noteの記事の読み手の方々との貴重な数分間の出会いから

はじめに
このnoteに記事を記してネット上に公開する。はじめは手帳の管理をしないで残せる備忘録代わりになるだろうとメモ帳として使った。そのうちつかいみちが変わる。家事やしごとを終えてひと息ついたタイミングで画面に向かうように。多少はわたしとて自己顕示欲があるのだろうなと思うように。そうでもないと4年あまり、1,400の記事をほぼ毎日掲載しようとはしないはず。
きょうはそんな話。
(タイトル写真は手づくりのパウンドケーキ)
ほぼ毎日
21年4月から4年半。それから3年ほどnoteへほぼ毎日投稿。のべ73万人の方々の目に触れてきた。記事をお読みいただいてスキやコメントをいただく。たいていこちらからご本人のぺージに折り返し接してみる。じつにさまざまな出会いだし、どんな方だろうと興味がわく。
なぜこの記事をお読みいただいたのだろうとか、古い記事をどうやってみつけられたのだろうとか。とうてい現実の世界では出会うチャンスはまずないはずのつながりがあっさりできてしまう。お記事に目を通すとわずか数分間でつながれる。
それぞれの
いずれの方もそれぞれの場で生きていらっしゃる。ある日の記事をつうじてお知り合いになり、ごくまれに連絡をとりあう経験もした。そのやりとりで友との出会いのようにあたたかなきもちになれる。
おたがいに接点ができて共感しあえること、読者の方からより深いコメントをいただけるのはやはりうれしい。そうそう、そう表現したかったと代わりにコメントしてくださる。
ほぼ同じときに
記事を公開したタイミングで応答していただける。ひとときでも記事に目を向けていただき、おなじ事柄に思いを馳せる。ときに何らかの言葉を添えていただける。なんともうれしい経験だろう。
ブログともちがうし、xともちがう。いわば両者のいいところを合わせた感じだろうか。おたがいにコメントなどを通じて交流できて、ほどほどに良識の世界。場末のガード下というより、落ち着いた団地のこどもの声のする公園のよう。
公衆の場
とはいえやはりそこは公衆の面前。節度を自分なりに保ちつつ接したい。ただし肩の力は抜いたうえで。その加減がなかなか。ときとして入力しかけたセンテンスを読み直し、やはりもっと丸めた表現に変えようと思うことも。
あまりに筆が走りすぎるのはどうかと自重しつつ、とはいえ自由に思惟するのも妨げたくない。やはりそのさじ加減が公共の場で試されているのかも。
おわりに
noteの雰囲気やようすにようやくすこしは慣れ、なじめたかもしれない。とはいえ油断してあまりに突飛なことを記しはじめたら、ぜひとも知らせていただきたい。年を重ねるとそのあたりが鈍感になってしまいタガがはずれやすくなりがちらしい。そこはわが身ながら心配なところ。
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