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体力でまかなえない分を要領でカバーするようになる気がする


はじめに


 わかいころからヒトの3倍の時間をかけてやればなんとかヒトなみにいろんなことがやれると気づいた。すでに幼稚園のころにかけっこの遅い自分はそうだとわかった。それからのち、もって生まれた能力の差なのでいたしかたない。そう思いつづけてやってきた。

しばらくのちどれも3倍だけ時間をかけずとも、主要なものだけそうすればよいとわかってきた。するとすこしだけ楽に。

きょうはそんな話。

もともとが


 中学校の頃だろうか。学校で知能テストを受けた。おそらくテストの結果はよくなかったはず。きっとそうだろうと自分でわかった。なにしろほとんど解けない設問が続いた。とくにその場で与えられた内容を記憶して、答えるようなものはほぼ皆無。空間把握もおなじような調子。いまは一斉に学校でやる機会などあるのだろうか。そんな感じはしない。

そののちしばらくして部活の顧問の教師から声をかけられた。「おまえは勉強のほうはなんとかついていっているようだから部活のほうもつづくようにがんばれ」と声をかけてくださった。よほどそのテストの結果がよくなかったらしい。運動のほうはそんなわたしの特性をそのまま表出しており、まわりがみてもコイツは習得に時間がかかっているなと見えるらしい。じつは勉強のほうもおなじようになかなか身につけるのに苦労していたのだが。

傾向は変わらない


 つまりはわたしの知能はテストでしらべると芳しくない。その傾向はいまだに変わらない。わたしのこどもたちは人なみのよう。家族のなかではわたしだけこんな調子。でも道具もこんなアタマでもモノは使いよう。

上に記すようにくりかえせばなんとかなるし、ヒトよりはなにごとも修得までには時間がかかるがなんとかしてきた。とくにからだを思いのままに動かせない。空中でからだを回転させるなどもってのほか。体操競技などわたしからみるともっとも対極に位置する。

自動車の免許などもそうだった。なんとか運転できているのはおそらくヒトとはちがう感覚で車を操作していると思う。その一方でいまだに何度やってもできないことはある。それは回避してほかの方法でカバーする。

変わらないなりに


 学問分野でもおなじ。しごとは理系。おなじ理科でも生命系は身につき全国の模試に名前が掲載されたぐらいなのに、物理の力学などは何度やってもピンとこない。これはわたしのこどもたちもそうらしい。ここは受け継がれてしまったようだ。

とにかく基本の問題すらほぼ解くことができない。ここまで諸先生方のお情けできりぬけてこれた。したがって学習サポートのしごとでは初対面の生徒たちに「物理だけは聞かないで」とことわりを言う。あきらかにこれは向き不向きがあるのはいたしかたない。

学校や大学で理科の学習時間のうちのおそらく8割を物理系や物理化学の学習が占めたにもかかわらずそんな調子。そういうふうにあたまができてしまっているのかも。かろうじて理解がすすんだのは量子化学。もっともなじみやすかった。中学校以来の概念をそれほど必要としなかったからだろうか。

おわりに


 そののちまわりの友人たちのようすをみて、要領をつければいいのかと知る。それ以来、多くの時間を割いた物理系よりも、理解できる分野に時間を費やせるように要領よくやる方法のほうが自分を活かせるとわかってきた。なにも習得しにくい分野で苦しむ必要はない、それは得意なヒトがやればよいと納得。ごくあたりまえをようやく知れた。

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