街の賃貸住まいで手持ちのモノはどの程度求められるのか:必要な食器と余分なうつわ
はじめに
なるべくモノを持ちたくない。そう言いつつ本はいったん処分してすっきりしたのにまた増えはじめている。もしかしたら細胞のように夜な夜な分裂しているのではとミステリーのような想像をしてしまう。
さて食器はどうか。使いすての紙皿を非常用にせずとも、手持ちの皿にラップをのせれば貴重な水で洗わずに何度か皿自体はそのまま使えそう。街ぐらしも3年目。最低限の手持ちの食器とは。
きょうはそんな話。
汁椀が
店に立ち寄ると地元の陶芸店の方が出張販売されていた。このところ汁椀が足りず、できた汁物を移せない状況がたびたびある。ここで買っていこうかと一瞬立ち止まりかけたが、いやモノを増やさないつもりだったと思いとどまる。
辛抱というか、あえて不便を黙認するというか、この行為自体に意義はあるのか。たしかにモノを持ちすぎるのはよくないし、つぎの引っ越しが近々あるかもしれないと思うとなおのこと増やしたくない。
手持ちの大きめの皿は
それではひところよくつかっていた朝食用の陶器製ワンプレート。つまり大きめの皿。これに何でものせて朝ごはん一食分をのせてしまう。これに飲み物用にカップ。
朝のいそがしいときにいすを台所にもってきて、上の棚からこの大きめの平皿を引っ張り出す行動が煩わしい。使わずしまい込んだままになりがち。
とりやすい場所に常置すると、狭い台所の一画を占有してしまう。手の届く収納を占有しかねない。これがもとの家ならばゆったりした台所で、場所の心配がいらなかったので、ひとつのうごきでこの平たい大きな皿をすぐに使えた。
予備は
ほんのわずかの食器類をヘビーローテション。飽きのこない、どんな料理でも違和感のない色やデザイン。長年使い慣れて愛着もそこそこある。陶器なのでうっかり割るともう使えないんだときもちがしぼむ。
余分なモノはあるのに肝心なものがない。ひとりぐらしの制限のあるスペースではその連続。とはいえいまほしいのはレンジに安心して使えるもの。たとえばパスタを茹でる代わりになる耐熱ガラス。けっこう高価そう。パスタを半分に折れば使えるサイズの四角い容器ならば汎用になりそう。
おわりに
このようにほしいモノを集めだすと、ふたたび増えかねない。数年のあいだがまんしてみて、あまりに不便と感じたときだけ汎用のものを一品だけ、しかたないからといいわけしつつ買う。
賃貸で場所にお金を払っているから、そこへ価値のないものを置いたままにしておくのは憚られる。なおさら買わないでおこうとしがち。多少の不便からくふうを生み出せるかもしれないし、頭を多少なりとも働かせるほうに向かえる。もうひとりの自分がそう言い聞かせる。
こちらの記事もどうぞ
広告
