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沈黙になるたび、私だけが焦っていた | 観察ノート【人間関係編】

——「沈黙を埋める係」を降りるまで

昔、人と一緒にいる時の無言が、すごく苦手だった。
少しシーンとするだけで、何か話さなきゃと思った。

でも、別に話すのが得意だったわけではない。むしろ口下手なのに、沈黙を埋めるためだけに、ひたすらしゃべり続けていた。

しかも自分でも、途中でちゃんと気づいている。

「私、何しゃべってるんやろ」
「これ、別に話したい話じゃないな」
「でも、黙ったら気まずいし……」

そんなことを思いながら、それでも止まらなかった。

一度、相手から、

「よく話すね(笑)」

と言われたことがある。

その時、内心ちょっと傷ついた。

いや、好きでしゃべってるんちゃうねん。
沈黙が怖いねん。

今なら、そう思う。

あの頃の私は、いつの間にか「沈黙を埋める係」を引き受けていたのだと思う。

誰かを責めるためではなく、ただの無言に「怖い意味」を足してしまっていたあの頃の自分を、少しだけ静かに見ていく観察ノートです。




頼まれていないのに、場を何とかしようとしていた

無言になると、私はすぐに焦っていた。

相手が退屈している気がした。
気まずい空気を、自分が作ってしまった気がした。
何か話題を出さないと、つまらない人だと思われる気がした。

だから、頼まれてもいないのに、「この場を何とかする係」を、勝手に引き受けていた。

でも、本当は話したいことがあるわけではない。

焦って口を開いているだけだから、だんだん空回りする。言わなくていいことまで言ってしまう。あとから、「あれ、別に言わなくてよかったな」と思うことまで話してしまう。

空気を埋めようとしただけなのに、かえって失敗する。

そうするとまた、

「ああ、やっぱり私は会話が下手なんだ」

と、ひとりで落ち込む。

相手からすれば、ただ黙っていただけなのかもしれない。

でも私はいつも、沈黙を見つけるたびに、勝手にその場を背負って、勝手に疲れていた。

特に苦手だったのは、誰かが話している時ではなく、誰も何も話していない時だった。

相づちを打つ相手もいない。
ただ、シーン……とした空気だけがある。

その静かな数秒に、当時の私は耐えられなかった。

「え、気まずっ」
「これ、どうしたらいいんやろ」

そう思った瞬間、反射みたいに焦りが上がってきて、何か言わなきゃと必死に言葉を探してしまう。


食べ終わった後の沈黙が、いちばん苦手だった

食べている時の沈黙なら、まだ少しマシだった。

ごはんを口に運ぶ。お茶を飲む。箸を動かす。一応、「食べる」という用事がある。

でも、食べ終わった後。

何もすることがなくなった時。

その沈黙は、もっと苦手だった。

もう食べるものもない。会話もない。することもない。ただ、人と人が同じ場所に座っている。

その時間が、妙に長く感じた。

「このまま黙っていていいのかな」
「何か話した方がいいのかな」
「相手は気まずいと思ってないかな」
「私といてもつまらないと思われてないかな」

そんなことを、頭の中でぐるぐる考えていた。

苦手だったのは、沈黙そのものではなかったのだと思う。

何も起きていない時間を、そのまま置いておくこと。

それが、私には難しかった。

何も起きていないのに、何か悪いことが起きているような気がしていた。静かなだけなのに、気まずさの証拠みたいに感じていた。相手が何も言わないだけなのに、自分が何かを求められているような気がしていた。

でも本当は、食べ終わった後の沈黙も、ただの休憩時間だったのだと思う。

ただ、ごはんを食べ終わって、少しぼーっとしている時間。
お腹がいっぱいで、お互いに少し眠いだけの時間。

それくらいのものだった。


沈黙の中に「怖い意味」を詰め込んでいた

頭では、「気にしなくていい」「無理に話さなくていい」とわかっていても、身体が勝手に焦ってしまうことがある。

沈黙になると、身体が先に反応する。

胸のあたりがそわそわして、相手の表情を見てしまう。怒っているわけでもないのに、退屈そうにされたわけでもないのに、頭の中ではもう、次の話題を探しはじめている。

それは、会話が下手だったからではなく、沈黙を“危険なもの”みたいに感じていたからだった。

沈黙が気まずいと感じた時、私が本当に見た方がよかったのは、「何を話せばいいか」ではなかったのだと思う。

たぶん、本当に見た方がよかったのは、

「私は今、何に対して怖くなっているんだろう」

ということだった。

私はただの沈黙の中に、勝手な「怖い意味」をたくさん詰め込んでいた。

でも、沈黙はただの沈黙だった。

そこにあったのは、相手の怒りでも、私への否定でも、会話力の試験でもなかった。


沈黙を埋める係を、少しずつ降りていく

今は、私も別に自分からそんなに話さない。

話しかけられたら話す。話しかけられなければ、普通に黙っている。

昔の私からしたら、信じられない変化だと思う。

冷たくなったわけではない。人に興味がなくなったわけでもない。

ただ、沈黙を自分の責任にしなくなったのだと思う。

無言は、失敗ではない。

嫌われた証拠でもない。

ただ、そこに少し静かな時間があるだけ。

沈黙を埋められなかった自分を責めるより、
あの時の私は、ただ必死だったんだと思う。

場を壊さないように。
相手に気まずいと思われないように。
何とかしようとしていた。

そう思うと、あの頃の自分を、少し責めずに見られる気がする。

話したい時は話す。
話すことがない時は、黙っていてもいい。

相手の沈黙まで、自分ひとりで背負わなくていい。

沈黙を埋める係を、少しずつ降りていく。

それは、会話が上手になることよりも、ずっと静かな回復なのかもしれない。




読んでくださって、ありがとうございます。

「気にしすぎ」「考えすぎ」と片づけてきたことの中にも、ほんとうは理由があるのかもしれない。

そんな小さな心の動きを、これからも少しずつ書いていきます。


沈黙だけではなく、人と話すことそのものが怖かった頃のことも書いています。

黙るのも怖い。話すのも怖かった
——会話を「試験」だと思っていた私の話


そして、人と話したあとに、楽しかったはずなのにどっと疲れてしまう夜には。

▶︎ 小さな夜話|人の中にいるだけで疲れてしまった夜に
——それだけ、ずっと気を張っていたのかもしれない


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