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採用・就労支援の構造的問題と“総合的理解”の欠落――当事者経験と制度批判から捉える日本の課題


序:採用とは本来、「総合的理解」の営みであるはずなのに

 本来、人材採用とは、応募者の履歴書や職務経歴書に記載された情報だけでなく、背景・環境・経験・潜在能力・価値観・特性の全体を統合的に理解する営みである。
 しかし、日本では「採用書類中心主義」が強く残存しており、応募者を“紙の情報”でしか捉えない運用が一般化している。これは、以前の3つの就労支援・就職採用を巡る論考(「履歴書では測れない能力を、AIはどこまで見抜けるのか?」「偏見と採用の構造的問題」「就労支援は「人間の能力」を見ているか」)でも、見た通りである。
 これは単なる形式上の問題ではない。応募者の人生の質、キャリアの軌道、社会参加の可能性を大きく左右し、ときに能力発揮の機会を永続的に奪う構造的暴力ともなり得る。
 また、近年はAI面接の導入も進みつつあるが、多くは「省力化」を目的とした制度導入であり、“応募者の潜在能力を開くためにAIをどう活用するか”という観点は極めて弱い。このことは、前述の3論考でも指摘した通りである。
 以上の問題を踏まえて、本論考では、研究的視座 × 個人の当事者経験 × 国際比較 × 制度批判というまったく異なる層を組み合わせながら、日本の採用・就労支援構造の欠陥を立体的に照らし出すことを意図している。

第1章 日本的採用書類中心主義の三つの問題点

 第1節 「紙の情報の量で人間性を判断する」という深刻な錯誤

 日本の職場の多くは、履歴書の空白・転職回数・年齢など、“量的に測りやすい項目”に認知バイアスを抱きやすい。
 この構造では、以下が生じる。

 * 暴力・差別・パワハラによってキャリアが中断した人が不当に不利益を受ける
 * 家庭環境や社会的困難で就労が阻まれた人が能力を発揮する前に排除される
 * 高度能力者が“単純労働”へと押し込められる
 * 本来であれば企業の生産性や組織文化を改善し得た人材が埋もれてしまう

つまり、採用書類中心主義は、応募者だけでなく、採用側にも巨大な損失をもたらす。

 第2節 「見える能力」に偏重することで、“潜在能力”を拾えない

 「履歴書では測れない能力を、AIはどこまで見抜けるのか?」に近似した例であるが、ある求職者が、長期間の療養や引きこもり生活の中でTVゲームに没頭し、数千時間の集中・問題解決・反復改善を積み重ねてきたとする。
 この人が身につけているのは、

 * 高度な集中力
 * 精緻な反応速度
 * 長期反復学習の持続力
 * 記録・編集・改善の自己管理
 * 動画制作・発信の社会性

しかし、採用書類だけを見て「空白期間がある」と判断されれば、こうした能力は完全に見落とされる。
 本来、採用とは“言語化されていない能力”をどう見抜くかが本質である。日本の採用慣行は、そこから最も遠い位置にある。

 第3節 AI面接の導入は「省力化」であって“深化”ではない

 一部企業では「人間とAIの面接結果が変わらない」という理由で導入が進んでいる。しかし、これは構造的にはこう言い換えられる。人間もAIも同じレベルで“浅く”しか見ていない、ということだ。
 履歴書に載らない能力、ナラティヴ、生き延びる力、暴力から回復した経験、芸術的・身体的な熟達など、企業にとって大きな価値を持つはずの要素は一切評価対象にならない。
 AIは、本来もっと“深く”潜在能力を分析できる可能性を持っている(それは、以前の「履歴書では測れない能力を、AIはどこまで見抜けるのか?」で指摘している)。だが現状では、人間側の運用思想が浅いため、AIも“浅い判断装置”へと矮小化されてしまっている。

第2章 就労支援制度の構造的欠陥 ― 当事者経験からの批判

 ここで筆者自身の経験に触れておきたい。
 筆者は数年前、居住地域の国(厚生労働省)の委託による就労支援施設を利用した際、担当支援員(男性、50代)から、複数の形の構造的人権侵害を受けた。

 * 名前を正確に呼ばない:本人の許可なく、成人男性を「ちゃん」付けで呼ぶ
 * 相談内容を理解せず、一方的な誘導を行う
 * 余暇で行っていた言論活動(このnoteの活動)を「収入にならないならゼロ評価」と断言する
 * 履歴書だけを見て、背景を問わず、能力を過小評価する
 * 求職者の希望を無視し、「自分の正解」を押し付ける

これは単なる能力の欠如ではない。憲法上の人格権・個人の尊重原理(憲法13条)に触れ得る重大な人権侵害行為である。
 筆者は後に、事業所・運営法人・自治体・厚労省に抗議書・報告書(事実列記、憲法・法律・倫理的問題の指摘、構造的分析をした、行政官が読むことを前提とした理性的かつ冷静な筆致の文書)を提出した。行政からは誠実な回答があった一方、運営法人からの返答は空疎で形式的なものであった。
 この経験は、就労支援事業が“支援”ではなく“囲い込み・誘導”として機能しているという日本固有の問題を示している。

第3章 国際比較:日本の就労支援の“遅れの本質”

 OECD諸国やEUでは、就労支援は「キャリア形成の伴走」として設計されている。
 特徴は以下の通りである。

 ・利用者の尊厳の保障(dignity)を制度の中心に置く
 ・ナラティヴ・アプローチを用いて、背景・経験・潜在能力を掘り起こす
 ・キャリアコンサルタントは専門資格と倫理規定が必須
 ・労働市場の専門家として、適性評価やスキル分析を高度に行う
 ・強制的誘導は禁止
 ・求職者の希望と生活状況を最優先する

これらに照らすと、日本の就労支援の多くは、

 * 人権意識・尊厳思想が希薄
 * 倫理規定が浸透していない
 * 相談員の力量が均質化されていない
 * 制度運用が利用者の利益ではなく“労働力供給”になっている

という構造的遅れが明白である。

第4章 能力発掘と人材活用の観点から見た“制度の損失”

 筆者自身は、幼少期からの音楽訓練や長年の思索・文章表現を通じて、構造分析・倫理理解・抽象思考・ナラティヴ理解・AI活用能力など、多面的な高度能力を有している。
 しかし、こうした能力は、

 * 履歴書では可視化されにくく
 * 日本の画一的採用システムでは評価されず
 * 就労支援職が理解するための訓練も受けていない

という理由により、適正に評価されないということが起こる。これは、筆者だけに限らず、全国で様々な形で起きていると推測され得る。結果として、高能力者が低適性の業務に押し込められ、自己評価を下げられるという事態が全国的に生じている。
 これは、求職者の人生だけでなく、企業と社会の生産性をも損なう重大な構造問題である。

第5章 制度をどう変えるべきか ― “総合的理解”への転換

 採用・就労支援の本質は、「人間の全体性をどう理解するか」にある。その転換のためには、

1. 採用書類中心主義からの脱却
2. ナラティヴ・アプローチによる背景理解の導入
3. AIを“省力化”でなく“潜在能力の可視化”のために使う
4. 就労支援員の倫理規定・専門性の義務化
5. 利用者の尊厳と自己決定権を制度の中心に置く
6. 当事者の声を政策形成に組み込む

が不可欠であると考える。

結語 “総合的理解”の欠落が奪ってきたもの

 採用とは、本来、「その人がどのように生きてきたか」「どのような可能性を持っているか」を理解する営みである。
 しかし日本では、採用書類中心主義・評価者の偏見・制度運用の硬直性によって、多くの人が能力を発揮できないまま労働市場の周縁へ追いやられている。
 それは個人の失敗ではない。構造の失敗である。
 本論考が、“人材を見る眼の刷新”、“就労支援制度の改善”、“応募者の尊厳を守る社会の構築”へとつながる一助となることを願っている。


※以前の就労支援・労働市場・AI導入に関する論考


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jacob_truth369 ( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 (  ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊