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黙るのも怖い。話すのも怖かった | エッセイ

——会話を「試験」だと思っていた私の話

昔の私は、人と話すのがとても苦手だった。

苦手、というより、怖かった。

何かを聞かれた時、すぐに言葉が出てこない。

自分がどう思っているのかより先に、

「この返事で怒られないか」
「この答えは間違っていないか」
「今、何を言えば正解なのか」

そんなことばかり考えていた。

子どもの頃から、返答を間違えると危なかった。

母の機嫌。
声のトーン。
表情。
沈黙。
返事をしたあとの空気。

それを読み間違えると、怒られたり、責められたり、面倒なことになったりした。

だから私は、自分の意見を探す前に、相手の正解を探すようになった。

「私はどう思うか」ではなく、
「この人は、どう答えてほしいのか」。

それが、私にとっての会話だった。

しかも、黙っているのも怖かった。

シーンとした空気になると、何か話さなきゃと思う。

この沈黙は私のせいかもしれない。
このままだと、変な空気になるかもしれない。
早く何か言わなきゃ。

そう焦って言葉を出すと、今度は余計なことを言ってしまう。

言わなくていいことまで言う。
説明が足りなくて、違う意味で受け取られる。
友達に勘違いされて怒られる。

空気を埋めようとしただけなのに、かえって失敗する。

そうするとまた、

「やっぱり私は話すと失敗する」

と思う。

でも、黙るのも怖い。

私はずっと、その間で固まっていた。


自分の意見って、どこにあるの?

母の束縛が強かったこともあって、子どもの頃は友達と自由に遊ぶ時間がほとんどなかった。

一人っ子だったから、兄弟と何気なく話す経験もなかった。

家でも、学校でも、私は人との距離感をうまく覚えられなかった。

友達はほとんどできなかった。
仲間外れにされたこともある。
いじめられたこともある。

子どもの頃は、よく「マザコン」と言われた。

でも、本当は母が好きでべったりしていたわけではなかった。

母の支配から抜けられなかっただけだった。
友達との関係を育てる時間も、自由も、心の余裕もなかった。

そんな私が、高校を卒業して、昼間定時制の准看護科に通いながら、病院で看護助手として働き始めた。

当然のように、絶望的にコミュニケーションが取れなかった。

患者さんとも、職員とも、うまく話せない。
何を話せばいいのかわからない。
どこまで言っていいのかもわからない。

だから私は、とりあえず静かに、言われた仕事だけをするようにしていた。

でも病院では、黙っていれば済む場面ばかりではなかった。

申し送り。
ミーティング。
カンファレンス。

どうしても、自分の考えを聞かれる場面がある。

ある時、婦長さんに言われた。

「〇〇さんも、自分の意見を言っていいのよ。誰も噛みついたりしないんだから」

その言葉を聞いた時、私は少し驚いた。

そんなふうに見えているんだ、と思った。

私はきっと、怯えているように見えていたのだと思う。
意見を言うことを怖がっている人に見えていたのだと思う。

でもその時、私の中にあったのは、

「言っていいなら言います」

ではなかった。

心の中で、ただ困っていた。

意見って、何。

自分の考えって、どこにあるの。

そう聞かれても、何も出てこなかった。

私は、言いたいことを我慢していたわけではなかった。
そもそも、自分の意見というものが、どこにあるのかわからなかった。

仕事もできる新人ではなかった。

家で家事をしたこともほとんどなかったから、洗濯機を回すように言われても、洗濯機の回し方すらわからなかった。

今なら少し笑える。
でも当時の私は、本気で困っていた。

わからない。
でも、わからないと言うのも怖い。
聞き方もわからない。

黙っていると、また空気が悪くなる気がする。

そして怒られる。

怒られると、さらに小さくなる。
小さくなると、余計に動けなくなる。
動けなくなると、周りの当たりがきつくなる。

そうやって私は、どんどん「使えない新人」になっていった。

その時の私は、病院の人たちが意地悪なのだと思っていた。

もちろん、きつい人もいたと思う。
言い方が悪い人もいたと思う。

でも、環境を変えて、違う病院に就職しても、同じようなことが起きた。

私はやっぱり、自分の意見が言えなかった。

でも、無言でいることもできなかった。

沈黙が怖くて、何か話さなきゃと思う。
でも、焦って出した言葉は、たいてい余計なことだった。

言わなくていいことだった。
意味のないことだった。

たぶん、私はまた嫌われていたと思う。


会話を「型」として覚えた営業時代

このままではいけないと思って、コミュニケーションの本を読んだ。

ポジティブシンキングの本も読んだ。
自己啓発本もいくつか読んだ。

考え方を変えましょう。
自信を持ちましょう。
笑顔で話しましょう。
相手に興味を持ちましょう。

頭では、わかる気がした。

でも、実際に人を前にすると、できなかった。

本を読んだくらいで、子どもの頃から身体に染みついた反応は変わらなかった。

そんな時に読んだ本の中に、自分と同じように人とうまく話せなかった人が、あえて営業職についた話があった。

人と強制的に話さないといけない仕事に身を置いて、少しずつコミュニケーションを覚えていった、という話だった。

それを読んだ時、私は思った。

このままでいたら、たぶん私は一生、人と話せなくて困り続ける。

だったら一回、逃げられない場所に行ってみよう。

そう思って、すぐに職安へ行き、営業職に就いた。

あとから考えると、かなりハードな会社だった。

営業スタイルは、まず電話でアポイントを取って、そのあと対面営業をする形だった。

電話営業は、会社名を言った時点でガチャッと切られる。
百件かけて、一件話を聞いてもらえたらいい方だった。

でも私の場合は、それ以前の問題だった。

話を聞いてくれるお客さんがいても、言葉のキャッチボールができない。

先輩とロープレをしても、

「全然、会話になってない!」

と毎日のように怒られた。

すごく落ち込んだ。

でも、ここで諦めたら、私は一生人と話せないままかもしれないと思っていた。

だから、しがみつくしかなかった。

でも、どうやったら人と話せるのかわからない。

そこで私は、先輩とお客さんの会話を一日分聞き返して、家で文字に起こした。

どこであいづちを打つのか。
どこで質問するのか。
相手が断った時、どう返すのか。
話題をどこで戻すのか。
どの言葉で相手の警戒が少しゆるむのか。

私は、会話を感覚で覚えられなかった。

だから、会話を分解した。

人と話すことを、心の交流としてではなく、まずは型として覚えようとした。


雑談のできないトップセールス

先輩の営業トークを文字に起こして、私は少しずつ会話の型を覚えた。

最低限の営業トークなら、できるようになっていった。

でも、営業はそんなに簡単ではなかった。

お客さんが同じように、

「お金がないので」

と言っても、その意味は人によって違う。

本当にお金がない人もいれば、ただ断るためにそう言っている人もいる。
少し興味はあるけれど、すぐには決めたくない人もいる。

同じ言葉でも、その奥にある気持ちは違う。

だから私は、言葉そのものよりも、その後ろにある空気を見るようになった。

声の硬さ。
返事の速さ。
沈黙の長さ。
少しだけ迷った感じ。
本当に嫌がっている時の距離感。
話に乗ってきた時の、ほんの少しの変化。

それを見ながら話さないと、一人でしゃべっているだけになる。
一人でしゃべっている営業の電話は、すぐに切られる。

最初は難しかった。

でも、不思議なことに、そこは比較的早くできるようになった。

私は、人と楽しく話すことは苦手だった。
でも、人の機嫌や空気を読むことは、子どもの頃からずっとやってきた。

母の表情。
声のトーン。
沈黙。
足音。
扉の閉め方。
次に怒るかどうか。

そんなものを見ながら生きてきた。

できれば、そんな力は身につけずに済む方がよかった。

でも営業の現場では、その力が少しだけ役に立った。

そうして私は、雑談のできないトップセールスになった。

営業トークはできる。
相手の断り文句の裏も読める。
商品を理解すれば、売ることはできる。

でも、会社の人たちとの雑談は、相変わらず苦手だった。

営業には型がある。

相手の断り文句があり、こちらの返しがあり、話を戻す場所があり、最後には目的がある。

でも雑談には、ゴールがない。

何を話してもいい。
でも、何を話してもいいからこそ、何を話せばいいのかわからなかった。

私は会話が苦手だったというより、
正解のない会話が怖かったのだと思う。

だから、仕事を離れて、ただ親しくなる関係になると、日常会話はなかなかうまくできなかった。

目的のある会話はできる。
仕事の会話はできる。
営業トークもできる。

でも、ただ一緒にいて、どうでもいいことを話す。
意味のないことを言う。
沈黙しても大丈夫でいる。

それが難しかった。


言葉を間違えても、大ごとにならない

その後、正看護師の学校に進学し直し、卒業してから、ある職場で今のパートナーと出会った。

彼が私に最初に抱いた印象は、

「機械みたいな人」

だったらしい。

私は淡々と、必要なことだけを話していた。

業務に必要な情報は話す。
聞かれたことには答える。
説明もする。

でも、雑談はできない。
自分の感情もあまり出さない。
楽しそうに場を広げることもない。

彼から見ると、私はまるで辞書みたいだったらしい。

必要なことを聞けば、必要な答えは返ってくる。
でも、それ以上の余白がない。

普通なら、それは近づきにくさになるのかもしれない。

でも彼は、感情の起伏が大きい関係が苦手な人だった。

だから、私の淡々としたところが、逆によかったらしい。

感情を出すことが苦手だった私と、
感情の起伏が苦手だった彼。

今思えば、おかしな組み合わせだった。

家の中で、緊張せずに雑談できるようになったのは、今のパートナーと暮らすようになってからだった。

彼は、かなり雑な人だった。

深く聞き出そうとしない。
正しい返答を求めてこない。
くだらないことを言う。
適当なことを言う。

彼といると、多少変な返しをしても、話が大ごとにならなかった。

くだらないことを言っても、適当に流される。
うまく返せなくても、別に怒られない。

たぶんその中で、私は少しずつ、

「会話って、毎回ちゃんと返さなくてもいいんやな」

と覚えていったのだと思う。

もちろん、すぐに変わったわけではない。

何年もかけて、少しずつだった。

最近は、パート先でも普通に会話している。

もちろん、今でも線引きはしている。

これは深入りしたら危ないな。
この人の感情には乗りすぎない方がいいな。
この話は聞くだけにしておこう。

そう思うことはある。

でも昔みたいに、

黙るか、
焦って余計なことを言うか、

その二択ではなくなった。

気づけば、前みたいに「何を言えばいいんやろ」と考えすぎなくても、普通に会話している感じはできるようになっていた。


会話は、思っていたより雑でよかった

最近になって、少し笑ってしまうくらい簡単なことにも気づいた。

会話って、案外、

「なるほどー」
「たしかにー」
「うーん、むずかしいですねー」

くらいでも成り立つ。

昔の私は、会話では何かちゃんとしたことを言わなければいけないと思っていた。

意見を求められたら、自分の考えを出さないといけない。
何か聞かれたら、正しい答えを返さないといけない。
沈黙になったら、自分が何か埋めなければいけない。

今なら、昔の私にこう言える気がする。

会話は、そんなに毎回ちゃんとしていなくてもよかった。

すぐに言葉が出てこない時に、無理やり気の利いた返事を作らなくてもいい。
今すぐ答えが出ない時に、急いで正解を出さなくてもいい。

今でも、すごく上手に話せる人になったとは思っていない。

でも最近は、

「なるほどー」
「たしかにー」
「うーん、むずかしいですねー」

くらいでも、案外会話は流れていくんだなと思う。

会話って、思っていたより雑でよかった。

私はそのことを、ずいぶん長い時間をかけて覚えてきたのだと思う。




この話の続きを、もう少し心の動きから整理しました

沈黙になるたびに焦ってしまうこと。
何か話さなければと、いつも自分だけが会話を支えようとしてしまうこと。

それは、話すのが苦手だからではなく、
沈黙したあとの空気を、ずっと怖がってきたからかもしれません。

▶︎ 観察ノート|人間関係編|沈黙になるたび、私だけが焦っていた
——「沈黙を埋める係」を降りるまで


そして、人と話したあとに、楽しかったはずなのにどっと疲れてしまう夜には。

▶︎ 小さな夜話|人の中にいるだけで疲れてしまった夜に
——それだけ、ずっと気を張っていたのかもしれない


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けい|自分に戻る心理ワーク いただいた応援は、これからも必要な夜にそっと届く文章を書くために、大切に使わせていただきます。読んでくださるだけでも、とても励みになっています。