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いまもってもっとも魅惑的な食べものとはなにか


はじめに


 古今東西おそらくさまざま口に入るものがある。まだほんのごく一部しか味わったことはない。このクニは飽食の時代に迷いこみ出られないまま。各地の代表的な食べものが海を越えて手に入るまれに見る状態。それをあたまの隅に入れつつも、半生でこれまで口にしたなかでこれはというものを記したい。

きょうはそんな話。

(タイトル写真はバレンシアオレンジの花)

このクニは


 おそらくこんな時代は有史以来そんなにない。千年まえでも最高権力者に限っては真夏でも氷のものを口にできただろう。アニメにもあったように、そうした記録は文献にいくつかみられる。

https://kusuriyanohitorigoto.jp/season2/

それがどうだろう。いまではこのクニに限っても全国津々浦々で冷凍冷蔵庫を備えていないところを探すほうが困難。どこでもアイスクリームを食べたいときに食べられる。

これはよくよく考えれば驚異的だし、千年前の権力者ですらそんな状況に出逢えば尋常でないと気づくだろう。そこまでむかしでなくてもいい。庶民が白米を食べられるようになったのはほんの百数十年まえからに過ぎない。
そのまえの時代の状況は小中学校の教科書をひらけば記されている。

あたりまえのようだが


 何が言いたいかというと、いまではふつうに手に入るモノ(ここでは食べものに限定する)がそんなに日常のモノでなかったということ。わたしたちは何億年ものあいだこの惑星に貯められたエネルギー源を浪費しながら生きている。そのエネルギーを冬につかい作物を栽培してゆたかさを享受している。もう一度記すが、冬に本来ならば育てられないタイプの作物の一部はハウスで油を燃やして加温し、ようやく栽培できる。覆いのビニールすらもとは石油。

「あたりまえ」の代償は大きいが気づきにくい。そしていつのまにかそれに慣れてしまい、そこへ意識が向かいにくい。「あたりまえ」が人工的にしかもヒト知れずつくられる。べつにそれを非難しつつ述べているわけでないが現実はそう。

その一方で


 一から果樹を作っていた頃、なるべく身近に手に入る素材を肥料としてあたえて栽培した。下草を刈り、伸びすぎた枝をととのえ実つきをよくする。こうしてたびたび手をかけて収穫にこぎつける。

なかでも桃はこの暖地では柑橘などとくらべると栽培は容易でない。そこへ気候変動。30年来、順調に育ててきてまさにトドメをさされた。大風で信じられないぐらい太く育った枝もとから折れてだいなしに。勢いは回復せぬままつぎつぎと枯れていった。

もっとも順調な数年


 摘果のあと、ももの若い実のひとつひとつに袋がけしていくだけでもけっこう骨の折れるしごとだった。中手の品種が主だったが6月頃から順次収穫をむかえる。もちろん家族だけでは食べきれないため親類縁者に配った。

配る先がなくなると販売所で売る。もちろん産地ではないので珍しがられた。

おわりに


 一部の桃の果実を木につけたまま完熟させた。もちろんそこまですると販売できない。運搬するあいだに表面にきずがついてどうしようもない。樹上で果実全体にやわらかさと芳香が行きわたる。桃色とはこういう色だったのかと気づく。翌日には過熟になってしまう。収穫のタイミングはほぼその朝だけ。

あくまでもわが家用。これを口にできるのは栽培するヒトの特権。手のひらをひろげて果実の底をささえつつ木からそぅ~と離してやわらかな布のうえにていねいに置く。これはその日の農作業のいちばん最後。うちに持ち帰り、口に入れるまで軽く冷やしておく。

みずから世話するだけに思い入れもある。完熟を迎え「さあ、食べてください」の合図は深い桃色に言わずとも表れている。芳香とやわらかさ加減も半端でなく、もはやここで表現するまでない。ほんとうに熟した状態とはまさに「水蜜桃」。よくぞ銘打ったものだなと思う。まさにそのとおり。


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