見出し画像

この1年で、昨年のいまごろとはかなりちがう仕事の内容になったと感じる


はじめに


 ちょうど1年前をふりかえる。何をやっていただろうとnote記事を見返す。学習サポートの店じまい直前だった。借りていたテナントをいずれも閉めてかたづけ終え、教室でサポートした中・高校生のいずれも受験生を送り出す頃だった。

いまはボランティアでの大学での教育・研究のサポートで大学生がその対象。学習サポートのほうはリモートでつづけるのみ。1年で様変わりした。

きょうはそんな話。

様変わりの日々


 3月に入りなぜか寒さがもどってきた。クローゼットの奥に仕舞いかけていた厚手の衣類をふたたび手前にとり出す。例年ならばこの時期はサポートする生徒たちの進路がつぎつぎに決まっていくタイミング。昨年もそうだった。何年も支援してきた生徒たちは、この月をさかいに身のふり先が一気に決まりそれぞれ旅立っていく。

そんなようすを見送りながらふと我に返ってきた。毎年くりかえし中・高校生を送り出してきたわけだが、ことしはちがう。それは二度とない。同時におもなサポート先がこんどは大学生へと変わった。

5年ほどつづけて


 すでに大学生のサポートのお手伝いをはじめて5年目になる。その意味では昨年、中・高校生対象から突然変わったわけではない。激変したわけではないのに、わたしのしごと自体が大きく変わったように感じる。

取り組み方が変化したほうが大きい。それはAIの活用。教材づくりに支援をもらえるようになり、仕事のやり方が大幅に変わった。ひとりひとりに合致する手づくり教材作成、ならびに市販テキストの選定の作業は時間がかかるもの。何年このしごとをつづけてもはかどる作業ではない。それは教科書の改定やこの市が頻繁に教科書会社の選定を変えることに一部起因する。

改訂や選定が変わるたびに


 教科書が数年ごとに代わるたびに教材をつくりなおし、テキストを選び直す。そのたびに頭のなかをリセットさせられる。この用語はつかえないとか、教える順番や学年を変えるなどがおもなもの。生徒の通う学校、とくに公私がちがうと選ばれる教科書も異なることが多い。

同学年に公立・私立の生徒が訪れ、しかもそこへ中高一貫校の生徒が入り混じるとなると、もはやカオス状態。中高一貫校の生徒を上の学年の生徒といっしょに教える場合すらあったし、季節ごとに割り振りを変えるなどさまざま対処を求められた。この市の教科書選定に一貫性がなく、数年前にとりやめた教科書会社をふたたび採択、その合間に教科書改訂が挟まったことで、なんと100余りの英単語を未履修のまま受験せねばならない学年が出現。

そのとばっちりはわたしが被ることに。すべての関係する英語のテキストの英単語をひとつひとつ調べ上げて、その100余りの英単語を拾い出し、その影響を受けかねなかったその学年の生徒たちにリストとして配った年があった。学校や教育委員会ではなにも対処してくれなかったことを生徒たち経由でのちに知る。

受験生がいない


 さて、ことし。昨年のいまごろをふり返る。いちばん大きいのは高校や大学を受験する生徒のサポートをしなくてよいこと。これは大きい。大学生たちには学年に関係なく、いまいちばんやってほしいことをアドバイスできる。高校までで履修できなかった科目や広範な学問分野など。

それはヒトによってちがうのでこちらもさまざまあらたに勉強し直さねばならない。それが楽しい。文科省や中教審などの都合に合わせてやる仕事とはわけが違う。やらされるしごとや、やって虚しいしごとほど辛いことはない。それとはまったくちがう自由さがそこにある。

おわりに


 どちらにせよ。昨年とはうって変わり、しごとの中身がより自由になった。これはまちがいなくやりがいがあるし、将来につなげていけそうな予感がする。


こちらの記事もどうぞ


広告


いいなと思ったら応援しよう!