不測の事態に備えるぐらいの気持ちで、身近にあるものと手作業のみで野菜づくりを行えるかどうか

はじめに
本業の傍ら、庭で10年、畑(10a)で6年ほど野菜づくりに従事してきた。前者は自家消費、後者では規模の大きい直売所4か所への出荷まで手掛けた。
機械を使わずクワと一輪車で土を耕す。畑で使う支柱などの資材も周囲の細竹を切り出し、細工して用いる。その過程で得た様々な気づきを記しておく。
きょうはそんな話。
機械を使わないと決めてから
周りからは「どうしてわざわざ?」とよく尋ねられた。周囲の方々がトラクターで耕すなかで、ひとり昔ながらのやり方を選んだ。畑の端と端に細木を差しタコ糸を張り、それを目印にしてクワでゆっくりと耕し手作りの畝をつくる。冬にはかなり深くまで天地返しを行う。人力が全てでなかなかの重労働。水は周囲に流れていないので雨水を貯めて使う。
肥料は、完熟させた自作の堆肥、山から一輪車で運び込み畑の一角で腐熟させた腐葉土、それに近所からいただいた草木灰が中心。もちろん市販品でもおぎなう。それらを集めるには手間も時間もかかる。いつもこれだけの準備をする余裕があるかは分からない。それでも私は恵まれているに違いない。自らの山を持ち、腐葉土を誰にも咎められずに扱える環境があったから。
「いざというとき」を想像する
この畑は、少なく見積もっても100年以上は耕され続けてきた土地。祖父から父が継ぐところだったが、父はやむなく遠く離れた街で働きに出て、他の方へ畑を貸していた。そこへの有機物の投入量は計り知れない。昭和40年代までは牛馬耕が盛んで、土はもっとも豊かだったかもしれない。定年後にこの地へもどった父は畑の土が白くぼそぼそになったと話した。
トラクターを否定するつもりは毛頭ない。しかし、もし油や電力が途絶えたらどうなるか。代替する牛馬はもういない。結局、頼れるのは自分の人力だけになる。その作業量を身体で確かめておきたかった。
先祖から受け継ぐ
数年かけてようやく気づいたことがある。土が有機質で満たされ、黒々とした団粒構造を保てているのは、長年黙々と土を耕してきた先祖のおかげ。私が寄与できた分など、微々たるものに過ぎない。
それからは、作物を作る以上に、「土のバランスをどう維持するか」に腐心した。未熟な堆肥の投入がいかに土を傷めるかを近隣の畑の様子から学び、自身の失敗から嫌というほど知った。
収穫と、手放すこと
素性の確かな有機物を見つけ、耕し、育て、届ける。もはや大勢に向けた生産は目指していなかったが、信頼できる作物を求める方々とのネットワークは、幸運にも自然と整っていった。
欲しいと言ってくれる人がいるからこそ、多少の労働も厭わずに頑張れた。しかし、度重なり激しさを増す動物害と流行病の壁に阻まれ、ついに心が折れてしまった。本業を上回る収益を上げ、第二種兼業農家として自信を持ち始めた矢先の出来事だった。
おわりに
もはや私が上のやり方でこのハンデの目立つ中山間地で農業をすることはない。長年維持してきた畑を投げ出してしまい、耕作放棄地に変えてしまった。 その分、大学で農学を専攻し卒業した娘が、別のところで条件を整えつつ農業に従事している。私よりも遥かに積極的。卒業早々に隣県の成功者のもとへ学びに向かい、アルバイトで貯めた資金で土地を購入して開墾し、ビニールハウスを借り、結婚してべつに畑付きの住宅まで手に入れた。その手際の良さには驚かされる。
かつて私が打開できず投げ出した道の先を、娘はいつの間にかより条件の整った場所を見つけて歩み始めていた。 私の経験はここで終わるが、「希望の光」が、次なる耕し手としてそこにいる。
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