見出し画像

ケチャップは、もともと中国由来の「魚の内臓」だった!?

インドネシア駐在時代、どうしても腑に落ちない言葉があった。それが「Kecap(ケチャップ)」である。現地の人は、トマトが一滴も入っていないソースを、「ケチャップ何とか(インドネシア語では修飾語が名詞の後ろに来る)」と呼ぶ。辛ければKecap pedas、甘ければKecap manis、しょっぱければKecap asin。味の違いは明確なのに、名前はすべてケチャップである。

日本でも売ってる?!

日本人の感覚で言えば、ソースを全てまとめて「醤油」と呼んでいるようなものだ(辛い醤油、甘い醤油、しょっぱい醤油)。私は当時、西洋のトマトケチャップがインドネシアへ入り、それが万能調味料として定着し、結果的に何でもケチャップと呼ばれるようになったのだろう、と思っていた。複合機をゼロックスと呼んだり、ステープラーをホチキスと呼んだりするのと同じ現象だと考えていた。

実際、我々が「ケチャップ」と聞いて思い浮かべるのは、例外なくトマトケチャップである。スパゲッティといえば、麺にトマトケチャップを混ぜたナポリタンが代表選手!(でも実は日本発祥の日本料理、笑)。フレンチフライをトマトケチャップなしで食べると、鯛の入っていない鯛焼きを食べるような寂しさを感じる(Woops~鯛焼きには元々鯛は入っていないっけ?)。どう考えても、ケチャップは西洋料理の象徴に見える。

インドネシア駐在時代の僕・・・

ところがケチャップの歴史を調べてみるとビックリの連続ドラマ!順番も本来の材料もまったく逆だった。

ケチャップの起源をたどると、中国南部に行き着く。中国の現存する最古の農業書『斉民要術』には、漢の皇帝が発見した不思議なソースの逸話が記されている。皇帝が海岸まで追跡を行った際、非常に独特な香りに気づき、家臣に調べさせたところ、それが魚の内臓を発酵させた調味料だったという話である。漢代は紀元前2世紀から紀元2世紀頃を指すが、2千年ももっと前にすでに魚醤文化が確立していたことが分かる。

もともとのケチャップは、現在のような赤いソースではない。魚の身や内臓を塩と混ぜ、数か月かけて熟成させた、塩辛く暗い色の発酵調味料である。この魚醤は中国南部からベトナム、マレーシア、インドネシアへと広がり、東南アジア一帯で受け継がれていった。

この魚醤は、中国南部の福建語で「kê-tsiap(鮭汁)」などと呼ばれていた。この言葉が17世紀頃、東アジアと交易を行っていたイギリス商人によって英語に取り入れられ、「ketchup」として知られるようになる。この歴史を知ってから、Ketchupを発音してみると何となく中国語に聞こえる(あらまぁ~不思議!)。つまり、ケチャップとはアジアで生まれ、西洋に渡って名前だけが先に広まった調味料なのである。

18世紀のイギリスやアメリカでは、キノコ、クルミ、牡蠣、アンチョビ、時には古いビールまで煮詰めてケチャップを作っていたようだ。西洋人は、アジアから持ってきた不思議な味の魚醤の材料がわからず、同じ味を再現するために、色々な食材を試していたという。

転機が訪れるのは19世紀のアメリカ。1812年、アメリカの科学者ジェームズ・ミーズが、世界で初めてトマトを使ったケチャップのレシピを公表した。当時、ミーズはトマトに強壮効果があると信じ、「愛のリンゴ(love apples)」と呼んでいたという。

もっとも、この初期のトマトケチャップは、我々が知る味とはかなり違っていた。ブランデーなどのアルコールや多くのスパイスが加えられ、味は甘酸っぱいソースというより、むしろトマトスープに近いものであった。保存性も低く、まだ一般家庭に広く普及する存在ではなかった。

この未完成な発明に目を付けたのが、後にケチャップの代名詞となる人物、ヘンリー・ハインツである。1876年、ハインツはトマトケチャップを正式な商品として発売した。

ハインツさん、ありがとう😊🍅

当時の食品業界では、保存のために危険な添加物が使われることも少なくなかった。ハインツはそこに真っ向から向き合い、熟したトマト、蒸留酢、砂糖、塩、スパイスだけを用い、保存料に頼らない安全なレシピを確立した。さらに、その誠実さを示すため、中身が見える透明なガラス瓶で販売した。

この姿勢は消費者の信頼を勝ち取り、ハインツのケチャップは急速に広まっていく。1900年までにアメリカ国内で最大のケチャップメーカーとなり、やがてイギリスをはじめ世界各地へ進出した。現在では年間6億本以上が販売されているという。

当時のヨーロッパでは、トマトは長らく毒だと思われていた。トマトの酸がピューター製の皿から鉛を溶かし出し、人々が鉛中毒を起こしたため、トマトが犯人に仕立て上げられたのである。やがて誤解が解け、20世紀に入ってようやく、我々の知る赤いトマトケチャップが主流になる。

トマトケチャップの歴史は、一人の科学者が蒔いた小さなアイデアの種を、一人の実業家が「安全」と「信頼」という肥料で世界的な大樹へ育て上げた物語でもある。

世界を見渡せば、さらに自由なケチャップも存在する。フィリピンでは、第二次世界大戦中のトマト不足をきっかけに、バナナを使ったケチャップが誕生した。見た目は赤いが、中身は完全にバナナである。その事実を知ったときの裏切られ感は、なかなかのものだ。

日本で初めてトマトケチャップが製造されたのは横浜である。そういえば、ナポリタンも横浜発祥のイタリアン料理(名古屋発祥の台湾ラーメンみたい)だったのは偶然ではないかも。

インドネシアで感じたあの小さな違和感は、こうして世界を一周してようやく腑に落ちた。ケチャップは西洋の象徴ではない。アジアで生まれ、ヨーロッパで姿を変え、アメリカで商業化され、再びアジアに戻ってきた旅人なのである。

今度ナポリタンを食べる時は、ほんの一瞬だけ思い出してほしい。その赤いソースの祖先は、かつて「トマト」ではなく「魚の内臓」だった(ホルモン・ケチャップ?)ということを。

いいなと思ったら応援しよう!