてあずかった社会人1年目の聖週間、聖書のこの部分を聞いて、
「これ、いつもミサで出てくる言葉だ!」と改めて気づき、新鮮な驚きとともに感動したのを、今でもよく覚えています。
初めて聖木曜日のミサに出た子どもたちも、そうだったようで、ミサから帰ってから、
「自分たちの信仰っていうか、ミサの意味みたいなものを感じた」と話してくれました。
これから毎週のミサにあずかるときに、この聖木曜日の夜を思い出してくれるといいな…。

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それから、聖木曜日のミサではもう一つ、「洗足式」があります。
イエスさまは、最後の食事の際に、弟子たちの足を洗いました。
当時、足を洗うのはしもべの仕事でした。それなのに、弟子たちにとって師(先生)であるイエスさまが、ひざまずいて、足を洗ってくれるのです。

ミサの中では、神父様がイエスさま役として、弟子役の5名の信者の足を洗いました。
今年、我が家の長男にっくんも、足を洗ってもらう役に抜擢されました。
(陸上部の中学生男子、それはそれは足の香りが、もう…。神父様、大丈夫だったかしら…)
帰ってから聞いてみると、「神父様に洗ってもらうなんて、申し訳ないような、複雑な気持ち…」と言っていました。
「お湯だったから、あったかくて気持ちよかった」とも(笑)

イエスさまは、自分がひざまずいて弟子たちに仕え、「あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」と教えます。
自分が上に立とうとするのではなく、偉く強くなろうとするのでもなく、低くなり奉仕する。
この前の日曜日、「枝の主日」でロバに乗ってエルサレムに入城したイエスさまも、人々よりも低くなって愛と平和をもたらす姿でした。
しかも、この後イエスさまを裏切るユダもこの中にいて、イエスさまはユダの足も洗うのです。
自分を売り渡そうとする人に対してさえ、仕え、愛する…それが、イエスさまの愛の深さであり、私たちにもそうするようにと教えられています。

「自分たちの信仰ってなにかと感じた」という子どもの言葉のように、キリスト教を信じる私たちが、どう生きるべきかを改めて感じた夜でした。
その生き方って、とても難しい…でも、あきらめずにイエスさまのように生きようと努力することが大切なのだ、と神父様はおっしゃっていました。

そして、ミサが終わると、ふだんは聖堂の中に安置されているご聖体(パン)が、聖堂の外の部屋に移されました。
十字架を持った次男はっくんを先頭に、ろうそくを持った長男にっくんたち侍者と神父様、その後を私たち信者もぞろぞろと行列して、外の部屋へ入ります。
そこで、しばらく沈黙して祈りました。
明日の聖金曜日は、イエスさまが十字架につけられる日。
聖堂はからっぽになります。
侍者の子どもたちは、聖堂の祭壇にある白い布やろうそくなどの飾りを全て外し、長男にっくんが脚立に乗って、高いところにある十字架に紫の布をかぶせました。

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聖木曜日のミサを終えて、夜8時過ぎに自転車で家に戻った子どもたち。
「いつもとミサの空気が違った」
「パンとぶどう酒をささげるところの、ミサの意味がわかった」
「足、洗ってもらって良かった」
「イエスさま、いなくなっちゃうのさみしい…」
それぞれが感じたことを話してくれました。
子どもたちも、心の深いところで聖木曜日のミサを味わい、感じているのだなぁと、参加できたことに感謝です。

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